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家族と写真

私は、写真と文章とその他もろもろで生活をしている。実際はフリーランスを辞めたサラリーマンフォトライターってとこ。仕事は、そこそこに楽しいというか楽しくなるように努力している。かなり激務な職場で、休みはなかなか取れない。3月に2日休みを取って、実家に帰る予定を立てていた。本当に、ひさびさに家族に会いたかった。祖父にも祖母にも会いたかった。ただ、実家はとんでもない田舎で札幌から電車で2時間、さらにバスに乗り換えて3時間という北海道の僻地。片道5時間以上かかる実家に帰る行為は、東京に行くよりも大変だ。それでも3年近くきちんと帰れてなかった実家。元気にやっているところを見せに帰る予定だった。そんな矢先、母親から急に連絡が来た。

じいちゃんが死んだ

それはすごく突然で、信じられなかった。病気知らずで、介護保険も全く使わずいつも元気な祖父が他界したという報告。お風呂場で亡くなっていたと母は言った。誰にも看取られずに、祖父は亡くなった。すごくきちんとした性格の祖父は、毎日日記をつけていて、料理も洗濯もなんでも自分でできて、自分のことよりも、私や家族の心配ばかりする優しい優しい人だった。祖父が私にしてくれたことは、数知れずたくさんなのに、私が返せたものは何もない。最後に元気な姿で会ったのは3年前。仕事ばかりをしていた、自分のことばかりを優先していた自分が心底嫌いになった。もう一度会えるなら、じいちゃんの写真をたくさん撮りたい。じいちゃんと家族が幸せに笑っているところを写真に撮りたい。私、仕事頑張っているんだと作成した雑誌を見せながら、胸を張って言いたかった。会いに来れなかった3年間死ぬほど努力して、今の仕事を頑張っているんだと。だけど、祖父はもういなくて、それでも私の日常はなにも変わらなくて、葬式を終えた翌日にも仕事があって、世界は何にも変わらないんだと知った。祖父の死顔はとても綺麗で、今にも優しい声が聞こえそうだった。

父親と病気

祖父が亡くなったことで、急遽思っていた形とは違うかたちで、実家に帰ると父親がげっそり痩せていた。実家は酪農で、とてもきつい肉体労働だ。父親が怪我をして、その痛みで食事が取れなくなったと母親が言ってきた。父親はヘビースモーカーで、酒もたくさん飲む人で、そんな人が一口も酒も飲めず、タバコも吸えないという。確定申告やら家業のこと、さらに今回は祖父の葬式もあり、病院にも満足にも行けてないことをその時知った。もともと、病院が大嫌いな父は病院にも行ったことが大してないんだが。また私の地元は診療所しかない。大きな専門病院へは、車で1時間以上かかる。それでも、父親の姿を見たらすぐにでも病院へ連れて行きたくて、私は無理をして、兄と父を連れて市内で一番大きい総合病院へ行った。精密検査をして、わかったことは1つ。怪我だとかそんな話ではない。かなり深刻だった。その時、父親にかける言葉が何にも見つからなかった。家業を終えて合流した母親は、今にも泣きそうだった。以前にソーシャルワーカーもやっていて、そういう患者の家族もたくさん目にしてきた自分が、しっかりしなければと思った。すぐに父は入院し、さらに精密検査をしなければならなかった。

しっかりしろ

何回自分にその言葉をかけただろう。一番辛いのは父だ。そして母だ。神様はなんて残酷なことをするんだろうと思った。殺すなら、病気にするなら、私にしてくれと何回願ったんだろう。そして、仕事があるためにそんな不安な母と祖母、父を置いて札幌に帰らなければならない自分が心底クソだと思った。それでも仕事を終わらさなければ、本当に本当に一大事の時に駆けつけられない。後ろ髪を引っ張られる思いで、札幌へ向かうバスに乗った。涙が止まらなかった。仕事を今すぐにでも辞めて、父の側に居たかったが、写真の仕事をするわたしを一番に応援していたのは父だった。仕事を辞めるのは父が一番悲しむ。そう思ったら絶対に何があっても辞められない。そして祖父のときと同じ思いをしたくない、させたくない。無理をしてでも、月に2回は実家に帰ろうと決めた。

一番大事なこと

私は写真家であり、カメラマンだ。人様の家族写真やらカップルの写真、子供の成長写真やら、ウェディング写真たくさん撮ってきた。なのにその反面、一番大事な自分の家族の写真はあんまり撮れていなかった。父親は写真が好きで、うちの家のカメラマンは小さい頃から父親だった。家族写真を心底撮りたいと思った。本当はもっともっと元気な父親の姿を撮りたかった。病室じゃなくて、実家で元気にビールを飲んで、しかめっ面の父親とニコニコ笑う母親と祖母と兄と、猫のリリと、兄夫婦と姪と甥と。一番愛してる人たちの写真を、私も笑って撮りたかった。

家族写真

私がこれからやることはただ一つ。ひたすらひたすら、家族写真を撮る。私の大事な家族を写真に撮る。祖父のときのような後悔を残さないように。大事な家族写真をたくさん残す。ピンボケ写真だろうと、白飛び写真だろうと、ブレてる写真だろう何だろうと出来る限りのたくさんの思い出を残すこと。父親が私たちにやって来てくれたことを今度は私が。父親には元気になってもらわなきゃ困るんだ。私のいつかわからないヴァージンロードを一緒に歩いてもらわないと困るんだ。これからも笑って一緒に写真の話をしたいんだ。
これは、あくまでも誰かに向けた言葉なんかじゃなくて、私が楽になるために、私が行動に移すための決意表明。明日も笑って家族揃って、一緒にくだらない話をするための決意表明だ。特別な日なんかじゃない、なんでもないどこにでもあるような日常会話が、日常写真がこんなにも今の自分たちにとって大切なものなんだと、こんなことになって改めて気づかされた。私は明日も、写真を撮る。明日も笑って仕事をする。一枚でも多く、父親にこの写真を撮ったんだと笑って言えるように。どうか少しでも元気でいてくれ。元気になってくれ。ただそれを願う。本当に、元気でいてくれ。本当に。

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