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リアリティ・トランサーフィンの考察⑫『誘導転移と振り子のスパイラル』

「昔はよかった」という言葉はよく使われますが、なぜそう口にする人が多いのでしょうか? 逆に、「昔はもっとひどかった」と言う人はあまりいないようにも思えます。

よかったにせよ、ひどかったにせよ、これらの言葉が表しているのは、客観的な事実として世の中がどうであったか、ではなく、その時代を生きていた自分の人生が「今よりもよかった」か「今よりもひどかった」という実感でしょう。だとすると、年をとるにつれて人生が悪化していると感じている人が多いということなのでしょうか?

ヴァジム・ゼランドはそうだと言っています。彼は自分自身の観察からも、トランサーフィンの観点からも、ほとんどの人は年々、人生が悪い方向へと向かっていると感じているはずだと述べています。

これについては、一般的な傾向としては、おおむねその通りだとわたしも思います。個人的には十数年前が人生最悪の時期で、その後に意識の急激な変容を経験したため、わたしは今が一番よいと考えてはいますが、そのような例はほかに聞いたことがありません。もっとも、いまのわたしの生活状況を他の人が経験しても、まったくよいとは思わないかもしれません。

とはいえ、いまのわたしの人生をトランサーフィンの観点でみるなら、わたしは破壊的振り子とはほとんど関係していませんし、なににも執着せず、怒ったり不安になったり誰かを裁いたりすることもありませんから、過剰ポテンシャルを生むことのない生活を送れているとは言えるでしょう。

ゼランドがそのように、つまり、ほとんどの人が「年をとるにつれて人生が悪化している」と感じ、また実際にその人たちの人生はどんどん悪くなっているはずだと考えている理由は、ここまでのトランサーフィンの理論を覚えていれば、ある程度は想像がつくことと思います。

人が破壊的振り子の発するネガティブな周波数につかまると、自らの周波数も振り子のそれに同調するように調整されてしまい、その結果、より悪いことが待ち受けているような人生ラインへと誘導されていきます。

その人生ラインには、同じようなネガティブな振り子がたくさん待ち構えているばかりか、もっと凶悪な振り子も潜んでいます。そのような人生ラインを生きていると、ついついネガティブな感情や反応を撒き散らすことにもなってしまいます。そしてそれが過剰ポテンシャルを生みだし、平衡力によって痛い目に遭わされることになるでしょう。

振り子や過剰ポテンシャルという概念を知り、対処する方法をわきまえていなければ、このことが延々と繰り返されていきます。結果、悪い人生ラインからもっと悪い人生ラインへと、転移が続いていくわけです。

「昔はよかった」という言葉はこのように個人的なものですが、そう思う人が相当に多いため、まるでそれが歴史的な事実を皆で共有しているかのように使われてしまうのでしょう。でも実際には、ほとんどの人が日々ネガティブなエネルギーを放射しながら自分の世界( My 宇宙 )を自分自身で悪化させているだけなのだ、とゼランドは考えています。

昔に限らず、いまがどういう時代かということについても、一人ひとりが自分の意識レベルに応じた認識をもっています。その人にとって世界がどう見えているか、ではなく、その人の意識レベルが世界をどう見せているかということが本当です。

各人がバリアント空間における自分のセクターに調整されているため、それぞれが自分の世界に住んでいる。これらの世界はすべてが互いに積み重なって層となり、私たちが住む空間を形成している

「振り子の法則」リアリティ・トランサーフィン―幸運の波/不運の波の選択
ヴァジム・ゼランド著(以降の引用文も同じ)
※太字はわたしによる強調です

My 宇宙に相当するものをゼランドはと呼んでいます。My 宇宙は球体のようなイメージですが、それだと一人ひとりの世界が狭く小さいように感じるかも知れません。わたしの考えでは My 宇宙は無限大でも無限小でもあるのですが、このことの詳細はここでは省きます。ゼランドのいうように一人ひとりの世界をというふうにイメージするなら、同じ舞台に人の数だけ現実のが重なりあって存在しているということになります。

しかし、いずれにしてもポイントは、一人ひとりが異なる現実を生きているというところにあります。そしてこの現実のの中でその人がいまみているものがセクター、そして過去から未来へとセクター間を移動していくラインが人生ラインとなります。

人間の心理は、ネガティブな刺激に対して、より強く反応するようにできている。ネガティブな刺激は、望ましくない情報、敵対行動、危険、または単なるネガティブなエネルギーのことである。もちろんポジティブな作用も強い感情を引き起こす。しかし、怒りや恐れは、強さという点では、喜びや楽しみを凌ぐ。こんなふうに釣り合いの取れていない理由は、怒りや恐れが生き抜くための決定的要因となっていた遠い昔に遡ったところから来ている

さきほどの話題に戻りますが、人生が往々にして時間とともに悪くなっていくのは、破壊的振り子と過剰ポテンシャルにまつわるネガティブなエネルギーの連鎖に原因があるということができるでしょう。しかし、どんな人であれ、人生にはポジティブな瞬間はかならず存在するはずです。それなのに、どうしてネガティブなエネルギーに引きずられてばかりなのでしょうか? それは人間の古い生存本能に由来しているとゼランドは見ているようです。

これはまさにその通りでしょう。そして、そのせいもあって、喜びはあっという間に過ぎ去ってしまうのに、不安や恐怖や心配やストレスといったネガティブな要素は長引き、常に人を苦しめています。

このため、ポジティブな感情や反応がその周波数に相応しい人生ラインへと導いてくれる前に、破壊的振り子や過剰ポテンシャルがその人を望ましからざる人生ラインへと呼び戻してしまいます。

振り子のスパイラル

ここでもういちど、振り子が人生に悪影響を及ぼすそのメカニズムについて詳しく見ていきます。

振り子は人の思考エネルギーを奪うことで存在し続けるのですが、なかでも人を悪い人生ラインへと誘う破壊的振り子が積極的に利用するのがこのネガティブな感情です。代表的なものとしては、マスメディアが挙げられます。

マスメディアが流すニュースは、ほとんどすべてが悪いニュースです。最初に、なにがしかのネガティブな事実が取り上げられて伝えられます。そして、それは急速に展開していき、新たな詳細が表面化しつつ、まるでドラマ仕立てのように報じられていきます。

振り子が人々を煽るやり方にはこのようなパターンがあるとゼランドは言います。

ものごとはスパイラル状に展開するということだ。まず、発端があり、次に急展開が起こり、どんどん緊張が高まり、その後にクライマックスとなり、感情が猛烈に煮えたぎり、遂に終局を迎え、すべてのエネルギーは空中に飛散し、しばらくの間、静寂が続く。岸辺で砕ける波を思い起こすことだろう。

このスパイラル状の展開についてマスメディアの例でもう少し詳しくみてみましょう。

最初に、人は、ある事実に遭遇する。それは、その人を不安にさせるかも知れないし、ひょっとしたら不安にさせないかもしれない。このニュースはネガティブな出来事に関するもので、どこかほかの国のこととしよう。これは破壊的振り子からの最初のゆさぶりである。もしこのニュースが、視聴者の誰かを動揺させたならば、その人は働きかけに対して反応し始める。自分の姿勢を表明し、気にかけるようになる。つまり、最初のゆさぶりと同じ周波数によるエネルギーを放射することで応答するのだ。その人は、ほかの数千人と同じく、自分の関心を表明して参加するという形で、振り子に反応する。放射したエネルギーは振り子と共鳴し、振り子のエネルギーは増大する。マスメディアは引き続き自分のキャンペーンを行う。人は関心をもって出来事が展開する様子を追いかけ、振り子はまたエネルギーを摂取する。このようにして振り子は自分の網に信奉者たちをおびき寄せ、彼らからエネルギーを吸い上げる。関心を示した人々は、自分の中にネガティブなエネルギーを取り入れ、当面は傍観者としてゲームに没頭する。

スパイラル状の展開のなかでは、ネガティブエネルギーのフィードバックループが起きています。このフィードバックループによって振り子は人を自らの信奉者にし、信奉者が与えたエネルギーによって振り子は大きくなり、より多くの信奉者を集めます。一人ひとりの信奉者にとって、振り子にエネルギーを与えることそのものは、それだけで健康を害すほどのことではないのですが、エネルギーを与えることによってその人のもつ周波数が振り子のそれと同調するように固定されることが問題です。その結果、その振り子の周波数(ここでは報じられたネガティブな出来事の周波数)と似たような出来事がより発生しやすい人生ラインへと移動させられてしまうからです。

人は発端に関与することで、気がつくとスパイラルの影響域にいる。スパイラルは猛スピードで回転し始め、あたかも漏斗のように、その人を自分の中へと引きずり込む。

ご存知かとは思いますが、漏斗ろうとはこんな形ですね。

わたしは読んでいて、漏斗というよりアリジゴクの巣をイメージしましたが、どちらにしても一度その中に入り込んでしまったら(=発端に関与してしまったら)容易には抜け出せないものと言えるでしょう。

このように漏斗へと引き寄せられる現象を、信奉者が破壊的振り子の犠牲になる人生ラインへと向かう誘導転移と定めることにしたい。破壊的振り子からのゆさぶりに対するその人の反応とそれに続く振動エネルギーの相互補給は、振り子の振動に近い周波数の人生ラインへと転移することを誘導する。その結果、ネガティブな事象はその人の世界の層に取り込まれてしまう。

ここまで述べてきた、振り子がそのスパイラルの漏斗に人を引きずり込み、ネガティブな人生ラインへと連れ去っていくこの現象を「誘導転移」とゼランドは呼んでいます。振り子といえば誘導転移と覚えておけばよいと思います。

人はみな、自分の人生をコントロールしているつもりでいますが、実際にはこのように振り子によって誘導転移され続けています。この状態では人生が悪くなっていくことはあっても、よい方へと浮上することは偶然には起こりそうもありません。

今回の例でいうなら、マスメディアが流す情報は基本的に目に触れないようにすることが賢明ですね。ちなみにわたしは以前、世界中の「よいニュース」だけを拾ってきて翻訳してBLOGで紹介するブロガーとして生計を立てられたらよいなあ、と思っていた時期がありました。でも現実はまさにゼランドのいうとおり、あらゆるメディアは破壊的振り子で、人を幸せな気持ちにさせてくれるニュースや、癒されるニュースというものは探してもなかなか見つからないことに気づかされました。

さて、誘導転移についてはさらに具体的な事例がいくつか載っているのですが、一つひとつ紹介していたらとても長くなりそうなので、記事でとりあげることはやめておきます。次回はいよいよ第1巻の内容の締めくくりになる予定です。


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