ただ信じることがそんなにも大切で

人が落ち込んだり悩んだりしている時に、他人ができることは実際そんなにないのだと思う。結局は、本人がそこから立ち直り自分の足で立てると信じて待つ以外にないんじゃないか。そんな風に思う。

気落ちしたり悩んだりしている人に対し「励ます」という選択肢もあるが、これはすごく慎重になる必要がある。落ち込んでいる人に対して励ましの言葉をかけることは簡単だけれど、それは時として「あなたが気落ちしていると私も悲しくなる。早く立ち直って私を安心させて」というエゴの含まれたものになる。自分はこういう人に接したとき、いつも複雑に傷つけられてきた。

彼らは「あなたのおかげで元気になれました」という感謝の言葉を期待して、他人の話を聞きアドバイスする。下手すると、悩みを打ち明けた側が少しでも回復した様子を見せるまで、励まし続けることを止めない。それは「誰かを助けることのできる私」への陶酔であって、本当に相手の問題を解決しようとは考えていないように見える。彼らは一見「話を聞いてくれるいい人」であり、同時に「自分が善人だと信じるために、他人の不幸を利用しようとする人」でもある。

本当に悩んでいる人は、少しの励ましで立ち直るなんてことはできない。そういう人々に対して「私に話してみて。話したら楽になるわ。楽になったでしょう?元気になったって言って、私を安心させて」という身勝手な要求を押し付けるのは、ただの身勝手、善意を装った自己満足だ。

あるいは「世の中にはもっと苦しんでいる人もいる」「あなたは幸福なのよ」と教え諭すのも、ほとんどの場合、悪手だと思う。不幸比べはしたらキリがない。自分が幸せであることを確認するために他人の不幸を必要とするのは、不健全で、自分ひとりで「私はあの人よりマシだから大丈夫」とひっそり思うのは仕方ないにしても、人に勧める方法ではないだろう。

だから、最後には「私はあなたに価値があると信じているし、あなたには力がある。あなたが必ず立ち直ると信じて、ずっと待ってる」と伝える以外にない。「私はあなたを自分の自己満足のために利用したりしないし、他人と比べたりもしない。ただあなたのことを信じている」と言うこと。

悩みは、自分を信じられなくなってしまうから生じる。自分が乗り越えられると信じている人は、あまり悩んだり苦しんだりしない。そうではなく、自信を失って苦しんでいる人のことは、誰かが代わりに信じるしかなくて。だから人の話を聞く上で一番大事なのは、相手を信じてあげること、それ以外にないんじゃないだろうか。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。