うめくこたつ_note

うめくこたつ

 誰もいない――つまり僕しかいない部屋の中で、こたつの中から人らしきうめき声が聞こえてくるというだけで、これはもう、ミステリーというよりはホラーである

 ホラーは困る。だから僕は謎を解くことにしたのだが、まずは身の安全を図るべきだろう。
 速やかに部屋を出るか――冬のこの寒空に行く当てもない。誰かに助けを求めるか――まさか、こたつからうめき声が聞こえるからと、そんな理由で呼び出せるような知人友人はあいにく思い当たらないし、ご近所に駆け込むのはもっとありえない。

 僕は隣に住んでいる人の顔も、ろくに知らない。

 それに――誰かを呼ぶには電話を掛けないといけないが、その電話はおそらく”あのこたつの中”にある。そして電話だけならまだしも、外で時間をつぶすにしてもお金がいる。財布もおそらくこたつの中である。別にこたつにそれらを入れておくことが、この部屋の習わしというわけではない。

 僕の下半身は寝巻き代わりのスウェットが着用されている。そして想像するに、僕はこたつの中でジーンズからスウェットに履き替えたのだ。
 終電ギリギリまで飲んで騒いで、どうにかこうにか一人暮らしのアパートにたどり着いたようだが、駅で友達と別れてからの記憶が恐ろしく曖昧だった。相当に酔っていたに違いない。曖昧というより、完全に忘れてしまっていた。思い出すのは、思い出したくもない様な友達ののろけ話と苦手なカラオケで恥をかかされ、勢い飲んでしまったテキーラの熱い喉越しの感覚だ。

 心の乾き、喉の渇き、そして吐き気。

 そんなわけで、僕はアパートに戻り、唯一の暖房であるこたつをつけてその中で着替えを済ませ、そのまま転寝をしてしまったらしい。らしいというか、ほぼ確定である。何も今回が特別なことではない。月に一度はこんな酒の飲み方をしている。幸い、ここまで誰にも迷惑を掛けずにこられたのだが、はたして今回は、いささか状況が違っている。

 深夜2時過ぎ、僕はトイレに行きたくなって目を覚ました。目を覚ました瞬間にまず、自分の酒臭さと煙草臭さに毎度のことながら呆れてしまうのだが、逆にこれだけ酔っぱらっていても、戸締りや着替えはしているのだと関心もする。用を足し、襲い掛かる寒気に身を震わせ、急いでこたつに戻ろうとした瞬間、妙な物音に気付く。

「むぅーう、むぅーう」
 人の、それもやや低い声の、おそらく男性のうめき声がこたつの方向から聞こえてくる。

 誰かいるのか?
 そう考えた自分はどれだけ滑稽な推測をしたことかと、まずは自分を笑って落ち着かせた。

 何かの間違えか、或いは記憶違いか。
 間違えかといえば、それは確かに聞こえてくる。疑いようもなかった。記憶違いに関してはまず事実関係を確認しなければならない。もしかしたら、酔った勢いで誰かをここに泊めることにしたのだったか?
 周りを見渡しても他人の荷物などないし、まさかとは思ったが念のため玄関も確認する。
 
 ない。
 玄関には踵がすり減ったスニーカーが、まるで小学生が脱ぎ散らかしたように転がっていた。
 ないはずのものがない。見知らぬ靴は収納ラックにもなかった。

 ないはずのものがないのに、聞こえないはずのものが聞こえていることがわかった。

 こんなことができるのは空き巣か、お化けくらいのものである。
 どちらも怖いが、サスペンスとホラーだったらどっちがましかという二択はできる限り避けたかった。

 もっというのなら、不法侵入者と一つ屋根の下で過ごしましたというシチュエーションと、この世のものでない何かと添い寝をしていましたというシチュエーションの二択問題ということであれば、どちらかといえばそれはコメディであるのだが、しかし、どちらにしても現実的には"笑えない話”である。

 つまり洒落にならない状況だ。

 うめき声に似たそれは、ずっと聞こえているわけではない。ひとしきり鳴いては木々を飛び移っていく夏の蝉のように、不定期ではあるが、存在感を失わない程度に聞こえ続けている。冷静に観察すればするほど、それは確信めいてこの世の物でない可能性を僕に示唆する。

 さすがに体が震えてきた。怖いのと寒いのと半々よりは、怖い寄りだ。
 そこでまずは半分弱の震えの原因に対する対処をすることにした。
 こたつの横に脱ぎ捨てられたダウンジャケットをそっと拾い上げて着込んだ。それでも震えは止まらなかった。

 寒さはしのげても、怖さはしのげない。

 いよいよ本丸を突かなければならない。外堀を埋めるため、まずは部屋の灯りをつける。その行為ですら、僕の中ではホラー映画の死亡フラグに一歩近づいてしまうかもしれないと思うほどに怯えていた。

 もしも蛍光灯の紐を引っ張っても灯りが付かなかったら……

 パチパチパチと音を立てて、部屋の中が3回フラッシュした。そのフラッシュの中に人影が見えてしまう妄想を僕は止められないでいたが、灯りのないままでいることのリスクのほうがはるかに高いと僕の右手は判断し、いつもより力強く紐を引っ張った。

『あー、これ、ダメなやつだ』と逃げ出したくなるくらい蛍光灯が見事に揺れた。最高の演出である。そのときうめき声が消えた。息を飲み込む。唾はでていない。

 冬である。

 見事に部屋の中は乾燥し、僕の唇は接着剤で止められたように固く閉ざされていたが、何かの拍子で大きな声を出してしまいそうで、次の瞬間には両腕が反応して口を塞いだが、目を閉じるのを忘れた。ほんの一瞬、目の前に人の影のようなものが見えた気がした。男とも女とも見分けがつかないが、童子やキツネやタヌキの類ではなかった。

 僕はそのまま膝を折り、腰を下ろした。いや、腰から落ちたという方が正しい。すなわち腰を抜かしたのである。当然に目線は垂直に落下し、目の高さより少し下に、こたつが現れた。こたつの上にはテレビのリモコンやスマフォの充電ケーブルが置いてある。そして出かける前にインスタントコーヒーを飲んだマグカップと部屋の鍵。

 間髪をいれずというタイミングでこたつの中から「むぅーう、むぅーう」という音が聞こえる。もうそれはうめき声にしか聞こえなかった。視線を外せず、こたつを凝視する。自分がそれまで寝ていた場所に、覗き込めば見えるほどの隙間がぽっかりと空いていた。必然視線はそこにくぎ付けになった。赤外線の淡い光の中に脱ぎ捨てたジーンズの一部が見えた。

「これって、もしかして……」
 多少緊張がほぐれたのか、思った言葉がそのまま口に出た。
 そして僕はあることを見落としていることに気付いた。見落としたというより聞き間違え、勘違いをしているのではないかと気づき、こたつの中に幽霊などいないと証明するために、僕はこたつの中に手を突っ込むパターンと、こたつ布団を引きはがす返すパターンをシミュレーションした。

 ここは慎重に、滑稽なパターンで行こう。

 まずこたつの上のテーブルに手を掛けゆっくりと自分の方に引く。ある程度引っ張ったら両手でしっかりと握って、テーブルを持ち上げこたつの横に置いた。マグカップとテレビのリモコンが3センチほど動いた。次にこたつ布団の端っこを掴み、ゆっくりと手前に引っ張る。見ようによってはどこかエロチックであるが、僕の『それ』はすっかり縮みこんでいた。

 四本足で立つ、こたつの骨組み。そしてオレンジ色に照らされた生あったかそうなジーンズが現れた。静寂が僕を苛立たせる。さぁ、正体を見せてみろ。いや、聞かせてみろと僕は身構えた。そしてそれはついに正体を現せた。

 ブルブルブル、ブルブルブル

 それはジーンズのポケットに入ったスマフォのバイブ音だった。
 僕は無造作にジーンズを引き寄せ、ポケットからスマフォを取り出して着信履歴を見た。
 深夜2時22分22秒、ついに僕は幽霊の正体を見破った。

 母からだった。

 僕はスマフォを耳に宛ててつぶやいた。

「そうだよね。こたつで寝ちゃ、いけないんだよね。ありがとう。母さん」
 僕は大粒の涙と、鼻水を流して泣いた。それは寒さと怖さと感謝の気持ちの表れなのか、その比率は1対1対1ではなかった。

 母が亡くなったのは半年前のこの時間だった。
 こういう話は噂でよく聴くけど、まさか自分が当事者になるとは思いもしなかった。

「お休み、母さん」
 僕はスマフォを耳にあてがったまま、電気を消そうと手を伸ばした。そしてそこに無いはずのもの、いないはずの誰かをみた。

「早く、逃げて!」
 そして聞こえるはずのない声がスマフォから聞こえた。

「静かにしろ!」
 どこから現れたのか見知らぬ男が立っている。
 いや、知るも知らないも、相手の顔はマスクで見えない。そして顔が見えないその"いでたち"は、僕が子供の頃からよく知っているテレビドラマやコントで見る"それ"だった。

「ど、泥棒……」

 目出し帽で顔を隠し、ナイフを持った男――泥棒の中でも強盗と分類されるであろうその男は両手で握った刃渡り20センチほどのナイフを胸の前に構えて、身体ごと僕に向かってぶつけてくる。
 僕はとっさに握っていたスマフォを盾にして身体を守ろうとした。ガツッという音とガラスが割れる音がする。男の顔が目の前に現れる。目出し帽から血走った、そして怯えた目が見えた。

「やめろ!」

 丸く縮こまった身体に目いっぱい力を込めて両足で相手を跳ねのける。二人は部屋の壁と壁を背にして向かい合う形になった。男の息遣いは荒く、よく見るとガタガタと身体を震わせていた。そしておそらく、僕も同じように見えているに違いなかった。
 男の視線が僕の左手に握られた壊れたスマフォにとまる。男は三回ゆっくりとうなずくと、ナイフを右手で構えながらゆっくりと立ち上がり、玄関に向かって後ずさりする。
「追ってきたら殺すぞ」

 そう言い残して男は部屋を出て行った。生まれて初めて条件付きで『殺す』と言われ、僕は安堵した。
「助かった……」

 腰が抜けたまま、玄関まで四つん這いで向かい。ドアのカギとチェーンロックを掛けた。この部屋に住むようになって、初めてのことである。そのままドアにもたれて、しゃがみこみ、何が起きたのかを頭の中で整理した。
 空き巣はいつ入ったのか、どこに隠れていたのか。

 帰宅前に侵入。
 そして風呂場に隠れた。
 なぜ暴挙に出たのか。
 スマフォで通報されるかと思ったのか。

 そして、母からの電話――あり得ないが、やはりそうなのだ。
 もしも他界した母からの電話がなければ、どうなっていたかわからない。あの空き巣らしき男の雑な手口から想像するのは、出会いがしらの悲劇しかなかった。

「盆と正月が一緒に来た……」
 僕は力なく笑った。そして母のことを思い、玄関に転がっているスニーカーをきれいに並べた。

 脱いだ靴はちゃんときれいに並べなさい
 戸締りはきちんとしなさい
 こたつで寝てはいけません

 母に言われたことが、何一つきちんとできていなかった。
 壊れたスマフォを眺めながら、僕は「ごめん」とつぶやき、戸締りを確認して布団を敷いて横になった。
 冷たいはずの布団が、どういうわけか今夜は、とても温かく感じた。

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