アンチテーゼ 肯定する僕を否定する僕
為すことが、正義、正論、正当性があったとしても、そこに1ミリでも悪意や嫉妬や欲が絡んでいたとしたのであれば、それはやはり 悪なのだ
故に純粋な善行など、望むべくもなく、まして人に期待すべきではなくても、どこかでそういうことがあって欲しいと思う
だから裏切られて、傷ついたり、怒ったり、悲しくなったりする
だけどそれは間違いなのだ
他人を偽ったり、自分を偽ったり、何かを為すということには、そういう影が付き纏う
自分の正義を信じ切ってはいけない
他人の正義を信じ過ぎてはいけない
同じように
自分の悪を否定してはいけない
他人の悪を観て見ぬふりをしてはいけない
全部自分の中の、どうしようもなく混沌とした欲と節度と正しくありたいという心と、低きに流れてしまう惰性と、それら何もかもが自分自身なのだから
ひとつひとつを眺めてはいけない
すべてを観て、良しと思ってはいけない
今に拘ってはいけない
過去を捨ててはいけない
未来に先延ばしてはいけない
刻まれる時と時の間には、計ることのできない時が流れている
それが途絶えることなく流れる時の姿
その存在を軽んじてはいけない
”ある”ということは、そういうことなのだから
”ない”ということは、偽りを用いなければ見いだせないのだから
あってもいいし、なくてもいい
だから望めばそれはあり、望まなければないのとかわらない
正しくあろうと思い続ければ、途中に誤りがあってもたどり着く真実がある
悪を否定し続けて行ったどころで、身を削るだけで、決して消し去ることも、ぬぐい去ることもできない
だから問い続けなければならない
これでよかったのかと
だから急いではいけない
これでよしと
鏡よ、鏡、鏡さん
世界で一番僕でない僕はだーれ?
鏡が映しだしたのは、やはり僕だった
自分を生きるというのは、かくも難しく、厄介なのだ
鏡よ、鏡、鏡さん
世界で一番僕なのはだーれ?
鏡は、沈黙した
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