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文章のはじっこをくるりと巻く

昆虫大学というイベントをなんとか終えたものの、健康や美容という言葉からあまりにも久しく遠ざかっており、死への恐怖を感じはじめた。より正確に言うと死自体は意識の終わりすなわち苦しみからの解放である可能性が高く、そういう意味では魅力的なのだが、死の手前にある痛みや苦しみやみじめさは恐ろしいし、もし万が一にも死後の世界や輪廻といったものが存在した場合、そこでの処遇が今生よりマシなものであるという確信はまったく持てないため、やはりまだ毎日を240%楽しく生きていたい。

知人に相談したところ「まずこの男と手を切りなさい」とカルビーのポテトチップスの袋に描かれているキャラクターの画像を見せられ、生木を裂くような惨いことを言うと思ったが、むしろ惨いのは滋養のほとんどを大戸屋にアウトソースしている自分の食生活だった。心機一転してスーパーに買い出しに行き、週末に一気に料理を作って平日の朝それをお弁当箱に詰めて出勤することにした。実は2ヶ月ほど前から朝はオンライン英会話もやっているため、かなり忙しない。そのようなリッパな自分におおいに満足する反面、これは自分ではないという思いが拭えず、何をしていても自分への反感を脳裏にチリチリと感じている。

わたしの周りの勤め人の中には以前から朝の時間を有効に使っている人が多く、やることが多すぎて朝4時に起床しているという管理職の話も聞いたことがある。そんな話を聞くたびに「これは同じ星の生物の話ではない」と切断処理をしてきたため、今さら朝に真っ当な活動をすることに対して体が悲鳴を上げているのだ。

最近めっきり長文を書くことがなくなってしまったため、ここで日記のようなものをできるだけ書いていこうと思う。締め切りのある文章をたまに頼まれると、「巻きはじめ」と「巻き終わり」にいつも非常に苦労する。餃子の皮のように書いたものをくるりと丸めてうまく巻けるとすごく気持ちがいい一方で、巻かないと終われないのはとても不自由だ。うまく巻けるようになりたいし、巻いていなくてもどこから食べても美味しい文章も書けるようになりたい。とりあえず毎日なにか書くしかない。自炊、英語学習、文章の練習、筋トレ、飲み会、打ち合わせ、毎日を建設的な活動で埋めつくし、一日をきちんと過ごしたという自己満足と成長の実感に脳細胞を浸しながら、ある日


_人人人人人人_
> 突然の死 <
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を迎える。死後が無でありますように。

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