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村八分女と補陀落渡海

社会人もひと段落つき、マズイ型も出来上がっていると、最早だれもきつく注意をしてくれなくなり、日々ひたすら馴れの沼のほとりで腐れ仕事をすることになる。

このようなとろけた甘えは、やがてゆるんできた身のそこかしこに潜む<怠惰>というバクテリアにより分解され、それが酸となる。

そして酸性の滓は堆積し歯茎をとかすことになる。

終いになって、ふとノートPCから顔をあげて、歯のない口をにっこりして、ふひゃひゃ、にゃぱぱと、笑顔を浮かべてみれば、デスクまわりの人がさわらぬ神にたたりなしという次第で皆ソッポを向く。

ここに至り、どうしたことだろう。何故みんなソッポを向くんだろうと気づけば良いが、そこにも気づかないと、それはそれで愉しい人生を送れる。

きついのは、己の所業に気づきつつもその轍を肯定できない人間で、そうしたものは三十路からネガティブのドブ川をくだり続ける。

晴れても曇っても雨がふっても一級河川ネガティブ川を下り続けるわけである。

降った先には、自然の摂理として当然海というものが用意されているが、つまるところこの海もネガティブ海なので、泳げば毛穴という毛穴、生まれつきあいている穴という穴、生まれてから意図的にオープンしてみた穴、オープンさせられた穴からネガティブが浸透し、さらに強力なネガティブ・タタリ神になる。

そんなこんなで女が、ネガティブの海からやっとの思いではいあがり、波打ち際に体育座りで身を休ませ、ふと頭を上げてみると、沈む夕陽も此の世の終わりのようである。空がアオタンというかそのあとの紫じみている。

嗚呼、どうしてどうしてわたしはいきていこうか、嗚呼。と、女は思っていると、たそがれの海から、のそのそあがってきたのは、あの浦島太郎に助けられたという海亀であった。

なぜわかるか。それは亀の甲羅の模様が同じであって、わかるものにはわかる典型的な龍宮亀の特徴が見えるからだ。当然、わからないものにはわからないが、わかるものにはわかる。世の中こういったもので満ちている。だからこの亀もそういうことなんだと理解してもらいたい。

海亀は云う。

「此れから、わたしはあなたを竜宮城へ連れていってあげようと思います。え?あ、謝礼は要りません。何故ならばそれはわたしの趣味だからです。海亀に趣味があるのかだって?あなたは初対面の人にむかって随分と失礼ですね。え?人ではない?海亀だろうって、お里がしれますね。ビジネス世界で貴女が村八分になったのも納得がいきます。自分はできると思っているのだが、ほかの人間から後ろ指をさされ、ほんとうは自分が世に必要ではないという存在だということにも気づいている。そんな女ではないでしょうか。え?そんなことはあなたの表情としゃべり方を見ればわかります。わたしは龍宮の使いなのです。特別なんです。なので、わかります。いいですか?そうですね、いいでしょう。竜宮城へ連れていくというイベント。それこそ、わたしのたった一つの趣味、というか生き甲斐です。さ、わかったら、さっさと背に乗りなさい」

「なにがいいんだろう。」

女はネガティブな気持ちも吹き飛ぶくらいに呆気にとられたが、海亀が器用にその場でクイックターンをし、夕陽もすっかり沈んだし、世界は青くて暗闇にむかっているし職もない。金もないし、男もいないし、やることもない。土曜でなけりゃ映画も早い。

みると、まだ海亀はこちらに背をむけている。

これはもう仕方ないと海亀の甲羅にまたがったところ、案外甲羅のクッション性が高く、サスペンションがきいている。なかなかいいな。これで通勤できたら。そんなこんなでネガティブな女と海亀は、寄せてはかえす闇の海に入っていった。

両名がいなくなった浜には、波の音だけが寄せては返し、名のしれぬ蟹が打ち上げられて溶けゆくミズウオの内臓をついばもうとし、やがて雲間から尖った月が顔を出した。

#小説 #ショートショート

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