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リアリティ・トランサーフィンの考察㉑『内的意図と外的意図』


前回の記事では、ものごと(目的)を実現させるのは願望ではなく意図であるということをお話しました。

人生において、わたしたちには様々な目的が生まれては消えていきます。それは「ちょっとハンバーグを食べに行く」という他愛のないものであったり、「いい大学に進学していい会社に就職する」というその人にとっては重大なものであったりもします。

このような目的に重要性が加わるとき、その目的は「願望」となります。ここでの重要性とは例えば「なにがなんでも」とか「絶対に」とか「できなければ死んだほうがマシ」といったものになります。ここまでのトランサーフィンの考え方を理解していれば、この重要性が過剰ポテンシャルとなり、平衡力を産み出してしまうことが分かりますね。また、破壊的な振り子は重要性を餌として人を自分の信奉者に仕立て上げようとしてきます。

ゼランドは「願望は願望のままでは実現しない」と言っているわけですが、それは平衡力や振り子の周波数に同調させられることによって、目的を現実化させるための意図をうまく働かせることができなくなるから、というのがその理由です。

「おいしいハンバーグを食べたい」というだけなら、それはそのまま目的として実行(現実化)できます。ところが「おいしいハンバーグを食べたいけど、お店を選びそこなったり、味が自分にあわなかったりしたら最悪だなあ」という風になってしまうと、これは重要性が加わった願望となります。願望の思考エネルギーは目的そのものをああだこうだと考えることに集中してしまって、目的の達成には向かいません。

ちなみに、そもそもおいしいハンバーグを「どうしても」食べたいという願望がグルメ番組だとか食レポ系インフルエンサーの影響によって生まれたのだとしたら、それは振り子につかまっているということです。この場合は目的そのものが自分のものではなく、他人の(ここではテレビやインフルエンサー)目的の達成に協力していることになるのですが、これについては別の記事でとりあげます。

ということは、「願望から重要性を取り去って目的へと純化させる」ことができれば、あとは意図が目的をうまいこと現実化してくれるはず、という風に考えることができるわけです。

ところで、目的とひとくちに言っても、いまいるセクターや人生ラインで隣接しているセクターで現実化できるであろう目的もあれば、目的を抱いたその時点ではいつどうやって実現するのか想像もつかないような目的もあるわけです。

前者の目的を実現させるのは、現在の状況(現実)において、自分の力(意志と行動)でなんとかするという意図です。この意図のことを内的意図ということは前回の記事でもお伝えしました。内的意図については秘密のようなものはなにもありません。強いていえば、そのときそのときでベストを尽くすということが内的意図を最大限に働かせるコツということはできるでしょうか。

いっぽう後者の目的、つまり実現させるためには現在の人生ラインからみて離れた距離にあるセクターを現実化させる必要がある目的を実現させるのが外的意図というものでした。外的意図をうまく働かせることができれば、大きな目的を実現させることが可能です。なぜなら、外的意図とはいまの現実からべつの現実へと移動するための意図だからです。

イエス・キリストが起こした奇跡も、この外的意図の働きによって起こされたということをお話しました。このように書いていくと、外的意図とはなんだか魔法のようなものだな、と思われるかもしれませんが、前回の記事で書いたように、魔法と呼ばれるものも実は外的意図の働きを利用しているのでした。ここでキリストの奇跡についてのゼランドの記述を引用しておきます。

外的意図にとって不可能なことは何もない。もしあなたにキリストが持っていたような外的意図があれば、現実の世界でも空を飛ぶことができるし、水の上を歩くこともできる。この場合、決して物理法則に違反するわけではない。なぜなら、物理法則が働くのは、個々に選択され、物質的に現実化された同じセクター内だけだからだ。ところが外的意図の働きは、バリアントの空間の様々なセクターを経由する現実化の動きの中でのみ現れる。したがって、現実化されたひとつのセクター内で空を飛ぶことは不可能なのだ。可能とするためには地球の引力に対抗する必要があるが、それは内的意図の仕事であり、重力を克服するためにエネルギー消費が求められる。自由飛行は、夢の中であっても、現実生活であっても、物質空間におけるリアルな運動ではなく、あなたの現実化の相対的状況の変化なのだ。言い換えると、肉体が物理空間において次々に新しい位置で物質化されていくことである。
もうひとつつけ加えると、あなた自身が空間を飛ぶのではなくて、あなたの外的意図の選択に従って、空間があなたと相対的に動くのである。

「願望実現の法則」リアリティ・トランサーフィン〈2〉魂の快/不快の選択
ヴァジム・ゼランド著(以降の引用文も同じ)

この外的意図こそがトランサーフィンにおける最も核心となるものです。外的意図を使いこなすことがトランサーフィンの極意といってもよいでしょう。すごいですね。

……とはいうものの、みなさんもこれまでの人生において、外的意図を一度ならず使ったことがあるはずです。

ここで前回の記事で用いた表を再掲しましょう。

LibreOffice を使って表を作っています🙂


よいことか悪いことかを問わず、思いもよらない出来事が起きた、とか、運命が急転したという経験は、まあわたしのように50年以上生きていれば何度もあります。おそらくですが、比較的若い人たちでも、一度や二度は経験されているのではないでしょうか。

その中にはまさしく「大きな目的があって、それが実現した!」ということもあるでしょうし、「なぜそんなことになったのか自分でも分からない」ということもあるでしょう。また、「悪い予感が的中」することも時にはありますね。

実は、このようなケースが発生したのは、そこに外的意図が働いていたからなんです。これについて説明してきましょう。

内的意図の場合、意図しているのは理性=顕在意識です。つまり、あなたが自分の頭でそれを意図しているということです。そして、その意図を実行に移すのも、あなたのその意識、その思考、すなわちあなたの顕在意識です。これは問題ないですね。

ですから、内的意図とは要するに「~する、~しよう」という性質の意図のことで、それを「そうする」意図と呼ぶことにします。

いっぽう外的意図でも、意図するのはあなたの顕在意識です。しかしながら、顕在意識=理性は、いまいるセクターにある情報にしかアクセスできません。それができるのは、つまりバリアント空間の情報フィールドを読み取ることができるのは魂=潜在意識のほうです。このことについてはこちらの記事で詳しく説明しているので、必要ならおさらいしてみてください。

スクロールすると読みづらいので何度も貼り付けます😌

これでお分かりと思いますが、外的意図においては意図するのが顕在意識=理性であるところは内的意図と変わりませんが、意図を実行するのは魂=潜在意識であるということになるのです。

つまり、理性が意図したことを魂が現実化してくれるのが外的意図というわけですが、実行するのが理性ではないため、理性には「そうする」というふうには意図できません。魂がそれをやるので、理性としては「そうなる」と意図するしかないというわけです。

「そうなる」ということをもう少し詳しくみていくなら、「(理性である自分には達成する方法は分からないけれども)この目的は達成される」というニュアンスです。目的が達成されることを受け入れる、確信する、あるいは単に選択するということです。外的意図とはこのようなタイプの意図です。

ちょっと難しいのですが、ここで、「そうならない」という意図も、「そうなる」と同じものであると覚えておいてください。どういう意味かというと、「そうならない」という意図は「そうならない、ということに、なる」ということだからです。

内的意図についても同様で「そうする」という意図もあれば「そうしない」という意図もありえるわけです。「そうしない」は「そうしない、を、する」ということです。これも頭に入れておいてください。

そして、すでに説明していますが、外的意図はいまいるセクターの内部ではなく、外側にあるバリアント空間に対して作用します。ここまでの説明を一つにまとめたのがこの表になります。

ここで、あなたの人生で起きた思いがけない出来事をなんでもよいので思い浮かべてみてください。

本当に想像すらしたこともなかったことが起きたのだとすると、それがよいことであったなら、たまたまあなたは吉報のロープにつかまって幸運の存在するセクターへと移動していたのでしょう。もしそれが悪いことであったなら、そのときあなたはなんらかの破壊的振り子に関わっていたか、それとも平衡力を自ら産み出してしまったか、のいずれかになります。

しかし、思いがけないとはいったものの、薄々ではあるけれども、そんなことが起こるかもしれないと考えていたり、あるいはそんな予感はあった、という場合は、顕在意識にあらわれたその思考や予感を魂が現実化していたということになります。つまり、そのようなケースでは、あなたは知らず知らずのうちに外的意図を働かせていたということです。

でも、これだけでは外的意図がどのように発動しているのかが分かりませんね。単に「そうなる」あるいは「そうはならない」と強く意図するだけで、あるいはそのように選択するだけで、魂がそれを現実化してくれるのなら、なんでも望み通りになるはずだし、だいいちそこにはなにも秘密や秘訣といったものがないではないか、ということになりますね。

そうです。そこにはちゃんとした秘密や秘訣があるのです。言い換えると、外的意図が働くためには一つだけ条件があります。それは

理性と魂が一致する


ことです。

残念ながら、人生では魂と理性が何らかの受け入れられないことについて一致することがよくある。そのため最悪の予感が現実化してしまうのだが、それは外的意図の働きの最も典型的な例である。通常、人々は、自分たちが心底何を望んでいるのかは、漠然としかイメージできない。しかし、何を避けたいかについては、とてもよく知っている。外的意図を自分の意志に服従させるために必要なのは、魂と理性がポジティブな側面で一致することと、あらゆるネガティブな側面を自分の思考から放り出すことだ。

いままで説明してきたように、悪い予感が的中(現実化)するときもそこで働いているのは外的意図です。人間は悪い予感、つまり起こって欲しくないこと、避けたいことは明確にイメージできる反面、自分がなにを本当に欲しているのか、望んでいるのかは漠然としかイメージできないものです。

これはおそらく、人類の歴史において、生存するためには危険を回避することの方が幸運を獲得することよりも遥かに重要であった時期が非常に長かったからでしょう。

いずれにしても、ここがポイントなのですが、悪い予感は起こって欲しくないことですから、そこで理性は「そうならない」ことを意図しているはずです。つまり、予感される結果を否定しようと意図しています。それなのに、悪い予感は往々にして現実化してしまいます。

理性と魂が一致することで外的意図が働くのであれば、このとき魂はどう感じているのでしょうか? 魂の感じ方は本質的に「快・不快」の二通りしかありません。では、悪い予感を魂はどう感じているでしょうか? それは当然、不快であるはずですね。

そうすると、理性が否定していて、魂はそれを不快と感じているなら、そのとき理性と魂は一致していることになります。ということは、理性が肯定的な意図を抱いていて、それを魂が快く感じているなら、そのときも理性と魂が一致しているとみなせます。この二つのパターンのとき、外的意図が働くということです。

つまり、理性と魂がどちらもポジティブ(肯定・快)か、どちらもネガティブ(否定・不快)であるということが、理性と魂の一致の意味です。これを下のように図にしてみました。

夢の中と違って起きている現実では、
肯定+快の場合も達成されるために時間は必要です。

この図から分かるとおり、理性が肯定していても魂が不快なとき、あるいは理性が否定していても魂は快のときは魂と理性が一致していません。したがって、これらのケースではどちらも外的意図は働かないため、目的は現実化されません。

ただし、これはまた後で解説しますが、理性が否定しているにも関わらず、魂はそれを快く感じている場合というのは、理性にとってはその目的を達成する手段が分からないか、あるいは手段は見えているけれども実行することがとても困難に感じられるのですが、魂はその目的を達成したがっているということを意味しています。

魂がその目的を達成したがっているということは、それはその人にとって、生まれる前にこの人生で経験しようと計画してきた目的なのかもしれません。この場合はスライドという技法をもちいることで、理性を否定から肯定に変えることができます。つまり、このケースは目的が実現できる可能性があるのですが、トランサーフィンを学ぶうえで得られる恩恵がもっとも多いのはこのケースへの対処の仕方になるはずです。

いっぽうで、理性は肯定的なのに、魂がネガティブな場合は、そもそも目的自体が他人の目的である場合です。これについてもまた解説しますが、とにかくこの場合はどんなことをしてもそこに外的意図は働きません。つまり、魂が目的の達成に協力してくれることはないということです。

かなり長い記事になってしまいましたが、一番重要な部分なので一気に解説してみました。今回はここまでになります。ここから先は基本的に外的意図について掘り下げていくことになると思います。

ところで第2巻の記事は方針として本からの引用は少なめにして、あくまでわたしの理解をそのまま文章化していっています。最終的にどうなるかはまだ自分でもまったく見えていませんが、もしかしたら一区切りつけたあとで、記事では引用しなかった文章をまとめて紹介するかもしれません(せっかくパソコンに打ち込んだのでもったいないので😌)

それでは、読んでくださってありがとうございました。


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