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僕が小説を書く理由

どうしよう
今日はエッセイ的なものを書くテンションに程遠く、ストックから何かネタを引っ張ってこようかと眺めていたのだけれども、それもどうも”ちがうな”とチャンネルが合わない

ふと振り返ると短編小説をしばらく新しいものを書いていないし、長編の続きも止まったままだ

長編は1930年頃の日本を舞台にした怪奇譚を書いている
1923年関東を襲った大地震によって東京は壊滅的なダメージを受けた
関東大震災と呼ばれるそれは大正12年9月1日11時58分32秒、正午の直前の昼食の支度をしている木造の家屋を直撃した

大きな揺れ――マグニチュード7.9、最大震度6に耐え切れなかった建物は倒壊し、たちまちそこから火の粉があがる
消防機能と交通は麻痺し、多くの人が燃え広がる炎の犠牲になったことは、もはや語るべきことではないのだけれども

意外と周知されていないのは関東大震災による津波の被害である
神奈川では200~300人の津波による被害があり、震源地とされる小田原付近では関東地方と同様の都市型の地震による甚大な被害が出ている

僕が書いている『名無しスズメと猫目尼僧』の物語は静岡の片田舎から上京する特殊な能力を持つ若者=狭間剛(はざま ごう)が小田原で妙齢の美しい尼僧と出会うところから始まる

若者は豪商の三男として生まれ帝王学を叩き込まれた兄やそれを妬む次男、自由奔放に見えて野心を抱えている妹たちとの暮らしに、一抹の不安を覚えた剛には『動物と話が出来る』という特殊な能力を持っていた

村の中のいざこざや権力争いに嫌気がさした剛は一羽のツバメに鈴音(すずね)と名づけ、ともに同郷の友人長谷川幸太郎を頼って東京にでることにした

さて、まぁこんなところから物語りは東京に上京したとたんにある”怪異譚”にであい、それが小田原で偶然にであった尼僧と関わっていく、怪異と陰謀の物語なんですけどね

舞台は東京は神田あたり
明治、大正、昭和が意地混じる復興が急ピッチで進められるなか”神田明神”が震災で焼けた後、日本初のコンクリートで作られた神社が作られようとしていたのですが、なぜだかこの計画が二転三転する

その歴史的事実と空白の2年の中に、僕はちょっとした違和感を感じて、そこで何が起きたのかというのをこれから描くところなのです

神田須田町と御茶ノ水の間に幽霊坂というのがあるんですが、まぁ、そこで幽霊ならぬ、”化け猫”を見たという噂話の真相をめぐって、動物と話ができる主人公と”猫目尼僧”、”小田原の御前”と呼ばれる妙齢の尼僧が化け猫騒ぎを別々に検証していくなかで、ちょっとした陰謀めいたものと、祟りや呪いといった超常現象めいた異界の扉に近づいていくという展開

主人公狭間剛は剛という名前にふさわしくなく、子供の頃は病弱で本ばかり読んでいた青年・・・彼のイメージは現代の浦島太郎

みなさんは浦島太郎の物語を知っていると思いますが、そもそも、浦島太郎は生き物と話をする能力があって、あの事件に巻き込まれたのだとしたら、少し物語の見方が変わってきませんか?

太宰治は『御伽草子』という作品の中で彼の解釈した『浦島太郎』の物語を執筆しています

その設定が裕福な家庭の3代目だったかな

一代で富を築いた家の三代目というのは、どこかおっとりしていて、がつがつしたところがなく、ついつい困っている亀を助けてしまうようなキャラクターだよねってところから、太宰はアプローチしているのだけれども(と記憶している)

つまり僕の物語では小田原の御前は乙姫ってことになるのかといえば、そこは少し違うかな

僕は歴史的に産業や文化の変わり目を舞台にすることが好きで、1720年のフランスとドイツ(東ローマ帝国)の間にある小さな町で起きた狼男と医者の娘の恋愛物語や、1910年のドイツの港町ブレーメンを舞台にした究極のオートマタを作ろうとする青年の物語を既に書いています


前者は宗教観と魔女狩りと新しい科学や錬金術の物語
後者は自動車が走り始め、カメラや電信電話が発展し始め、犯罪が広域化し、警察組織が翻弄されていくサイバーパンクな世界観

どれも人々の認知が大きく変わろうとしている時代の最先端を行くものと、伝統を守ろうとするものの葛藤や抗争を描いています

僕は人間が好き
いや、もしかしたら信用をしてなくて、面白がっているだけなのかもしれないのだけれども、ネットや図書館で資料をあさって、あれこれ当時の人々の考えや想いを妄想するのが大好き

わかってもらえますかね

日本においては、震災後の復興と世界恐慌のあたりが一番人の認知が変わった時代だと思うんですよね

ぎりぎり妖怪じみたものが生き残っている世界

そしていずれも結論としては、人間が一番怖いってことになるのかな

今日、こうしてこの文章をいつものカフェでノートパソコンを広げて書いているのですが、そこに居合わせた一見のお客さんが、両国にある東京都慰霊堂のそばの学校出身で、そのたてものの不気味さを知っていた偶然ですら、世の中はかくも、つながっているのだと思わざるを得ない不思議

そう、不思議なことはあるものなのです

だから僕は書くことを止められないというお話でした


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