メルシーベビー
「あったらいいな」をまとめています。なんでも思いついたことを書きます。
主にドイツ、フランス、それから日本の詩をご紹介していきます。訳は基本的に拙訳。詩の背景や作者にも言及しつつ、自分の感想なども書いていきます。不定期更新。
家族の話。
仕事が中心のエッセイです。建築業界、不定期連載。
短編小説と散文を集めています。
見る夢が普通になってきた。産後はなぜかしばらく、夢が3D映像みたいに見えたのだ。妙に立体的な映像がまぶたの裏に浮かんで、なんでいきなりそうなるのかわからなかった。 出産で夢の見え方が変わるなんて、そんな話聞いたことないな……。ずっとそのままなのか、産後すぐだけの話なのか。よくわからないまま過ごしてみたら、答えは後者だった。 近頃は前と同じように、映画のような映像で夢を見る。なんだろう、わかっていたけど、心身ともに「出産」っていう事態は大きなことなんだな。 知人
「誰にでも好かれる」なんて所詮は不可能なのだけど、それにしてもサブレを嫌いな人はいないだろう。出産祝いに届いた箱の中の、丸いお菓子を見ながらそう思っている。かおる堂のカオルサブレ。 かおる堂とは、地元秋田で名の知れたお菓子屋さんで、小さい頃からごくあたりまえにその名前を目にしてきた。いま改めて、その箱やパッケージを見ている。中に入っている、この絵は東郷青児か。名物のサブレにはちょっとしたポエムも書かれて。 サブレは好きだ。素朴でおいしい。クッキーに近いが、サブレの
「幸福は、一瞬吹いて去る風みたいなもの」とエッセイに書いていたの、川上未映子だったかな。これは本当にその通りで、たとえば今みたいに、なんかいい感じの曲がラジオから流れていて、それが誰の曲かわからないとき。もしくは赤ちゃんから、ほんのりいい香りがするとき。消えるから価値のある瞬間。
「世間ではよくこう言われている」ことを、自分に言った人はほとんどいなかった。親が離婚すると子どもは不幸なものだ、とか。女は結婚して子どもを産むものだ、とか。あるいは、片親育ちだと健全な子に育たない、とか。 自分の周りにいた人は、だいたい最初からこう言っていた。 「結婚したまま親がケンカばかりしているより、さっぱり離婚して暮らしたほうがいい。そのほうが子どものため」 「結婚しなきゃいけない時代じゃない。子どもを持たない選択肢もある。いまは高齢出産もめずらしくないから
産後ケア宿泊が終わる。24時間体制で赤ちゃんをあずかってもらえて、食事は3食、部屋まで運んでもらえる。助産師さんたちによる、毎回の母乳指導付き。なかなか贅沢な経験だった。 いまは自治体の補助があるので一日5000~10000円で泊まれるけど、補助が切れると一泊3万円になる。助産師のひとりは「私たちはずっといてもらってもいいんですけどね、一泊3万っていうと……うん、私なら考えちゃうかな」とコメントした。 「贅沢」と書いたけど、もちろんいろいろ制約はあった。基本的に
16歳のときの一年は、まちがいなく特別だった。いままでの人生で一番印象に残っている一年は、と訊かれたらきっとそう答える。 なにもかもが新しい年だった。親元を離れて女子寮で暮らすようになった。初めての、知り合いのひとりもいない街は、あらゆるヘマをするのに最適だった。 ひどく似合わない髪型にして、寮にいる年上のおねえさんに嗤われた。同級生の路上ライブに「これも経験かな」と思って付き合ったけど、結局都合のいいパシリになっただけだった。休日は部屋にいるか、ご飯を買いにコ
産後ケアの施設にいる。出産を報告した人たちは、次々にお祝いをくれる。優しく賢い人たちは、暗に陽に、これからの育児についてアドバイスをくれる。 親による子殺しは、母親によるものが圧倒的に多いこと。閉鎖的な家庭では虐待が起きやすいこと。母親と子どもがベッタリだと、父親が除け者になり、結果的に家庭の崩壊につながりやすいこと。 時に「子どもより夫が大事」と考えたほうがいいこと。それが世間の常識に反するように見えても。 みたいなことをあからさまに言うわけではないけれど、「だから産
「(赤ちゃんが)お母さんによく似てますね」と言われる。これで2回目。似てるのか、大丈夫かなあと思う。嬉しい気持ちにはならない。自分の血をダイレクトに継いだ誰かが世の中にいる、その事実にいまだ戸惑っている。 てっきり旦那さんに似ると思ってた。自分の痕跡はどこにも残らないと思ってた。
産後ケアの施設でこれを書いている。 「産後リゾート」みたいなおしゃれなホテルではなく、建物は木造で古い。それでも掃除は行き届いており清潔で、何より人とご飯が優しい。旦那さんが、ここ1週間は仕事に集中したいと言うので、乳幼児を連れて連泊することになった。 助産師さんに「赤ちゃんお預かりしますね」と言われて、整えられた部屋に一人になる。少し楽な気持ちになる。楽になるってことは、いままでが張り詰めていたということで。 ああ、疲れてたのか自分。家にいて、赤ちゃんとずっと一緒の生
お食事中の人がいたら、食べ終わってから読んでほしいのだけど。赤ちゃんのウンチというのは、飛ぶときはよく飛ぶんですね。知りませんでした。 新生児の便はやわらかい。産院で初めてオムツを変えたときは、見て「下痢でもしたかな?」と心配になった。それくらいグチャッとしていて、液状に近い。生まれて最初のほうの便が黒いのは、羊水にいた頃の名残だそうだ。母乳生活になるとこれが黄色くなる。 と、そんな「赤ちゃんのウンチの変遷」みたいな話は置いておいて、オムツにはもっと進化してほし
助産師さんが「この世は赤ちゃんにとって残酷な場所なんですよ。いままで何もしなくてもお母さんから栄養をもらってたのに、突然『自分の力で生きていけ』になっちゃうから。でもその人たち、あったかくしてお腹がいっぱいになればよく寝ます」 わかります。私もお腹いっぱいで温かいとよく寝ます。
出産して1週間ちょっと経つ。義理の両親は、産院にいるあいだに孫の顔を見に来た。ふたり揃って仲良く。 離婚した実の両親のほうは、いまだにどちらも顔を出さない。ふたり揃うことは離婚以来なかったし、これからもないだろう。 別にそれでいいと思っていた。そんなものだと考えていたから。 義理の両親は、旦那さん曰く「仲が悪くて喧嘩ばっかりしてるわ」。旦那さんの弟曰く「うちの両親見て『結婚したい』思うか?思わんやろ」。つまりは特別仲がよいわけではないらしいのだけど、それでも
産休前まで進捗を追っていた物件がニュースになっていた。巨大な建物で、いざこざがありながらもどうにか竣工したことで記憶から外れていた。ニュースでは、そこで働く人を募集した結果、地域の人手を吸い上げていると報道していた。 何かが建つと、多かれ少なかれ周囲の環境を変えてしまうと実感。
子どもが生まれると「家族」という言葉がしっくり来るようになる。旦那さんと二人家庭だったときの「夫婦」の感覚ではなく。そうして「家族を持つ」と、そうなれなかった人たちについての記憶が、ふっと頭をよぎる。 5,6年前まで、自分も家庭なんか持てないと思っていた。当時はまだ20代も前半で、でも誰とも付き合ったことがなくて、そういう自分がコンプレックスだった。恋愛経験がない、どころじゃない解決しなきゃいけない問題がたくさんあって、ずっとボロボロだった。 普通に結婚して、普
大前提として、自分の場合は無痛分娩で安産だった。出血量少なめ、会陰切開(赤ちゃんの出口を切って広げる。出産後に縫い合わせる)の傷も、医者によると「きれいなもの」で、まもなく治ると言われた。座ると痛むけれど、これでも順調なほうらしい。 出産のときには、当然けっこうな量の血が出る。そのため、2,3日は立ち上がるたびにクラっときた。倒れたりはしてない。食欲もあり、術後3時間後から、産院で出る食事を食べていた。食事のおいしいところで、毎回残ることなく胃に入った。 貧血と
出産を終えた。幸福の絶頂か、地獄の始まりか知らない。たぶんそのどちらでもないと思う。 産院にいるあいだ、新生児お母さんアンケートがあり「子どもをかわいいと思いますか」という項目があった。どうだろう。赤ちゃんをお世話するのは人生で初めてで、見慣れない生きものだなあと感じる。最初の感覚は、本当にそれくらい。 出産した途端に母性があふれてくる人もいるらしい。自分に関してはそのパターンではなくて、「かわいい」という感覚はよく理解できなかった。すべての瞬間が「初めてまして