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霊・神かかりと審神(さにわ)

 世界中が霊かかりとなると申してあるのは今のことであるぞ、かかりている世界自身わからなくなっているぞ、審神(さにわ)せねばならん、審神の方法書き知らすぞ。世界を、日本を、自分を審神せねばならん。
 目に見えぬところからの通信は、高度のものほど肉体的には感応が弱くなり、暗示的となるものであるぞ、ドタンバタン、大声で怒鳴り散らすのは下の下。神もフトマニに従わねばならん。順を乱すわけには参らん。高度の霊が直ちに肉体人に感応することはなく、それぞれの段階を経て感応するのであることを忘れてはならんぞ、下級霊は現実界と紙一重のところに住んでいるのであるから、その感応は極めて強く、如何にも尤もらしく人民の目に映るものであるぞ、高度のものは、その人民のミタマの如何によって、それと同一波長の神霊に伝達され、その神霊の感応によって表現されるのであるぞ。特別の使命をもつ天使は、最下級の霊界まで降って来て、人民に特別な通信をなし、指示することもあるぞ。また天使の霊が母体に宿り、人民として生まれてくることもあるぞ、末世にはこの種の降誕人が沢山あるぞ。

日月神示 五十黙示録 第四巻 龍音之巻 第三帖

お久しぶりです。これからしばらくは、日月神示の引用を不定期ですが、続けていく予定です。

今回引用したのは五十黙示録(いせもくじろく)といって、日月神示は最初の神示から一巻ごとに名前がつき、これが第三十巻「冬の巻」でいったん終わります。その後に再開されたのがこの五十黙示録で、これはそれまでの三十巻とはべつに、また一巻からはじまり全七巻となりますが、最初の三十巻の終わりの七巻は「人民に与えたもの」、五十黙示録の七巻は「神、人共に与えたもの」とこの龍音の巻の第一帖にあります。

すなわち五十黙示録の内容は人間だけに向けたものではなく、人間界とは別の次元(神界、幽界 ※詳しくは別の箇所で解説します)の霊的存在である「神」にもあてられたメッセージだということです。

そういうメッセージというだけあって、内容はこれまでの神示よりもさらに深遠な、霊的な知識についての事柄が主になっていますが、なかでもこの第四巻 龍音の巻は霊的存在が人に憑依したり、神人合一といって人と高度な霊が内的に結合する事象などについて解説されています。

今日はその最初の部分を紹介しました。以下は、その解説になります。最近、アカシア茶やLSDなどでサイケデリクス体験をする人が増えているようですが、その際に起こり得るのが、霊的存在との遭遇です。これにも様々なケースがありますし、わたしも知らないような事象もあり得ますから、すべてに対応できるような心得を示すことはできません。その代わりといってはなんですが、日月神示に書かれているこのような霊的情報を紹介しておきますので、基礎知識として頭に入れておいていただけると幸いです。

まず、「審神」とはなにかというと、なんらかの手段でコンタクトのあった霊的存在の正体を見定めるということです。「審神者」と書くこともありますが、これは審神をする能力をもった人ということです。

神示には世界を、日本を、自分を審神せねばならんとあります。これが意味するのは、世界や国家という規模のもの(集合意識といってもよいでしょう)に憑依する霊的存在があるということです。これはいわゆる悪神で、九尾の狐や八岐大蛇などという名前の強力な悪神が某国にかかっているという記述もあります。が、ここでは人にかかる霊的存在の話に限って進めさせていただきます。

要点としては、明らかに神懸った、なにかが憑いたと分かるもっともらしいケースは例外なく下級霊によるものだということがまず挙げられます。

また、高級霊は人間の体にいきなり懸かることはありません。わたし自身の経験した龍神のケースでもそうですが、何年もかけて少しずつインスピレーションや暗示のようなものを通じてコンタクトが行われ、いよいよとなって高度な霊の波動に耐えられる程度に人間の身魂が磨かれていれば、本格的な合一が果たされます。

そのような場合、神人合一が起こったことによる変化は、周囲はもちろんのこと、本人でさえはっきりと自覚できるものではありません。ただ、わたしの場合でいえば、当初はそれまで心の底のほうに澱となって沈んでいたエゴが浮上してきて、一時的にちょっと妙な精神状態に陥りました。もちろん、いまはもうなんともありません。

神もフトマニに従わねばならん、とありますが、ここでいうフトマニとは、おそらく「ホツマツタエ」における宇宙図を用いた占いのことだと思われます。転じて、宇宙の法則には神も従わなければならない、という意味でしょう。ちなみに、日月神示をおろし、そこに書かれた神一厘の経綸を実行する神は「国常立尊」ですが、ホツマツタエでもクニトコタチという名前で登場し、『トの教え』という日本建国の理念を伝えたとされています。国常立尊がおろしている神示にフトマニという言葉が出てくるのも、偶然ではないようです。

最後にもう一点「特別の使命をもつ天使が最下級の霊界まで降ってきて人民に特別な通信をなしたり指示をすることがある」とあり「また天使の霊が母体に宿り、人民として生まれてくることもあるぞ、末世にはこの種の降誕人が沢山あるぞ」とあります。

日月神示では霊的次元の世界を神界と幽界(アストラル界)に大別しています。神界はさらに天国(高次メンタル界?)と霊界(低次メンタル界?)に分かれ、天国には天人、霊界には天使が住むとあります。ですからこの天使は低次メンタル界の存在と思われます。まだわたし自身も断定していませんが、ホーキンズ博士の用語でいえば天国は無形の天界(意識レベル600以上)、霊界は有形の天界(意識レベル500~599)に対応していると思われます。

こうした領域にいる天使が特命を帯びて人間界に降りてくることがあるということですが、これは聖書の中に出てくるまさに天使の話のことかなと思われます。また、こうした天使が人間として生まれてくることがあり、世の終わりにはこうした天使の魂をもった人が沢山生まれてくるそうです。

最近テレビなどでとても若い人たち(10代)が、わたしたちが子供の頃には考えられなかったほどしっかりとした言葉で話しているシーンをよく見て、毎回とても驚くのですが、彼らが天使の魂をもっているかはともかくとしても、畏敬の念を抱かずにはいられません。もし本当にそうした子供たちが天使なのであれば、いまはすでに終わりの世ということになってしまいますが・・・。

日月神示の存在意義は、終わりの世をどう迎えればよいかという教えに尽きるといっても過言ではありません。ですから、仮にいまが世の終わりに近いのであればなおさら、一人でも多くの人が日月神示を読んでくれたらと思います。

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