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望んだ選択肢じゃなくても絶望しなくてよい - うちのばあちゃんと防空壕の話から -

この文章では、主に望んでいなかった進路に自分がいると思っている人に向かって書きます。

学生、社会人を問わず、この気持ちがよい季節のなかでなんともやりきれない想いの方もいるはずかと思います。

そんなみなさんのお力に少しでもなれればと思います。

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この春、新社会人や新入生となったみなさん、就職活動や受験勉強おつかれさまでした。

自分の未来をつかみ取るために否が応でもやってくるこれらの変化。みなさんは満足していますでしょうか。

選ばれた人がいれば、選ばれない人もいる。

選べた人もいれば、選べなかった人もいる。

このように、自分の目前にある路に、満足できていない人もいるかと思います。

学生であれば、あれだけ憧れていた学校に入学できず、まったく考えてもいなかった学校で考えてもいなかった同級生といる春。

社会人であれば、あの有名企業ではなく、名前をいっても誰も知らないような企業でむかえるこの春。

春は、日本人にとって、いつだって希望の季節であると同時に鬱の季節です。

なぜか。

それは日本では、多くのことが春に変わるからです。

気温、湿度、進路、そして花粉。

これらの変化は、人の身体に思いのほか多くの影響をもたらします。

毎年、望まなかった選択肢をとらざるを得ないことに納得することができなくて、自ら命を絶ってしまう人もいると聞きます。

それは、絶望ということなのかもしれません。

でも、ちょっと、待ってほしいと思います。

みなさんが望んでいた選択肢をとったら望んでいた結果になるのでしょうか。

人生そうとも限りません。

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話は飛びますが、わたしの趣味は散歩です。街を歩くのも好きなのですが、自然の中を歩くのも好きです。

住まいのちかく、三浦半島を歩いていると、斜面に防空壕が残されているのをよく目にします。

あ、防空壕だ。

というぐらいに出会います。

念のため説明しておくと、防空壕とは、おもに戦時中、空襲をさけるために自然の地形や街中に構築される防御施設です。

日本で残存しているものは、岩盤等にもともとあった洞穴を第二次大戦中に拡張したものが多いのではないかと思います。

大戦中、米軍機が日本本土を空襲したのをご存知の方も多いと思います。

これらの空襲における兵器のなかで、有名なのは焼夷弾(よく燃えて住宅や工場を破壊するのが目的)による無差別爆撃です。

旧来の日本家屋は木造であったので、焼夷弾が落ちると、あっけなく燃えました。

家屋についた火が風にのってどんどん燃え広がるのは、それこそTwitterなどのSNSで昨今おきる『炎上』という用語に近しいものがあります。

家がなくなれば人は住む場所を失います。工場がなくなれば、工業生産ができなくなるわけで、様々な物資が滞ります。

もちろん火災によって死亡する民間人もおびただしい量になります。

人間というものは燃えると髪が一瞬で焦げ、皮膚がベロリと剥がれるようです。このあたりは、はだしのゲン(事実でないことも書いてあります)に描かれた世界をイメージしてみてください。

こんな怖い死に方は誰だっていやですね。

なので、空襲警報が発令されると、人は防空壕に逃げます。

もしかして、財力に余裕があった方は自宅に防空壕を掘っていた人もいるかと思います。

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ここで、わたしの祖母の話をします。

当時小学生のわたしは、戦時中の話に興味があったのですが、祖母はなかなかその話をしてくれませんでした。

なぜ話してくれなかったかというと、祖母はすこしボケていたというもあるのですが、本当は怖くて悲しかったからだと思います。あんまり話したくなさそうな顔でうつむいていた祖母の顔が思い出されます。

そんな祖母があるときに、大阪だったかどこか親戚のところに疎開(爆撃をさけるために引っ越して避難すること)していた時の話をしてくれたことがあります。

この話には、川でナマズをとって食べてみた話と防空壕の話の2つがあるのですが、今回は防空壕の話です。

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その日も空襲警報があり、爆撃機や機銃掃射(低空飛行をして、街路をゆく人を機銃で狙い撃ちにする)を避けるために祖母は家族と近くの防空壕に逃げました。

すると、到着が遅かったのか、すでにその防空壕には人が一杯いたようです。

「どうにか、いれてくれませんか」

「いや、ここは一杯だからよそに行ってください」

そういうやりとりがあったようです。

このとき、どうしても中に入れてくれなかったようです。

祖母はこのとき、怖くてどうしようもなかったといっていました。

たしかに野外にいること自体が高確率での死を意味するのでパニックになってもおかしくありません。

一方、防空壕の物理的な話をすると、中にはいったことがある人はわかるかと思いますが、たしかに多くはそれほど空間が広くはありません。

岩盤や土を掘るのもなかなかの工数なので、食料品をはじめとして様々な物資が不足していた大戦中は、工作機械が普及していない状態でしょうし、仕方がないかもしれません。

ここで、空には爆撃機B29なのでしょうか、それとも低空飛行で人を狙撃して恐怖をもたらす機銃掃射なのでしょうか。敵機が確かにやってきています。

駆け巡った祖母は、どうにか或る防空壕に逃げられ、空襲をやりすごすことができたようです。

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空襲が終わったあとの街。

そこは、程度の差はあれ、焼け野原なのでしょう。

祖母が、もときた道をもどっていき、最初に逃げようとした防空壕にやってきたそうです。

すると、

なんということでしょう。

その防空壕は爆弾の直撃を受けて跡形もなくなっていたのです。

つまり、

祖母は最初の防空壕で無事受け入れられていればこの世にはいなかったのです。

小学生だったわたしはこの話をきいて、フハっと鼻息荒く戦慄したのをいまでも覚えています。

祖母が死んでいたら、自分もいない。

もし、そのとき、最初の防空壕に入っていたら・・・

そのとき歴史が動いたというNHKの人気番組がありました。

これは歴史上の偉人がとった選択肢などによって歴史が動いたことをまとめた優れた番組です。松平定知さんの司会もよく似合っています。漫画もあります。

でも、祖母の話のように、歴史にはなんら名も残さないような庶民にとっても、なんらかきっかけになるようなできごともあるわけです。

わたしにとっては、この祖母が望んだ防空壕に入れなかったことが、もっとも大きな出来事なのかもしれません。

それは、人がいう目に見えないというものなのか。

よくわかりません。

ただわかるのは、人は望んだ選択肢に進めば、必ずしも望んだ結果になるというわけでもないということです。

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冒頭、この春に社会人になったり学生になった人にむけて書きます。という話をしました。

何が言いたいか、もう伝わっているかもしれません。

今一度、まとめておくと、

望まない選択肢にいる自分。

望んだ選択肢にいる自分。

これらの未来になにがあるかはわかりません。どちらでも失敗はあると思いますし成功もあると思います。

防空壕の話は生きるか死ぬかの話でした。

でも、この平和な日本社会では、北朝鮮や中国の明確な脅威はありながらも、ご自身が選んだ進路の選択肢によって、容易に死ぬことはありません。

どうせ死ぬわけでもないんです。

なので、悲観する必要はありません。

今、ここで、全力を尽くす。

選べなかった道がどうのこうのと、過去に固執するのではなく、今立っている道の先にある、分かれ道の選択肢がより多くなるような努力をしたほうがよいかと思います。

選択肢が多くなれば、あれこれ選べる未来もまた楽しくなってきますね。

でも、人は弱いものです。

もし、ふりかえり選べなかった道のことがまた頭に浮かぶことがあれば、どうか、この防空壕の話を思い返してみてください。

平田 剛士(@tsuyoshi_hirata


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