見出し画像

6月末で今年の半分は終わっていない

着想と発想というのが僕が物語を書くときの出発点であり、うっかりすると結末も考えないまま物語を書きはじめます

いや、うっかりしなくても、ほとんどの場合がそうなのかもしれませんが、こと中長編については、書きながら模索するということが多々あります

逆に着想と発想だけで書ききってしまうのが短編の中でも3000文字未満のものが大概そうですが、それにしたってオチを考えずに書き始めて、クライマックスになってから、ああ、このオチにしようってことの方が多いかもしれません

つまりプロットを書くことがほとんどない

だからたまに読み返すと一部辻褄が合わないことろが出てきてしまうことも、稀にありますが、大筋に影響するようなことはあまり経験がないです

小説にせよ作曲にせよ、やり方はほぼ同じなので”どうやって小説を書くんですか?”とか、”どうやったら曲を書けるんですか?”の質問には、”来た球を打つんだよ”に近いレベルのことしか、説明ができません

作曲に関してはまだ、たくさんの音楽を聴いて引き出しを増やすんだよくらいのことは言えますが、正直それはあまり役に立ったことはありません

役に立たないのではなく、役に立てたことが少ないが正しいでしょうか

ただ、これだけは言えるのですが、無から何かを作ることはとても困難だと言う事
僕自身、無から何かを作っているという意識はまるでなく、自分がこれまで読んだり、見たり、聴いてきた”気になるもの”、”気にいった物”、或いは”苦手な物”、嫌いな物”が、無意識に作用する、或いは作用させる環境を自分の中に作り出すことで、創作というのは為されるものだと思っています

無意識の井戸に糸を垂らす

こんな言葉が一番近いでしょうか

すなわちエサが着想や発想にあたるわけで、これは注意力と好奇心と洞察力、そして考えることと感じることをいろんな条件で可能にすることが求められるのだと思います

たとえば、長期の休みを得て、”さぁ、書くぞ”なんていうのは僕には向かず、その休みはインプットに使うか、或いは”何もしない”、”退屈をさせる”という方がいい……しかしこれでは非効率というか、締切的なものを課すことが非常に難しいですかね

まぁ、向いていないと言っていいのかもしれません

しかし、大人と言うのはそういう時に自分の追い込み方と逃げ方を心得たもので、かつてラジオ小説の原作を担当させた頂いたときは、一度も原稿を落とすことなく、期日には間に合わせていました

さて、なんでこんなことを書いているかと言うと、そろそろネジを巻かなきゃならんなと、そう思っているからなのです

noteで毎日更新するという今年の裏目標は今のところ順調なんですが、古い作品を書き直してはいるものの、新作の手が止まっているわけで、ぼちぼちやらないと年内の目標を達成できない

今は7月5日、今年の半分が過ぎました

6月末っていうのは実はまだ日数的に181日なのですよ

だから5日を過ぎるといよいよ半分を切ったということになります

数字を概念で考えると6月末で半分なんですが、正確には違うんだよと言うお話でした


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?