どうせなら楽しい劣等感を持つ

劣等感というと悪いもののように言われがちだけれど、他人と比較しないで生きていくなんて不可能だ。今日はその話を書きたい。

劣等感のおもしろい(?)ところは、とうてい不可能なことにはその気持ちが及ばないところだ。自分はスポーツにあまり縁がないので「どうして自分はもっと早く走れないんだ……」と思い悩んだことはないし、「あの投手に比べて自分のほうが肩が弱いなんて、どうすればいいんだ……」と考えたこともない。まるで自分に関係のないことには、劣等感は働かない。ミケランジェロのような彫刻が作れなくても、北斎のような浮世絵が描けなくても、それは自分を責める理由にはならない。

視点を変えて言えば、そこに劣等感を持っている人は、既にけっこうすごいのだと思う。「北斎みたいな絵が描きたいのに描けない!」と自らの非力を嘆く人は、既に素人以上の画力の持ち主だろう。だから「そもそもそこに劣等感が持てるってすごいね」という視点があることを、まず書いておきたい。「自分が劣っている」という自覚は、向上心のない人間には持てない感覚なのだ。

自分のことを振り返ってみても、ある程度、自分ができることだったり、できると信じていることにしか劣等感は働かなかった。「○○で一番になれなかった」と悔しい思いをするのは、一番になれる可能性があったということだし、「あの子のほうが認められている」と悔しく感じるときは、自分も認められるくらいの努力はしているときだった。だから、劣等感を覚えるときは「あー、自分も頑張ってるんだなあ」くらいに思うのが健全で、それ以上落ち込むべきじゃないと思う。

あるいは、いっそもっと派手に落ち込んでみるとか。
絵がうまく描けないと落ち込んでいるなら、そこらへんのイラストレーターとかではなく、レオナルド・ダ・ヴィンチやピカソと自分を比べてみる。有名な女優を目指しているなら、マリリン・モンローやオードリー・ヘップバーンと張り合ってみる。そこまでやれば、小さなことは気にならなくなるんじゃないだろうか。なにせ歴史に名前を残す人たちがライバルなのだから、ちょっとやそっとのことではへこまなくなる。むしろ視野が広がっていいかもしれない。

そういえば、ビジネスの世界で名を馳せた人(稲盛和夫だっけ?松下幸之助?)が「リーダーは歴史と勝負せよ」とおっしゃっていたらしいので、私の言うこともそれほど間違ってはいないと思う。どうせ落ち込むなら、スーパースターと比較して落ち込んだ方が、きっと人生は楽しい。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。