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神とひとつになる

そなたが神つかめば、神はそなたを抱くぞ。神に抱かれたそなたは、平面から立体のそなたになるぞ。そなたが有限から無限になるぞ。神人となるのぢゃ。永遠の自分になるのであるぞ。他のために行ぜよ。神は無理申さん。始めは子の為めでもよい。親の為めでもよい。自分以外の者の為めに(原文では傍点)、先ず行ぜよ。奉仕せよ。嬉し嬉しの光さしそめるぞ。はじめの世界ひらけるぞ。

神は額から入って顔全体に至り、全身に及ぶものであるぞ。

神は理窟ではない。生きた自由自在の、見当とれん、絶対であるぞ。只求めるより外に道ないぞ。親呼ぶ赤児の声で神を求めよ。神に呼びかけよ。総てを投出せよ。まかせ切れよ。神は喜びの光となって、そなたに現はれて来るぞ。

神は人間の想念の中に入って来るのぢゃ。想念が一致するから神の想念が人間に伝はるのぞ。人間の言葉となって人間に現はれる。言葉は神であるが人間でもあるぞ。自分が自分に語るのであるぞ。この道理、よく心得なされよ。
『ひふみ新世紀』岡本天明 より

日月神示は岡本天明に日月の神という神がかかっておろされた、いわゆる「お筆先」と呼ばれる自動書記によって書かれた書物です。原文は奇妙な記号と数字と仮名の混じったメッセージで、おろされはじめた当初は岡本天明自身にも読むことができなかったそうです。

この原文は公開してはならない(現在その原文が掲載された本が出ているようですがそこはわたしがどうこう言うところではありません・・・)と日月の神自身が述べており、解読された日月神示を誰にでも読めるように書き直したものを「ひふみ神示」として世に出すようにと命じています。

ですから、わたしが引用しているものは正確にはひふみ神示なのですが、あくまで内容としては日月神示と呼ばれるものについて語っています。

さて、日月神示にはいくつかの側面があるのですが、中でも神とはなにか、神と人の関係はどうあるべきかということについて、さまざまな言葉で語られています。そもそも、これを語っているのが神様なわけなのですが、この神様はしきりに「身魂(みたま=体と心)を洗濯して、神の入れ物となれ」と言っています。今回の引用はそれに関連するものです。

書かれていることを要約するとこうなります。

「あなたが神を愛し神を求め、意識レベルを高め(=みたまを洗濯し)て利他心で生きるなら、神があなたの額からあなたの意識の中に進入し、あなたと一体になるだろう。そうすると、あなたはいまよりも高い次元の存在となるだろう(=平面から立体に)。神は単なる概念ではない。人知を超えた絶対的存在である。あなたがすべてを神に明け渡すなら、神は喜び、あなたを護り切るだろう。このとき、神の想念はあなたの想念となって現れる。あなたは自分の言葉として神の言葉を聞くだろう」

つまり、神による救いとは、神とひとつになることです。神とひとつになれば、その心と行為はすべて神のためのものとなります。ゆえに、なんの問題も、なんの心配もなくなります。それが救いです。そのためには負のカルマ(借銭と表現されます)をなくし、我よしの心(エゴ)を捨てて意識の曇りを取り除く必要があるだけでなく、神を知り、神を求め、神に呼びかけること(=神を祀ること)が肝心かなめであるというわけです。

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