死んでからでも本は出る

この三日間、いやぁ、久しぶりに書きました。

今日締め切りのWEB投稿の小説コンテストに2作アップしました

テーマは”ほっこり”、”じんわり”ということだったんですけどね
書下ろしではなく、過去の作品に手を入れての応募でした

それとは別にしばらく滞っていた連載中の作品も1話アップ

コンテストに応募したのは、トワイライト・シンドローム~パンツを被る男

そして、トワイライト・シンドローム~もしも女子校生がシュレンディンガーの猫と出会ったら

どちらもトワイライト=夕暮れに起きた不思議なできごとを書いています

ちなみに皆さんは夕暮れ時ってどんなイメージを持っていますか

僕は子供の頃、夕暮れ時って楽しく遊んでいたのにもう帰らなきゃって雰囲気が嫌いでした
公園なんかで遊んでいると5時半になると”七つの子”とか流れてもう、寂しさが増します

これが大人になるとまったくちがって、ああ、仕事終わったら、今日は一杯やっていこうかとか、夕焼けがきれいだなとか、そんな感じ方をするようになるんですよね

一つ目の物語はやりたいことを見失った1人の物書きが、夕暮れ時に不思議な体験をして、自分のやるべきことをもう一度思い出すというストーリー

この物語には僕自身の体験をもとに、僕と8年近くタッグを組んでいる『めけラヂオ』というライブ配信番組の相方を主人公に被らせているので、実はかなりリアリティがある物語なんです

僕自身、あるクリスマスパーティーで女性もののパンツを被ったことがあります
その瞬間にこの物語の骨子を思いつき、物語にあるようにその場でメモをとりました

僕はキャラクター的にまったくそんなことは苦手と言うか、ボケよりもツッコミタイプなので、かなりハードルの高い作業だったのですけれど、いざパンツを被ってみるとですね

”人生観が変わる”

まではいかなくとも、何か恰好つけていたものがすとんと落ちるんですね

そんな経験をしたことがある人、どれだけいるのかわからないし、パンツを被ったぐらいでは、まったく動じない人もいるでしょう

実際そのパーティーがお開きになったあと、何人かはパンツを被ったまま(もちろん変態仮面みたいなそれとはちがいますよw ヘアネットのようにオシャレにきめていました・・・女の子ですけど)コンビニに買い物に行っていましたからね

2作目は、理系女子の恋愛物語というほどステレオタイプの理系女子ではないですけど、野球バカみたいなおよそ嘘とか駆け引きとかまったくできない男の子と二人の女子校生、1人はマネージャーで物語の中ではメールと回想でしか登場しませんが、主人公の数学が得意な女子よりも、およそ女性キャラとはしては立っている子との微妙な三人の関係が一気に変わっていくストーリーになっています

恋愛はシュレンディンガーの猫に似ている

そんな発想が僕の中で埋まれてできた作品

恋はふたを開けてみるまでわからない

恋に限らず物事と言うのは予測の段階ではつねに五分五分の可能性があって、ふたを開けない限り、猫が死んでいるのか生きているのかわからない

つまり観察者が介入しない限り、箱の中では生と死が混在していることになるってところまではいいですかね?

まぁ、難しい理屈は置いておいて(僕もそこまで突き詰めるつもりはない)少年少女の成長の過程で、一度はそういう箱を開けなければならない時がくるのではというお話です

それまで仲間や友達同士だった二人が、恋仲になる瞬間に、お互いをどう呼び合うかっていうのも、なんとも甘酸っぱいお話であるようで、ある意味呪詛のようなもので

恋敵と同じよな名前の呼び方をあえてしないって、そういう選択肢が、実はいい大人の世界でもあったりしませんか?

主人公カズ子(数子)が算数が得意でカズコなのだけれども、苗字が夏目で名前が晶子って、どんだけ文学系なんだよっていう呪いから、彼女がアイデンティティを確立するための装置でもあったわけで

でも、まるっと全部受け入れてくれる誰かの存在が、その呪縛から解いてくれることも、あるんじゃないですかね

僕が小説を書く理由は、そうした人間の認知の変化をとても愛おしく思うからなのです

”死んでからでも本は出る”
これはパンツを被る男の最後に出てくる言葉ですが、出展もとは故池田晶子の言葉です

僕が彼女の存在を知ったのは亡くなってから3~4年後だったでしょうか

彼女の『人生は愉快だ』を読んで生前にお会いしたかったと、本当にそう思いました

僕が書き続ける、そして一度書いた作品を何度も書き直す理由はそこにあります

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