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意識レベルとエネルギーフィールド(師の臨在)

最近またホーキンズ博士の「 I <わたし> 真実と主観性」を通しで読み直しています。

あくまで個人的な意見ですが、日本人の探求者が日本語で読める本から霊的な真理を学び、その学びから覚醒や悟りが起こることを期待するのであれば、読むべき本はホーキンズ博士の「パワーか、フォースか」とこの「 I <わたし> 真実と主観性」の二冊だけでよいと思っています。これらを何度も何度も読むのが一番よいですし、二番目や三番目がなんであれ、それらを大きく引き離して一番よいです。なぜかというと、博士の著作における記述はすべて、キネシオロジーテストによって真実性が確認されているからです。

もちろん、他の本も気になるのであれば読むとよいでしょう。しかしながら、書いてあることの真偽を識別できない以上、誤った教えや邪な意図の込められた教えを読まされることは覚悟しなくてはなりません

わたし自身は博士の教えと、ラメッシ・バルセカールの教えから学びました。いまでは「意識のスケール」の概念をさまざまなことを説明するためのものさしスケールとして使っていますが、わたしのする話は基本的にはラメッシ・バルセカールの非二元とおなじものです。ですから、ホーキンズ博士の他になにか読みたいので勧めて欲しいと言われたなら、迷わずラメッシ・バルセカールを勧めます。

また、非二元について言うなら、それに加えてラメッシ以外の本は読まないほうがいいよ、とも言うでしょう。国内のいずれの著者の本(※)はもちろんのこと、ラマナ・マハルシやニサルガダッタ・マハラジの本(ラメッシが書いた「ニサルガダッタ・マハラジが指し示したもの ―時間以前からあった永遠の真実」は除きます)でさえも勧めません。

※ 一々批判したり否定したりするものではありません。お金を出してそれらを読むくらいなら、In SPIRE を読まれるほうがよいというだけのことです。もっとも、わたしの書くものが彼らのものより優れているなどと言いたいのではありません。単に、わたしの書いていることはホーキンズ博士やラメッシの教えから逸脱していないことだけは保証できるからです。(そして無料です)

なぜかというと、ラマナ・マハルシやニサルガダッタ・マハラジについての本には翻訳の問題があるからです。つまり、彼らが語った言葉を正確に伝えていないからです。

一例としては、ラマナ・マハルシのアートマ・ヴィチャーラ(真我探究)は日本語の本によって「わたしは誰か」と問いなさいというものとして伝わっていますが、正確には「わたしとはなにか」を問え、です。誰か? と問うていく以上、たどり着ける答えは「誰か」にしかなり得ません。誰かというのはそれが実際に誰であれ、エゴのことを指しています。ラマナ・マハルシが本当に言っているのは「この『わたし』という観念の正体はなんなのか? それはどこから来ているのか?」について熟考しなさいということです。

ちなみに、これはわたしの私見ではなく、ラマナ・マハルシに実際に師事していたラメッシが言っていることなので事実です。なぜこのような誤謬が生じているかというと、タミル語で話したラマナ・マハルシの言葉を通訳がその場にいた人たちに英語に翻訳し、それを聞いた英語話者が書いた本が日本語に翻訳されているからです。ですから、本物の賢者であり、なおかつ自らが英語話者であったラメッシ・バルセカールの本だけが、正確に日本語に訳されている可能性があるのです。(ラメッシは英語の対話集が刊行される際には自ら内容をチェックしています)

さて、わたしは以前、 In SPIRE に「霊的な師(マスター)を探すことはやめましょう」という記事を書いています。

そこでは『現代(の日本)において霊的なマスターを探している探求者はちょっと道を逸らしている』と書いていて、その理由も詳しく説明しているのですが、「 I <わたし> 真実と主観性」の中にその理由と関連することについて書いてある文章を見つけましたのでシェアしたいと思います。また、この文章は「師の臨在」に関する質問への回答の一部となるので、あわせてこの「師の臨在」についての情報もシェアさせていただきます。

霊的探究者の多くは膨大な数の書物を読んでいて、すでに知的に霊的な真理を知っていますが、それはメンタル体の記憶の中に情報を保存しているだけなので、彼らは、より高次の複数の霊体が活性している師の臨在に触れることで、自らの霊体を活性化することを待ち望んでいます。

熱烈な覚醒に対する切望が、師とめぐり合うまで生徒を動かし続けます。しかし成功するためには、求道者は真偽を判別できなければなりません。けれども数多くのナイーブな探究者たちは、その名声や評判や見かけに惑わされて、真の師だと思いを寄せる人物に希望を託し、長い道のりを誤った方向に歩み続けています。そのような"師”の多くは、数百万人もの信奉者がいながらも200の上位か、あるいは200以下に測定される場合もあります。400台に測定される師はわずかです。もっと特殊な場合には、広く知られた霊的な指導者が、教えを広め始めた当初は500台であったにもかかわらず、その後は200を大きく下回るということもあります。

本物の師は、名前や肩書にこだわりません。そこには"人"はいないからです。教えることは、ひとつの役割なのです。

※太字はわたしが強調したものです

「 I <わたし> 真実と主観性」
デヴィッド・R・ホーキンズ

上の段のメンタル体以降の部分については、あとで引用する文章のところであわせて解説します。

ここでは重要なことが指摘されています。それは探求者には真偽(それが真理か虚偽か)が判別(識別)できないということです。考えてみればそれはそうで、識別できないからこそ識別できるようになりたくて探究しているわけです。しかし、これがいわば探求者のジレンマとでもいうべき問題なのです。基本的に、真摯な探求者には素直な人が多いものですが、それはともすればナイーブとも言えてしまいます。ここでいうナイーブは日本で用いられる繊細という意味ではなく、本来の「だまされやすい」という意味ですが、つまり、彼らは疑うことが下手であるがゆえ悪意のマスター、もしくは本人自身が思い違いをしているような虚偽のマスターにコロッと引っかかってしまうのです。

※ちなみに、識別力は意識レベル600(覚醒)で完成しますが、600で突如として現れるのではなく、600に近づくにつれて徐々に養われていきます。覚醒している人、すなわち覚者とはこの識別力の有無によっても定義できるでしょう。

ここでは「400台に測定される師はわずかです」とありますが、であるなら500以上の師は本当に稀だといえるでしょう。これについてはちょっと深く考えてみていただきたいのですが、「パワーか、フォースか」の出版当時においては意識レベル500台の人は約30人に一人(改訂版では全人口の4%)であると測定されています。もちろん400台の人はそれよりもさらに多いわけですが、30人に一人というのは、学校でいえばクラスに一人はいるというくらいの数なので、決して稀ではありません。

それならば、なぜ400台や500台(それ以上は言うに及ばず)のマスターがそんなにも少ないのでしょうか? それは、意識レベルがそのレベルにあるからといって誰もが霊的なマスターとして振る舞うわけではないからです。意外かもしれませんが、わざわざ人前で話したり、文章を書いたりして人に教えようとする人の方が実は異例中の異例といってよいのです。

その理由は、意識レベル500以上になってくると「すべてはひとつ」であることを知覚できるようになるため、人のため世の中のためになにか具体的な行為をする必要はなく、ただその意識レベルの自分が存在することですでに世界に貢献していることがだんだんと分かってくるからです。もちろん、教えるという行為が無駄、無意味というわけではありませんし、それどころか尊いものではあります。

※追記 この説明はすこし言葉が足りていませんでした。というのも、霊的なことを教えることだけが社会や人類に貢献する方法ではないからです。様々な活動や発明、創作によって人々の苦が軽減されたり意識が高揚したりすることは素晴らしいことです。また、身近な人々に親切に思いやりをもって接し、癒やし、勇気づけ、モチベートすることはすべての活動の根底にある聖なる態度といえます。

もう一つには、意識レベルを偽っている自称マスターがあまりにも多く、本物のマスターの存在が埋もれてしまっているということもあるでしょう。ちなみに、マスターとここで言っているのは霊的なマスターのことであるわけですが、その定義でいうなら、意識レベル400のマスターを霊的なマスターと呼ぶことはそもそもできません。なぜなら、400台は知性の領域であり、霊的な領域について本当の理解を持ってはいないからです。

次に、特殊な例として、500以上で計測されたマスターがその後200付近に転落してしまうケースがあるということも触れられています。意識レベル540を超えると、その人は「原則的には」もう意識レベルが下がることがなくなるそうです。ゆえに、深刻な依存症を脱するには、本人がこのレベルに達するか、あるいはそのレベルの人とずっと一緒にいる必要があるとされています。ですから、このケースは基本的には500~539までの意識レベルで計測されたマスターの身に起きた事例であると言えます。

しかしながら、さらに特殊な事例として540以上の意識レベル(700とか800といった悟りのレベルでさえも)に到達した人がその後に転落してしまうこともあるようです。それはいわゆる悪魔的な存在の干渉によるもので、そのような存在からの誘惑に屈すると、場合によっては意識レベル200以下にまで転落してしまうそうです。怖っ😱😱😱

※このことは「 I <わたし> 真実と主観性」では簡単に触れられていただけで、わたしは最近までその理由をはっきりとは知らなかったのですが、このことについて言及している博士のレクチャー動画を観られた pink cashmere さんから教えていただきました。ありがとうございます😉

いずれにしても言えることは「本物のマスター」なんて、まあまずお目にかかれないということです。絶対数が少ないうえに偽物がうじゃうじゃいる状況に対して、識別力のない探求者にできることはほとんどありません。ゆえに、引用した文章にあるように「真の師だと思いを寄せる人物に希望を託し、長い道のりを誤った方向に歩み続けている」探求者がなんと多いことでしょうか。とても悲しいことです。ですから、わたしは言うのです。マスターを探すのはやめましょうと。その意図は、ここまで読んでいただいたならご理解いただけたかと思います。

しかしながら、わたしは本物の師と出会うことの何ものにも代えがたい価値そのものを否定しているわけでは、もちろんありません。単に、そんな人にはほとんどの探求者は出会えないのだから、安易な(例えばAmazon のおすすめに表示された! とか、ネットで検索したら出てきた! とか😌の)方法で探して「この人は本物のマスターに違いない!」などと信じ込むのはやめましょうと言っているだけです。

さて、そもそも本物のマスターはなぜ本物なのでしょうか? もちろん、キネシオロジーテストを用いて彼らの意識レベルを測定すれば高い数値(500~ ※)で計測されるはずです。

※わたしの意見では、575(聖人)のレベル以上の人物を本物の霊的なマスターと呼んで差し支えないと思います。540ではヒーラーとしては機能しますが、マスターと呼ばれては本人がしんどいでしょう。

ちなみに540以上の人が約600人に一人(「パワーか、フォースか」改訂版では全人口の0.4%)で、600以上の覚者は数千万人に一人とされていますから、575以上の人物はおそらく数万人から数百万人に一人くらいしか存在していないと思われます。先ほども書きましたが、これだけ希少な人々の、さらにごくごく一部の人物だけが自ら教えようとするのだとすれば、この日本にそのようなマスターが果たして何人いると、あなたは思われますか?

しかし、それはあくまでマスターを定義する情報であって、本物のマスターの本質を示してはいません。では、その本質とはなにかというと、それはそのような人物のエネルギーフィールドには、それに触れるだけでほかの人の意識を目覚めさせるだけのパワーが備わっているということです。このマスターのエネルギーフィールドとそのパワーは、さまざまな文脈において「師の臨在」と呼ばれています。さて、ここで先ほどの引用文のすこし前にある文章を引用しましょう。

より具体的に言えば、師から弟子への伝達は、より高次のエネルギーシステムを介して行われます。それは心(マインド)を超越したキリスト的、ブッダ的ないわゆるコーザル体(訳注:コーザル体とは六次元の身体のことで、最後の個性を残しつつも完全な光の意識であると言われている。このレベルでは、すべてを等しく見ることができ、また前世のカルマはここに刻まれていると言われている。)と呼ばれるもので、チャクラシステムのようなエネルギーフィールドを内在しています。言葉の情報や内容は、高次(抽象的な思考領域)と低次(論理的な思考領域)の記憶装置の中に保管されますが、師の発する高波動のエネルギーは、生徒の中に眠る霊的なエネルギーシステムを揺り起こします。

「 I <わたし> 真実と主観性」
デヴィッド・R・ホーキンズ

言葉の情報や内容は、高次(抽象的な思考領域)と低次(論理的な思考領域)の記憶装置の中に保管されます

とありますが、最初の引用文で言及されていたメンタル体がこの高次と低次の記憶装置のことです。あるいは低次の記憶装置には大脳も含まれると考えていただいてもよいでしょう。いずれにしても、400台の教師(マスターとはもはや呼びません)が持っている理解はこのメンタル体+大脳の中にある情報でしかないということになります。ここで最初の引用文から文章を再度引用します。

それはメンタル体の記憶の中に情報を保存しているだけなので、彼らは、より高次の複数の霊体が活性している師の臨在に触れることで、自らの霊体を活性化することを待ち望んでいます。

霊的な体(霊体)にはエーテル体、アストラル体、メンタル体と呼ばれる低次のものと、コーザル体と呼ばれる高次の霊体があるとされています。メンタル体までの低次の霊体の働きはいわゆるエゴ(自我)として肉体に反映されますが、コーザル体は過去生にまたがる複数の記憶を保持する、より高次の自己です。霊的なパワーの源は、このコーザル体以上の高次の霊体にあります。

コーザル体はさらにブッディ体やセレスティアル体などに分けて見る考えがありますが、情報の出処によって呼び名や分け方が異なるため、ここでは単にコーザル体という一つの霊体として扱っています。

※ちなみに、今回引用している文章は

Q.『真理』が無形ならば、どのように言葉で伝えられるのでしょうか?

という質問への回答として書かれている文章の抜粋となっています。

第7章 「自己」の根源的な真実 のなかの一節です

ここで言われていることのポイントは、メンタル体から引き出され、メンタル体に記憶される情報のやり取りでは霊的な目覚めを起こすには足りないということです。

それゆえ、探求者が待ち望んでいるのはコーザル体以上の霊体が活性しているマスターのエネルギーフィールド(臨在)に触れることだというわけです。すなわち、活性しているコーザル体の持ち主の放つパワーに曝露されると、その人のコーザル体も活性化されるということですね。

また、ここでもう一つ分かることは、おそらくは意識レベル500に到達することでコーザル体が活性しはじめるということが示唆されているということですね。意識レベル600以上になると人によっては過去生を思い出すそうですが、これもコーザル体の活性化によるものでしょう。

イエス・キリストやブッダ、あるいは比較的最近ではラマナ・マハルシやニサルガダッタ・マハラジやラメッシ・バルセカールといった賢者に会うために、世界中から探求者たちがインドへと押しかけたのは、まさにこれが理由でした。もちろん、その場で彼らに質問をして答えをもらうことも期待していたでしょうが、それだけが目的なら、彼らの対話集を読めば(翻訳の問題はおいといて)事足りたことでしょう。

訂正:イエス・キリストはインド人ではありませんでした🙇‍♂

ごめんなさい

かといって、彼らに会いに行った人たちのすべてが覚醒したというようなことはもちろんありません。そこで起きたことは、彼らに会った人たちのすべてがその人なりに意識レベルを上昇させたであろう、ということであって、その人がもし覚醒を目前とした意識レベルにすでに到達していたなら、師の臨在によってその人は覚醒したかもしれませんね。実際、ラメッシもマハラジの臨在によって悟りが起こったと言っています。

さて、ここまででマスターによる真理の伝達の本質は、言葉によるものではなく、そのエネルギーフィールドがもたらすパワーによるものであることはお分かりいただけたでしょうか?

ところで、このエネルギーフィールドは時間にも空間にも制限されないそうです。ホーキンズ博士によれば、このような偉大な賢者たちのエネルギーフィールドは死後も存続し、そのエネルギーに波長をあわせさえすれば、彼らの臨在による加護を得られるとのことですから、これを信じるならば、物理的に師の側へと足を運ぶ必要さえないはずですね。ポイントは共振・共鳴・共感です。逆にいえば、師の側に行ったとしても、共振・共鳴・共感が一切できなければ臨在に触れることはできないかもしれません。

実際、わたしはホーキンズ博士とラメッシにはいつも敬意を払っていますし、こうして文章を書くことを彼らへの祈りの表現だとみなしてやってもいます。そのせいかどうか、ホーキンズ博士ならこのように書くだろう、ラメッシならこう言うはずだ、というようなインスピレーションをいつもいただいていますよ🙂

そうそう、敬意と書いて思い出しましたが、探求者にとってもっとも必要な資質は謙虚さです。それは自分自身の意識レベルを偽らず過大評価しないということと同時に、自分よりも高次の存在に対する敬意、もっといえば畏敬の念を持つことを忘れてはいけないということです。先日、質問箱への回答として祈りについて書きましたが、祈るということはそうした高次の存在(師を含む)への敬意と感謝の表明でもあります。神社で手を合わせることも、謙虚さの表明といえます。その謙虚さがあれば、過去の偉大な賢者の臨在から恩恵を受けることができるはずです🙏ですから、くどいようですが、マスターを探す必要などないんですよ😉

ちなみに、逆に探求者の成長を妨げるものはプライドです。虚偽のマスターにも、プライドのアトラクターフィールドの影響を強く受けている人が多いです。

またまた長い記事になりました。読んでいただいてありがとうございます🙏

こちらはオマケで、ラメッシ・バルセカールのサットサンの動画です。この場所でのサットサン動画はたくさんあるのですが、この白人女性二人のやり取りが楽しげでハッピーな場になっているので紹介しました。このような場にいれば啓発されても不思議ではありませんね。

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