めけめけの徒然なるままにアンチテーゼ

品行方正品性下劣な何か書いています。やたらと書いています。物語とかそんなものを。 めけ…

めけめけの徒然なるままにアンチテーゼ

品行方正品性下劣な何か書いています。やたらと書いています。物語とかそんなものを。 めけめけの由来 フランス語の「Mais, qu'est-ce que c'est?」(メケスクセ、「だけどそれがどうしたの?」の意)を訛って「Méqué méqué?」(メケメケ)と発音。

マガジン

  • 徒然なるまにまに

    なんとなく思いついたこと、思い至ったこと、思いにふけったことなどを つらつらと書きしるし、書きのこし、書きつけた何か

  • 【往復書簡】人のハナシ聞いてる?

    • 3本

    人の話を聞くのが大好きな”めけ”と”ねる”が、あまり話を聞かずに好きなことをおしゃべりする、お手紙マガジン。

  • 震える心、揺れる心

    心を動かすことはできないかもしれないけれど、震えさせたり、揺れさせたりできるのなら、僕はそれをしよう

  • めけラヂオ配信後記

    毎週日曜夜9時30分にツイキャスにて配信している『めけラヂオ』の配信後記。今年8年目を迎える長寿?番組です

最近の記事

  • 固定された記事

友人の最愛の人の死を悼んで

 生きていることは生々しい。  誰にも迷惑をかけず、清く正しく、美しく生きることなどできやしない。人知れず誰かを傷つけ、誰かに傷つけられ、誰かに思いを寄せ、誰かに裏切られ、心は常に揺れている。  人間は心の器。  どこか他の生物とは違っている。人を愛するのに言葉を必要とするし、言葉だけでは完結もしない。ただ肉欲のまま、本能のまま、あなたを求められるのなら、どれだけ清く正しく、美しく生きることができるだろうか。  器であるはずのこの身体は、どこまでも自由にはなれない。肉欲

    • アンチテーゼ~スイーツはいらない

       30代くらいのころって、知らないことは恥ずかしいとか、無知の罪なんてこともあるなぁって思っていた。  50代も半ばを過ぎると、知らないことが羨ましく感じるようになる。  もちろん、なんでも知っているわけでもなく、知らないことはたくさんあるのだけれども、知らなくとも大概のことは予測が可能になる。  どんなにおいしいものを食べても、食べる前からある程度予測ができるし、何かの延長線にその味はたいていある。 まったく食べたことのない味や触感にはなかなか出会えるものではない。

      • オッサンと呼ばれて

        これまでの「【往復書簡】人のハナシ聞いてる?」は?(口調は海外連続ドラマ風で(笑い) 拝啓 ひまわりのきみ  桜前線は日向から日陰に移り、桜の幹にも緑が見受けられ、かの花は遅かろうと早かろうと、刹那的であり、それが人々を魅了するのでしょうね。  桜咲く 浮かれし人の あさましさ  酒におぼれて 泥船沈む  泥酔とはよく言ったもので、酒を飲みすぎて身を崩すさまはかくのごとしと歌ってみたものの、浮かれたく気分でいる人のほうがむしろ精神的には芳しく、おいしいものを「うまい」

        • 拝啓 ひまわりのきみ

          拝啓 ひまわりのきみ  あいにくの悪天候も桜を散らすことはできても、今日という記念すべき日を邪魔するに能わず。大変、有意義な時間を過ごせたことを何に感謝をすべきか。  それは晴れ男という損なのか得なのか測りずらい星の下に生を受けた我が運命にするよりも、ひまわりのきみなのだろうと思い感謝の意をここに述べておきたい。  以前よりひまわりのきみのエッセイ、テーマや切り口がということではなく、日常の目に届くところ、手に届くところに着眼して書き続けているというスタイルにすこぶる関心

        • 固定された記事

        友人の最愛の人の死を悼んで

        マガジン

        • 徒然なるまにまに
          11本
        • 【往復書簡】人のハナシ聞いてる?
          3本
        • 震える心、揺れる心
          25本
        • めけラヂオ配信後記
          18本

        記事

          セカイのカタチ

          ”自分という存在がなければ、自分が観察しうる世界も存在しない”  僕の中ではある程度、セカイというのは自分の中にあり、思う通りのカタチをしているのだと思う。  冬の朝、冷たい空気に身を縮めながら低い太陽から光をもらうとそれでもだんだん元気になってくる。その時僕は世界は僕にやさしいと感じる。  一方で、セカイはとても残酷で奪われないはずの命が毎日どこかで失われている。その悲しみに僕はため息をついてしまう。  誰かが言った。 ”想像してごらん? 争いのない世界を”  

          『君たちはどう生きるか』という映画体験

           忘れていた感覚を思い出させてくれたなぁというのが最初の感想でした。  映画『君たちはどう生きるか』が7月14日に公開されました。宮崎駿監督にの2013年公開『風立ちぬ』から10年ぶりの作品ということで、興行成績やまったく広告宣伝を行わないという宣伝方法が話題を呼び、公開後はちょっとしたお祭りになっているようです。  僕はできる限り情報をシャットアウトして吉野 源三郎 (著)『君たちはどう生きるか』 (岩波文庫)の概要だけ頭に入れて18日の最終上映を観に行ってきました。

          『君たちはどう生きるか』という映画体験

          真っ白な嘘

          作詞をしたり、小説やエッセイ的なものを書いたり、僕は常に言葉と向き合っている だから人の無意識は、言葉という形で現れることがあることを知っている 「知らない者は探さない」とはとあるアニメで使われている(原作コミックにあるかどうかは不明)セリフだけれどもこれはひとつの真理であり、心理だと思う そしてその逆も真 隠したいことを無意識で人は語ってしまう ちょっとした言葉の使い方や選び方の中に僕はそれを見出すことができる(もちろん気づかないことのほうが多い) しかし多くの

          『ひらめき』がひらめかない日常

          ”あっ! いいこと思いつちゃった!”  というときがあって、そんなとき人は絶頂感と疾走感でわくわくしている。それを言語化すると『ひらめき』ってことになるのだと思う。  逆に嫌な予感というのは良くも悪くも当たるもので、そんなときには絶望感まではいかないまでも、面白くもないし、停滞を余儀なくされるような……夢の中で怖いものに追いかけれられたり、或いは何かを追いかけようとしているのに追いつけないようなもどかしさを感じる。  そして日々の暮らしの中でそのような起伏は毎日のように

          『ひらめき』がひらめかない日常

          これじゃない感の正体~ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー3を観て

           GWの一番のイベントというか、今年の最大のイベントは5月3日にガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3を観に行くことだった。たかがヒーロー映画、そしてその3作目になぜそこまで思い入れがあるかと言えば、それは単純に『乗り遅れたから』に他ならない。  2008年にアイアンマンが公開されそこからMCUはスタートした、それをさかのぼること6年前にソニーがスパイダーマンをヒットし、シリーズの人気はすごいものだった。  しかしながら1989年のバットマン、さらに1978

          これじゃない感の正体~ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー3を観て

          アンチテーゼ~会話なんて要らない

           会話ができても対話ができない関係って、案外多いのではないだろうか。  人と話すことが好きと言い放つ人ほど、この傾向は高い。  そもそも会話と対話と何が違うのか。  乱暴に言えば会話は雑談、対話は談義の共有。  談義とは、物事の道理を説き聞かせること。  すなわち談義の共有とは、道理を相手に説き聞かせ、それについて議論を深めて、ある一定の結論とそれを実証するための課題を残すことであるのだと思う。  そしてそうした対話は会話から始まる。会話はボクシングで言うところのジャブ

          アンチテーゼ~会話なんて要らない

          令和の等身大ヒーローはどこに向かうべきなのか

           3月18日に庵野監督のシン仮面ライダーが劇場公開され、31日には制作ドキュメンタリーがNHKで放送された。筆者はまだどちらも見ていない。  これから書くことはまだ見ていない筆者がそれらを見る前のメモのようなもので、もしかしたらどちらも見ないかもしれないが、庵野監督とはそれなりに長い付き合い(もちろんプライベートではない)でもあるし、映画コンテンツの楽しみ方という観点からいうと、現代においては見るまでが面白いという側面もあるのかもしれないことも踏まえて、いわゆる持論を展開し

          令和の等身大ヒーローはどこに向かうべきなのか

          アンチテーゼ~距離感なんていらない

           自分の容姿についてここであまり語ったことはないのだけれども、簡単に言うと太った禿のおっさんです。  僕自身がそれについてコンプレックスを持っていないので、それを話題にすることもなかったのですが、それについてのエピソードがまるでないわけでもないので、いくつかお披露目しようと思います。  これについては、コンプレックスの克服とかそんな話ではなく、どちらかというと人との距離感という話になります。  行きつけのカラオケができる居酒屋があり、そこは仲のいい(もちろん喧嘩もよくする

          アンチテーゼ~距離感なんていらない

          三度の飯よりごはんが好き

           いや、ただの言葉遊びなんですけど、ふっと頭によぎったこの世迷言はありそうでないのか、なさそうであるのか  三度の飯に必ずしもお米が入っているとは限らないというのは屁理屈というものだが、しかし、たとえば「おいしいご飯の食べ方」を研究している人、料理人や栄養士がこの言葉を使うときになにか深みが出てくるということはないだろうか  ある  このように言葉と言うのは言葉そのものよりも誰が使うのかによってかなり印象が変わるものである。  そのもっとも悲劇的なパターンはまじめに告

          アンチテーゼ~映画は誰のものなのか問題なんかいらない「ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス」を観て思うこと。

           GWにしたことといえば、結局この映画を観にいったことに尽きる。 「ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス」はマーベル・シネマチック・ユニバース(MCU)の28作品目、ドクターストレンジの映画としては2作目、ドクター・ストレンジが登場する作品としては、マイティ・ソー/バトルロイヤル、アベンジャーズ/インフィニティウォー、エンドゲーム、スパイダーマン/ノーウェイホームがあり、ドクター・ストレンジの活躍を見るためには計6本の映画を見る必要があることになる。  更

          アンチテーゼ~映画は誰のものなのか問題なんかいらない「ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス」を観て思うこと。

          恋の連立方程式を解くゼロの仮説

           あまり期待しないでください。でも読んでは欲しいし考えてみても欲しい。なんなら試して欲しいと思う思いつきのnote。  物語を書くことをライフワークとして10年以上続けているとちょっとした壁にぶち当たることがある。書き手のスタイルによってさまざまなのだろうけれども、僕の場合は「登場人物が動けなくなる」という現象だ。  それをするのが演出家としての僕の役割でもあるわけなのだろうけれども、こと「笑い」と「色恋ごと」になると「果たして、これでいいのだろうか」と筆が止まる(正確に

          恋の連立方程式を解くゼロの仮説

          アンチテーゼ~遠慮は要らない

           僕はよく電話で話をする。会って話をする。SNSも使う。でもだからと言って、コミュニケーションがすべてうまく行っているとは思わないし、コミュ障だとも思わない。  考え方が違う、感じ方が違う、優先順位が違う。人はそれぞれ。環境もそうだし、それすら昨日と今日では違ったりもする。  母親を病気で亡くした僕は、それまでの僕とは違うのだし、結婚、子供を授かり、仲間とバンドを組んだり、イベントを開催したり、ネットで配信したり、何かを経験するたびに昨日とは違う自分になっている。  特

          アンチテーゼ~遠慮は要らない