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プレッシャー~前で倒れている誰かに、人は手を差し伸べずにはいられない

世の中いろんなプレッシャーがあって、それは外圧だったり内圧だったりするのだけれども

よく”プレッシャーを味方に付けろ”って言うじゃないですか

ふむ、いい緊張感っていうのは確かに自分の能力を引き出すコツではあると思うけれども、その”いい緊張感”っていうものに、普段のプレッシャーをどう変えていくのかってことに関しては、さて、みなさん、どうされているのかしらね

状態で言えばそれは”ストレス”にほかならず、たとえば”慣れない事”をするときに人は緊張するし、慣れないから失敗をする可能性が高い

失敗はそのままメンタルに悪影響を与えて委縮する……つまり悪循環になっていくわけだけれども、”ああ、いい失敗をした”とどこかでそいつを断ち切らなきゃならない

”失敗を恐れるな”なんて言葉を成功者から言われて、なるほどそうかって思える人、どのくらいいるのかしらね

つまるところ最初に失敗しないように、常に本番と同じように緊張を課していくことで、”慣れない自分”を騙していく作業がひとつの答えになるのだけれども

つまり失敗を恐れるなっていうのは本番で失敗することを恐れるなではなく、”そこはちゃんと恐れろよ”ってことなのだと思う

”練習でできたこと以上に本番でできるということはない”

道端で外国人に英語で話しかけられる
なんでもない道案内なのに、急に話しかけられて緊張して文法も単語もしどろもどろ、冷や汗をかきながらどうにか身振り手振りでその場をしのいだあなたは、”やっぱり英語は苦手だ”と思い、次は”あい・きゃん・のっと・すぴーく・いんぐりっしゅ”と逃げてしまうかもしれない

それもひとつの手だけど、スマフォを持っているあなたは、それを活用すれば、もう少し余裕を持って説明ができたことに気付くべきだ

カンペを見てもいいと思えば、何もそこまで緊張することもない

”今必要とされていることに最善を尽くす”

その心構えがあれば、いざというときにあなたの視界には英語で書かれた標識が目に入るだろうし、彼が手にしている英語の観光案内を手に取って、頭の中で自分の知識と照らし合わせて、最善の策を見いだせるに違いない

プレッシャーなんて味方に付けなくったって、やれることはいくらでもあるとわかれば、畏れや苦手意識というのは、案外と制御できるものではないだろうか

しかしこれは詭弁である

本当にプレッシャーを味方に付けなければ乗り切れない場面は必ず訪れるでしょう

それに対抗しうる方法を考えたときに、僕の頭には”妄想”という言葉が浮かんでくる

こんなプレッシャーのかかる場面で自分は何ができるだろうか?

想像しただけで手に汗をかくようなリアルな妄想ができるのであれば、それは脳を騙す訓練に成りうる

そして世の中にはそうした疑似体験をできるツールがいくらでもある

映画や小説の主人公になったつもりでその世界観に入り込めれば、生死の狭間を疑似体験できるだろうし、大勢の前でスピーチをするような場面は、言葉巧みに観客を魅了する誰かを想像して、その真似を妄想のなかでしてみればいい

辛い別れも、悲しい裏切りも、悲惨な事故も、痛恨の失態も

そしてそれらを乗り越える自分を妄想することで、プレッシャーを味方に付けられずとも、真正面から受けなければならないようなことにはならないはず

最悪の事態を想像しうる知能を人間は持っており、それを恐れる心を持っている

知性と心は人が身に付けた”よく生きるため”の道具なのだから、それを磨かないあなたはきっとプレッシャーに負けてしまうだろう

僕もまた多くの負けをこれまでの人生で喫してきたわけだけれども、こうしてnoteに書き記すことで、改めて”プレッシャーを味方につける”ことに前向きになろうとしています

そしてそのような姿勢でいる限り、必ず誰かが手を差し伸べてくれるでしょう

それもあなたの能力なのだと、僕は思います

逃げる者を振り返って呼び止めるよりも、前で倒れている誰かに、人は手を差し伸べずにはいられないようにできているのですから


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