悩みが持っている大切な意味

うまくいかないことにも積極的な意味は必ずある、ということについて考えている。

以前、フロイトの本からこんなことを考えた。同じような痛い目に何度も遭う人は、どこかで「今度こそそれをうまく乗り越えたい」という積極的な気持ちがあるのだ、という話が出てくる。

うまくいかないことの積極的な意味とは具体的にどういうことか?
例えば「仕事ができなくて、同僚や上司との関係が悪い」と悩んでいる人がいるとして、どうしてそれで悩むのかを考えてみたい。世の中には、いくら仕事の出来が悪くて周囲に呆れられていても、一向に意に介していない人もいる。それなのに、この人はどうしてそれで悩むのか?

これはあくまで例だけれど、その人は本当は「仕事ができるようになって、周囲の人の役に立ちたい。取引先にも大きな利益を提供したい」という強い欲求を持っているのかもしれない。悩みに対して「そんなことで悩むことないよ。世の中、もっと気楽に生きてる人もいるよ」と言うのは簡単だが、この場合、それはかえってその人のよさを潰してしまうアドバイスになりうる。そうではなくて「あなたは人の役に立ちたいという思いが強いんだね、それはとてもいいことだと思う」と、相手の持つ能動性に着目するほうが、ずっとお互いに幸せじゃないだろうか。

あるいは「恋人がいない」という悩みもそうだ。単純にパートナーがいるかどうかの問題だったら「このご時世、シングルの人はいっぱいいる」「パートナーがいるからって幸せとは限らない」と言うことはできるだろう。だけど、この人は本当は、もっと別のことで悩んでいるのかもしれない。つまり「パートナーのいる人は、相手に愛情を与えて幸せにしている」「私も人に愛情を注ぎたい、誰かと深く関わることで誰かを幸せにしたい」と心の奥底では考えているのかもしれない。表面的な問題は「恋人がいない」であったとしても、本当は「愛情を注いで誰かの幸福に貢献したい」と思っているのだとしたら、解決策は婚活ではなくボランティアかもしれない。

だから大事なのは、悩みの裏にある「本当は何がしたいのか」に気づくことだろう。それは「どんな自分になりたくて悩んでいるのか?」という質問に変えることができる。今の問題を解決して、どんな自分になりたいのか。社会の役に立っている自分になりたいのか。誰かに愛を注げる自分になりたいのか。

人の悩みは、いつも理想と現実の差から生まれる。なら、悩みの当の問題にばかり気を取られるのではなくて「何を理想だと思っているから悩むのか」にフォーカスしたほうが、より前向きに建設的に生きていけるんじゃないだろうか。

根暗で友達がいないのを悩んでいる人は、本当は自分の優しさやよさをもっといろんな人に知ってほしいのかもしれない。自分の外見が醜いと悩んでいる人は、綺麗になって、自分を見る人に美しさを与えたいのかもしれない。悩みには、必ずどこかに肯定的な意図がある。だから、安易に「そんなことで悩むな」と片づけるより、どうなりたいのか、本当はどうしたいのか、その悩みの背後にあるメッセージを考えること。その上で悩むことを勧めていきたい。

悩むのは悪いことじゃない、むしろどこに進むべきかを教えてくれる、ひとつの羅針盤になりうるのだ。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。