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”これでいいのだ”と言いきるチカラ

先日映画『スパイダーマン;ファー・フロム・ホーム』を見た後に僕は

1)自分の感じたことをまとめて記事にした
2)出演者の記事や他の人のレビューを読んだ
3)動画などでネタバレ解説を見た

その行為にはどんな意味があるか問えば

1)情報の整理と今感じたことの記録
2)感じたことの裏付けや情報の肉付け
3)いろんな人の解釈を見聞きして、認識の幅を広げる

そして”共感”と”インプットとアウトプット”が発生し、僕は”これでいいのだ”となるわけなのだけれども

前回書いたレヴュー的なものは、実際に他のライターの方が書いている記事を探してみると、共通点が多く、まぁ既出なので記事としての価値はあまりないのだけれども、ワレサキニとそういうった情報を先んじて書くことに僕はそれほど関心がない

僕としては記憶の倉庫に以下のようなインディックスをつけて、スパイダーマンの情報を格納する

1)MCU23作目、フェーズ3最後、次はガーディアンズオブギャラクシー3
2)ミステリオ、ドローン、プロジェクションマッピング、イーディス
3)監督ジョン・ワッツはホラー出身の若手(”あの”ケビン・ベーコンと仕事をしている!)
4)トム・ホランドは記者から”キング・オブ・スポイラー(ネタバレ)”と言われている。
5)制作されなかったサム・ライミ版スパイダーマン4にミステリオが出る予定だった。
6)J・K・シモンズがデイリー・ビューグルの編集長J・ジョナ・ジェイムソンとしてカメオ出演している
7)恋愛要素が初々しく、MJが可愛いし、ネッドは新しいステレオタイプのデブ役を確立しようとしている
8)ミステリオのネタ晴らしシーンは『スティング』の爽快感、ピーターをいびるシーンは”大人が子供に手加減しない非情さが肝”

今後、誰かとこの映画の魅力を語る際に、僕はこれらのキーワードの中から、その人の興味や関心にあったネタを選んで話をすることができる

ついでに、”僕はnoteでこういうのをまとめているし、めけラヂオって番組でもサブカルチャーネタをけっけう扱っているからよかったら見てよね”と話ができる

”これでいいのだ”

メグ美・ネコパルドンさんの『これであってるのかなー』

という記事の中で

”決めたことがこれで合っているか、何らかの媒体で確認を取るのは自分にはホントあってない”って一節を読んで、実はいろいろと考えさせられました

はて、自分はどっちだろうか?
確かに何らかの媒体で確認をとることはするし、ライブ配信なども含めてできるだけ、正確性と中立性を『基本情報』としては守りつつも、結果、好き勝手に自分の意見を言い放つ

あのときは、こう思って発言したけど、あれはやっぱり違っていたかもなぁと、振り返って思うことも、まぁ、まぁ、ありますけどね

いいんです

そのときは胸をはって訂正をすればいい

間違うことを恐れて決めかねるよりも、間違いであっても、そのときの判断をよしとして、区切りをつけて行った方が、前に進むことができる

だかこそ、こうして備忘録のようにそのとき自分がどういうロジックやエモーションで何かを判断したのかってことを文章化しておくことで、僕の場合は頭の中の書庫に雑然とではありますが、収納されるわけですから

間違っていたら、そいつを取り出して、赤線引けばいいだけですよ

それで、いいのだと思います

しかし、まぁ、世の中には”あれ、俺、そんなこといったけ?”とまるで覚えていない輩も少なくない

だいたい僕はそれを”良しとしない”ので――あのときあなたはこういう話をこういう流れで、こういった。僕の反論については、この例を出してきたが、そのことじだいが、おかしいだろうという話になったのを――

あなたは覚えていないのですか?

と言ってしまいがちなところが、たまにきずでございます

さて、これでいいのだといいきるチカラと忘れるチカラ
どちらが強いのでしょうかね(笑)and(涙)

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