それ、本当に好き?

「どうしてもやってしまうこと」と「好きだと思っていること」は違う。

誰だったかレスリングの選手で「最低の女でも、自分がその女を愛してしまって離れられないとしたらどうする?俺にとってはレスリングがそれなんだ」と言った人がいるけれど、前者はまさにこれである。気づいたらしていること、しないと落ち着かないもの。

自分なら、読み書きすることや自分について考え分析することがこれに当たる。自然にしていたことなので、あまり深く考えたことはなかったのだが、一日に一度もまとまった文章を読む機会のない人を見て衝撃を受けたり、自分に無頓着な人の存在を知って「これは自分の特徴なんじゃないか」と思ったので挙げておく。

前者に対して「好きだと思っていること」は、少し力んでいるように見える。条件が違ったら嫌いになってしまうもの、理由があって好きなもの。ひょっとしたら、人目を気にして好きと言っているのかもしれないし、好意はあるけど、なくても困らないもの。

自分の場合、紅茶がこれだった。小学生の頃から愛飲していて、農園や季節による茶葉の違いを楽しめるようにもなっていたから、自分は紅茶が好きなんだと信じていた。それなのに、カフェインを避けようと思った瞬間から、ほとんど飲まなくなってしまった。そして別に困らなかった。つまり、そんなに好きじゃなかったのだ。

生きている間、何をすべきか?と言ったら、当然「どうしてもしてしまうこと」のほうであって、これを大切に生きていけば不本意なことは減るんじゃないかと思う。最低な女でも愛してしまうのと同じように、どうしてもしたいことは、多少つらくても続けていける。好きだと思っているだけのものは、理由がなくなればきっとやめてしまう。それはきっと「好き」の純度が低いことだから、さっさとやめたほうがいいんじゃないか。「本当に好きなのか、好きだと思っているだけなのか」を見極めるのは、やめてみればわかる。

荒療治ではあるが「何か変えたい」と感じている人は、一番好き(と思っている)ものや、一番得意なものを一旦、手放してみるのが利くと思う。それでもまたやりたいと思うものが、本当に好きなものであって、少し離れたくらいで思いが離れるくらいなら、きっと本音ではどうでもいいものなのだ。

それにしても、冒頭で挙げたレスリング選手の名言、調べているのに出てこなくて焦っている。プロレスだったのだろうかと思って「プロレス」で検索をかけても見当たらない。そして、自分にとってこういう作業は、まったく苦にならない。楽しい。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。