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意識のフィールドのダークサイド

わたしが書く記事のほとんどに登場する「意識レベル(意識のスケール)」という概念はデヴィッド・R・ホーキンズ博士の著作『パワーか、フォースか』で学んだものです。この本はすべての人にとっての福音書とでもいうべき書であり、ひと通り読むだけで、意識レベルが人によっては数十も上昇する効果があります。ですので、まだお読みでない方はぜひ読んでみてください。Kindle Unlimited をご利用の方でしたら、現在は無料で読むことができます。

ホーキンズ博士にはたくさんの著作があるのですが、残念なことに邦訳されているのはこの「パワーか、フォースか」と、もう一冊の「I <わたし> 真実と主観性」の二冊だけとなっています。

この二冊は未邦訳の「The Eye of the I(「わたし」の目)」とあわせて三部作と称されています。「パワーか、フォースか」は人間の意識における統合性のグラデーションを数値で示し、非常に低い領域から悟りと呼ばれるような高い領域までを全般的に概説していますが、主として人口の大部分を占める意識レベル500台までの各領域を扱っています。

「The Eye of the I(「わたし」の目)」では覚醒と呼ばれる意識の状態を示す、意識レベル600の境地について語られています。

そして今回取り上げようとしている「I <わたし> 真実と主観性」ではそれ以上の領域、すなわち意識レベル700を超える悟りと呼ばれる意識状態における観点から人間と人間社会のさまざまな活動について語られています。

わたしは「I <わたし> 真実と主観性」をもう何度も繰り返し読んでいて、本のカバーは手垢で汚れてしまってちょっと人様にはお見せできないくらいなのですが、わたしの人生において一冊の本をこれほど読みこんだのはこの本だけです。ですので、「もっとも重要な本はなんですか?」あるいは「もっとも価値のある本はなんですか?」と聞かれたら、迷いなく本書を挙げるでしょう。

その割に、noteの記事でもブログ In SPIRE でも、この本の内容について引用して言及することは、あまり多くはありませんでした。一方で意識レベルの概念は常用しているわけなのですが、実はそのほとんどは「パワーか、フォースか」を読まれている方であれば分かるような内容にとどめています。

なぜかというと、それは先ほども触れましたが、この本が扱っているのは意識レベル700以上という、地球上にはほんの数名しか存在しないような高い意識から明かされる真実であるからです。わたし自身がまずそのような領域には到達していませんから、その内容についてはただただ謙虚に学ぼうとすることが精一杯だったというのがこれまでの正直なところです。

とはいえ何年にもわたって読んできたことによって、書かれていることの多くが腑に落ちるようになってきているのもまた事実です。「パワーか、フォースか」がそうであるように、この本もまた意識レベルを上昇させるパワーがそのまま言語化されているものなので、読書を通じてようやくわたしの意識レベルがこの本の内容について語れるところにまで届いたのでしょう。

それで今後はすこしずつ、この本の内容についても触れていこうと思います。今回は人間の意識のフィールドに存在するダークサイド(闇の側面)について取り上げます。引用するのは第9章の覚醒のレベルについての Q and A の一部になります。

Q:冒険を続けるにあたって、他にも待ち受ける障壁はありますか?

A:意識のレベルが上昇するたびに、"反対の作用"と対峙することになります。そして往々にして、それは何の前触れもなく予期せぬときにやってきます。また、意識のフィールドの"ダークサイド(影の側面)"を占めるフォースとの対決もあります。キリストもブッダもその現象について語っています。

より低いレベルにおいて、このようなフォースは"サタン的"であり、それをブッダは人格化して「マーラ(邪悪な者)」と呼びました。サタン的エネルギーとは、異性や嗜癖、快楽、興奮など、昔から共通する誘惑にまつわるもので、殺戮や犯罪、戦争、殺人、その他、スリルを得るためのあらゆる行動が含まれます

「I <わたし> 真実と主観性」※太字の箇所はわたしが強調したものです。

いきなり恐ろしげな言葉が登場していますが、順を追ってみていきましょう。

この本は全編が質問者(探究者)とホーキンズ博士の肉体を通して語る「I(大文字の"i" いわゆる真我と呼ばれる究極の主観性)」による質疑応答の形式になっています。引用したこの箇所の前には、覚醒(600以上)にも様々なレベルがあり、そのレベルごとに異なる意識の状態が存在すること、そしてより高い領域へと意識レベルが上昇する過程には非常に過酷な肉体的苦痛や精神的な困難が待ち受けていることが語られています。これらは主として、人間の肉体精神機構がそのような高い意識のエネルギーに適応するために必要な神経系(脳を含む)の書き換えに伴うものです。

質問文にある「冒険」とはこのような高い領域での経験に限らない探究の過程全般のことを指しています。ですので、この引用文に書かれていることはどんな意識レベルの人でも経験する可能性があります。

回答の冒頭ではまず、意識のエネルギーの上昇には反作用が伴うことが示されていますね。これは揺り戻しのようなものです。現象としては例えばですが、あるグループのメンバーがなにかのきっかけで急激に意識レベルを上昇させた場合、ほかのメンバーは彼を元の(つまり自分たちの)レベルへと引き戻そうとすることがあります。このように他者を通じて揺り戻しが起こる場合もあれば、本人の認知において元の価値観のほうが自分にふさわしかったのではないかという疑念が生じる場合もあるでしょう。いずれにしても、こうしたことは前触れなく起こることがあると明かされています。

また、意識のフィールドの"ダークサイド(影の側面)"を占めるフォースとの対決もあります。キリストもブッダもその現象について語っています。

ここからが本題です。フォースはネガティブな力のことで、ポジティブなパワーの対義語となります。意識レベル199以下のエネルギーをフォースと呼び、200以上の力をパワーと称しています。

意識のフィールド(場)にはさまざまなアトラクターが存在しています。アトラクターについてはこちらの記事をお読みください。ここで言われているダークサイドを占めるフォースとは、つまり人間の意識における闇の属性を誘発するアトラクターのことだと思っていただいてよいでしょう。

イエス・キリストは荒野で40日間、悪魔と対峙したとされています。またブッダも悟りを開くための瞑想中に悪魔と対話したと言われていますね。この悪魔と呼ばれるほど邪悪なフォースのエネルギーが人間の意識の向上を阻止するために、隙あらば襲いかかってくるというのです(怖)。

より低いレベルにおいて、このようなフォースは"サタン的"であり、それをブッダは人格化して「マーラ(邪悪な者)」と呼びました。サタン的エネルギーとは、異性や嗜癖、快楽、興奮など、昔から共通する誘惑にまつわるもので、殺戮や犯罪、戦争、殺人、その他、スリルを得るためのあらゆる行動が含まれます

ここでサタンとサタン的エネルギーいう言葉が出てきます。あとで取り上げる引用文にはこれと並んでルシファー、もしくはルシファー的エネルギーという言葉も登場するのですが、意識レベルでいうとサタン的エネルギーのほうがより低い領域に存在しています。端的にいうとサタン的エネルギーは暴力的で、ルシファー的エネルギーは詐欺師や高知能サイコパスを象徴しています。では続きをみていきましょう。

サタン的なフォースが個人の意識に取りついた状態を、わたしたちはデーモン(悪魔)と呼びます。連続殺人犯などがそうです"憑依"された人物は、サタン的エネルギーが残虐行為を働いている間、意識がありません。時折、何者かに憑依されている自覚を持つ者もおり、それに名前をつけることもあります。犯罪の後、彼らは正直に自分が"やった"のではないと告白します。彼らの多くは、"神の声"に従ったのだといいます(命令的な幻聴、妄想)。

憑依現象は実際にあります。わたし自身、サタン的エネルギーにではありませんが、人生のある時期になんらかの存在に憑依されていたのではないかと考えさせられる出来事を経験しています。

ここでは、悪魔とはサタン的エネルギーに憑依されている人のことを指すのだというところが1つ目のポイントです。つまり、悪魔には実体はなく、その正体はサタン的エネルギー(おそらくはルシファー的エネルギーも)なのですね。

また、サタン的エネルギーが残虐行為を働いている間、その人には意識がない(自我による自覚がない)というところも興味深いです。実際、いわゆる通り魔による連続殺人事件で犯人が「神の声」を聞いたというような主張をしていたケースをわたしは知っています。

あるとき、特殊な人物を測定したことがありましたが、この海外から執拗に訪れる人物は、奇妙な要求をするために怪しまれていました。彼は、あるときは300台の上部に測定されたかと思えば、次の機会には極端に低く測定されました(70)。意識のレベルの値は、通常このように極端に前後しないので、最終的にふたつの意識が彼の肉体に宿っているという結論に至りました。ひとつは紛れもなくサタン的で、もうひとつは300台の上部にいる正常な人物でした。300台の人格が表に現れているときは、彼は良心的できわめてポジティブな人物でした。しかし、別の人格が支配するときは、"神の声"が聞こえ、文字通り危険人物になるまで残虐な行為を遂行するように命じられるのです。

これも興味深く、示唆に富んだ記述です。ここから読み取れるのは、意識レベルに極端なブレがあるように見受けられる人物は要警戒であるということです。誰でも浮き沈みはあるものですが、70と300台上部とではあまりに開きが大きすぎますね。実際に意識レベル70と300台上部がどのような領域であるかについては「パワーか、フォースか」をお読みください。こうしたことを読んで知っておくことで、危険な人物から被害を受けるリスクを回避することもできるでしょう。

それにしても、ふたつの意識とはどういうことなのか、もうすこし詳しく知りたいところですね。わたしなりに色々考えることはできるのですが、これが正しいといえるだけの根拠に乏しいため、ここで言及することはやめておきます。

ちなみにサタン的エネルギーとは関係ないと思いますが、個人的にはいわゆる多重人格(解離性同一性障害)と呼ばれるケースにおいて意識レベルの観点でなにが起きているのかにも関心があります。これも、わたしが読んだ範囲では博士はなにも言及していませんが、おそらくご存知であったことと思います。

サタン的エネルギーは、快楽や興奮にまつわる多くの活動に浸透しています。たとえば、暴力や誘惑や殺人を含んだ多くのビデオゲームやテレビ番組などがそうです。こうした誘惑は明らかな罠であり、霊的探究者ならば直感的に回避します。また、サタン的エネルギーは、わたしたちがいわゆる「罪」と呼ぶ領域を支配しています。警告は明確であるにもかかわらず、かつての"グル"たちが誘惑の罠にはまり、信奉者と関係を持つ例をわたしたちは数多く目撃しています。サタン的エネルギーは下位のチャクラに影響を与えます。

今回の記事で、わたしが一番重要と思っているのはこの箇所です。昔も今も、ビデオゲームの中では人間が人間を傷つけ殺すことが当たり前に行われています。いまではネットを介して人間同士がお互いのアバターを殺し合うスタイルのゲームが大変な人気になっていますね。また人間でなくても、モンスターという架空の生物と戦って殺し、それで経験値やお金を得ることがプレイの中心となっているゲームは数でいえばさらに多いです。

映画やドラマ、そして漫画やアニメにおいてもこうした傾向は似たようなもので、暴力的な要素のまったくないコンテンツは非常に少ないと思います。

わたしは20台前半までにはゲームをしなくなりましたが、それまではやはりこうした暴力的なゲームをなんの抵抗もなく楽しんでいました。映像コンテンツについては、30歳半ばまではむしろ好きこのんで暴力性の高いものをよく観ていました。

ところが40歳を目前にして意識の目覚めを経験してからのことですが、あるとき突然に「血の出ているシーン」がみれなくなりました。自分でもなにが起きたのかそのときはよく分からなかったのですが、次第に暴力的なシーンや性的なシーンの全般が受け入れられなくなっていることに気づきました。それから結構長いことそうだったのですが、最近は観ても平気になりました。でもどぎついものは今でも拒否感がありますね。

そんなわたしからすると、対人戦のバトルロイヤル的なゲームを喜んでプレイしている人たちはやっぱりちょっとまともであるとは思えません。「あくまでこれはゲームだから。現実に人を殺すなんてありえないですよ」って彼らは思っているのでしょうけれど、わたしには「ゲームだから殺してもよい」というのがすでに恐ろしいです。殺してよいどころか、めちゃめちゃ殺すことを楽しんでますやん……。まあ、わたしも昔はそうでしたよ。そして、その当時のわたしの意識レベルはけっして高くはなかったと思います。ちなみに、任天堂のスプラトゥーンはこうした暴力性が受けつけられない人々にも支持されているのだろうと思います。

ともあれ、博士によれば、こうしたことは「ゲーム脳」とかいう問題ではなくて、サタン的エネルギーの影響によるものだということです。ということはつまり、その影響を受けてしまっている人たちは確実に意識レベルを低下させているはずなんですよね。下がっていなかったとしても、すくなくとも上昇していた可能性を抑圧していることは間違いないでしょう。

また、これに比べると目立たない挑戦や罠を仕掛ける、より高度で微妙なエネルギーもあります。それはわたしたちが端的に"ルシファー的"という言葉で表しているものです。ルシファー的エネルギーは、権力や支配欲、名声、富、特権、地位にまつわるもので、愛や慈悲、他者への思いやりを拒否する冷酷な計算も含まれます。こうしたエネルギーは、学界や官僚や実業界の一部に浸透し、人間的価値や生活の質が政治的経済的利益のために犠牲になります。このような考え方は、コストを安くするために、製品を改良するよりも死傷者を出すことを厭わない企業の決断にも見ることができます。

こちらが先にお伝えしたルシファー的エネルギーについての記述です。

ルシファーはサタンよりも狡猾で、暴力性は表に出さないものの冷酷です。どちらも邪悪であるという点では同じですが、それでも意識レベルではサタンに比べるとルシファーの領域は高いところにあります。ルシファー的エネルギーは社会性とも結びついている分、サタン的エネルギーよりも人間社会により大きな影響を及ぼしていると言えるでしょう。

別の言い方をすれば、サタン的エネルギーに取り憑かれている人はそんなに多くはありませんが、ルシファー的エネルギーに憑依されている人物はむしろありふれています。どこにでもいます。もっとも、これは先進国である日本ではそうだということで、それぞれのエネルギーが存在している意識レベルの領域にどれだけ人口が分布しているかは国と地域によって異なります。

こうしたダークサイドのフォースの影響から逃れるためには、その影響下にあると思われる人物との関わりを避け、そうしたフォースを代表するコンテンツに触れないようにすることです。そして、言うまでもありませんが、自分自身の意識レベルを高めるように努力することです。具体的にはフォースではなくパワーが反映された人や事物に触れること、触れ続けることですね。もちろんホーキンズ博士の本を読むのがおすすめです。

意識レベル540を超えると、基本的にはこうしたフォースの影響を受けても意識レベルが下がらなくなります。ですから、目指すとすればそこですが、比較的安全に暮らせるのは300台の上部です。日本人では、おそらくですが四人に一人はこのレベルだと思いますが、裏を返せば約75%の人はそれ以下ということです。さらにいえば、二人にひとりは200未満だと思われます。これはわたしの実感で述べていますが、もしかしたら実情はもうすこし厳しいかもしれません。

なにげなく暮らしていると気づかないものですが、こうしてサタン的エネルギーやルシファー的エネルギーというように明確に示されると、それがわたしたちの現実に実際に存在していることを否応なしに認めさせられます。それはすこし恐ろしいことでもありますが、知ることによってこうしたエネルギーを遠ざけることもまた、できるようになります。今回の記事はここまでになります。読んでいただいてありがとうございます。

それではまた次の記事でお会いしましょう。

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