見出し画像

アンチテーゼ~言葉なんていらない

SNSとは何かと言えば”ことば”なんですよね

ソーシャル・ネットワーキング・サービスはもちろん、言葉だけで成り立っているわけではなく、画像や音声や音楽、映像、そしてリアルタイム配信なんかもこれに含まれるわけで、言葉だけですべてが完結しているわけではないのですが、 LINE等のコミュニケーションがスタンプによって成り立つことも含めて、それでもSNSとは”ことば”なのだと思います

なぜか

たとえばこんな画像がSNSで流れれば、みんな”おめでとう”とか”ミッキーだ!”とか”おいしそう”とか”ろうそくなが””とかそんなメッセージを書き込むのだと思います

この画像からわかることは”誕生日”、”キャラクターケーキ”、短い蝋燭と長い蝋燭の差が大きい”あたりは誰でも気づくでしょう

しかしこの画像にこんなコメントが添えてあったらどうでしょ

”これが最後の誕生日になってしまいました”
或いは
”また来年お祝いができるかどうかは、医者にも神様にもわからない”

しかし、そんなコメントに気付かずに”おめでとう”とか”ろうそくの長さやばい”なんてキャプションをつけて拡散したとたんに、いろんな齟齬が発生し、混乱が生じます

つまり写真や動画といった目で見る情報というのは、そこに映っていない情報は当たり前に欠落してしまいます

また、よく見ると木製のテーブルの上は微妙に散らかっていて、いや、もしかしたら、これはテーブルの上ではなくフローリングに直接置いてあるのかもしれない
更に言えば、ここには祝う人も祝われる人も映っていないのですから、すでに亡くなった人に向けた悲しい誕生日なのかもしれない

画像や映像は主語にはなれても、文法的には未完成の情報であること、または被写体の切り取りであって、主語のすべてを表していない、またはどこが主語なのかを明確に指示しているとは限らないということです

故に”ことば”は大事にしなければならず、その言葉の意味を正しく知るためには”ことば”が使われている文脈を理解する必要があります

つまり”ことば”を大事にするということは、文脈を探る注意力が不可欠と言うことになるのですが、SNSではその文脈が正しく伝わらないケースが見受けられ、それによって起きる摩擦は、場合によって大きなダメージ=炎上ということになりかねません

とまぁ、これは少々大袈裟な話ですが、炎上しなくとも、意図したことが伝わらないということは、日常生活~つまり会話の中でもよくあることであり、人は身振り手振り、表情などを使って”ヤバイ”と言う言葉を使い分けますが、それでもやはり大事なことは文脈なのです

それでも”あつい”といえば、暑いのか熱いのかでもさして変わりませんが、厚いとなればまるで意味が違ってくるわけで、”ことば”そのものにも漢字を使うことで記号的に正確な意味を伝えることができるわけですが、文脈さえ押さえておけば、感じでなくても正しく意味は伝わります

”ゲキアツ”というのは、<激厚=確実性>もあるでしょうし、<激熱=興奮度がたかい>もあるでしょうし、なんなら<激圧=迫力>というところまでカバーするのかもしれません

また文脈と言っても万能ではなく、句読点のつきかたによって、まるで意味が変わってしまう文章もあるわけでよく笑い話で使われるのが

ここで、はきものを脱いでください。
ここでは、きものを脱いでください。

ということになりますけれど、まぁ、これは極端としても似たようなことはわりと身近で起こり得ます

さて、ここまではどちらかというとテクニカルなお話でしたが、過日、バーで飲んでいるときに、明らかにおっさん・・・僕より多分年上かもしれないですが、彼は・・・いや、彼女はと言うべきか

服装や髪形(人工物かとは思う)は女性です

僕との会話はおっさんでしたが、どうやら普段・・・というか女性がいる前ではもっと普通に”オネェことば”でしゃべるそうです

彼女曰く、

幼少のころからわたしはこんなのだったの、父親とはそれで殴り合いのけんかもしたわよ。でも母親は少し理解してくれていたかもしれないけれど、わたし、こんなんだから・・・まぁいろいろと誤解されるのよね。もう慣れたけど

(脚色有も大義はそんな話)

”父親と殴り合い”という時点で男じゃんって思うわけですがスルー

その店で一番リーズナブルな角ハイボールを飲みながら、ときどきマスターにおいしそうに見えるハイボールの作り方などを指導しつつ、僕とは組込系のプログラムや昔使っていたコンピューターがいかに非力であって、そこにアッセンブラ(プログラム言語)を詰め込むのにどれだけ苦労したかと言う話を、オネェ言葉なしに普通の技術屋として散々語っていました

そしてこれからの人生のことをいろいろと語りはじめ、どんな死に方が幸せかと言う話になったときに彼女が言うには

最後は腹上死がいいにきまってるじゃない

僕はおやおや、と思いながらも

そうですね、僕の大好きなザ・フーと言うバンドのベーシストは最後、コールガールとホテルで一夜を過ごして腹上死したらしいですが、ロッカーとしてもっとも見事な最後だったと思います

と話を広げて、そこからしばらく音楽の話(特にプログレ)で盛り上がったあと、彼女はもう一杯だけを二回繰り返して帰って行きました

さて、入れ替わるように僕の大好きな飲み友達のお姉さんが来店、先ほどの彼女の話で盛り上がりました

お姉さん曰く

あの人は女装をした男よ、女装をして女性の警戒心を解いて身体を触ったり、食事に誘ったりしてるんだから

”女装した男性”ってことばも本来は女装というだけで男性を示すもの、うまいことを言うなと思いつつ

さぁ、僕の出番です

間違いないですよ
だって、死ぬなら腹上死がいいって言ってましたもの

その日は会話が弾む、楽し夜になりました

僕が言いたいのは、”腹上死”なんていうキャッチ―な言葉をなまじアウトプットしてしまったことで、その人の本音というか、本質と言うか、ありようが露呈してしまう瞬間があるということ

そして、そんな面白いネタは、その場で”おっさん、その恰好で腹上死ってどないことやねん!”と突っ込むような危険をおかすよりも、楽しい仲間と笑い話で、明日には忘れてしまうくらいの消費の仕方の方が愉しいということです

つまり、使い時を心得ない”ことば”なんて、ないほうがいいというお話でした

それにしても、彼女が実際にどんな人かはわかりませんが、恐らく珍しく、僕のようなおっさんに二度ならず三度もボディタッチをしたということは、なんでしょう、おっさんずラブなんですかね

まぁ、どちらにしても、御免こうむりたいものです

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?