カイエ【第四章】

完全有(かんぜんう)の隙間無き世界に≪引き裂き≫を生じせしめることが、
詩や短歌の文字列ではないだろうか。
それらは音声として口に出すことで、
さらに≪引き裂き≫を拡げ、
完全無を覗かせるかもしれない。
決して触れることのできない完全無。
それを予感させるところまで己を没入させるためには、
ポエジーの反逆の闘志にヘルプしてもらうのが賢明というもの。

短歌における三十一文字は五・七・五・七・七という言霊の五つの容れ物である。
破調における《字足らず》とは、
言霊の消沈であり、
破調における《字余り》とは、
言霊の漏出なのではないだろうか。

一文字一文字が霊性そのものであり、
人間はそれをあたかも操作することで短歌の三十一文字を構築しているようで、
その実は霊性にむしろ支配されているのではないだろうか。

短歌を詠む主体と客体としての言霊。

支配/被支配の相対性が絶対性へと変換されるような純粋経験、
それこそが短歌という最もうつくしい瞬間の氷結ではないだろうか。

もはや瞬間という幅さえないほどに、
言霊と詠み人とがあらかじめ合一されて「在る」こと。
もはやそのとき短歌は誰のものでもなく、
うつくしき霊そのものとして世界に実存しているのではないだろうか。

必読からの自由を提案したい。

現代人は必読強迫観念に陥っている。

ミーハー層や完璧主義者層はたやすく釣られてしまうだろう。
上から目線の必読の押し付けは、まさに≪教養ハラスメント≫だ。
わたくしとしては、必読ではなく偶読(ぐうどく)をお薦めしたい。

あれは近代、これは現代。

あんなものは近代的だ。

これこそが現代的だ。

近代にこそ学ぶべきだ。

近代へと立ち返るべきだ。

現代性こそ追究すべきだ。

現代にのみ目を向けよ。

ヒトはあれこれ方向指示をする。

アンドロイドが街を闊歩する頃、

我らが時代などは一気に近代化するだろう。

そして最後のアンドロイドが新しい神にその命を踏みにじられる時、
我らが時代は近代からの近世化、
いや、
中世化されることとなるであろう。

そうやって我らヒト化の生き物は、
現代から古代へと、
果てしなき針のおそろしき末端へと忘却されてゆくのかもしれない。

ヒト科よ滅びるなかれ。

わたくしのこの文字列に幸いあれ。

すべての医療は不確実である、
という文字列に遭遇した。

それはそうであろう。

科学そのものが近似値との戯れだ。

すべての医療は不確実であり、
不正確ではあるが、
不誠実であってはならないと思うのだ。

「マリファナ」という文字を見ると、
何故だろうか、
神経質でピッチリヨコワケ・ヘアスタイルのよく似合う鬼畜メガネ的な化学式が浮かんでしまうのだが、
「マリワナ」という文字を見ると、
淫らなそして一筋縄ではいかないような粘着質な可愛さを持った女の子のイメージとなる。

音素の些細な違いだけでこんなにもキャライメージが変化することに思いを馳せると、
何故だか文字たちに翻弄されているわたくしたちが俄然不可解な存在者になってくる。

文字は人間が生み出したのだろうが、
もしかすると、人間を創ったのが文字かもしれないじゃないか、
と半分冗談めいて思うのだ。

まあ、
あまりにもロマンティック過ぎる憶念は、
聖書を読まずしてキリスト教的新興宗教の教祖になってしまったような気がして危なっかしいので、
思弁をここいらで停止することとしよう。

文字とにらめっこしている数ならば、
学者の先生方にはかなわないだろう。
しかし、
哲学はそこだけにあるわけではなく、
己の頭の全霊を傾けてどれだけ考え抜いたか、
どこまでシミュレーションできたか、
体感として、
体験として、
どこまで既存の哲学のヴァージョンアップをインプットできたか、
ということも加えて評価すべきだろう。
アカデミズムに依拠しないわたくしのような凡夫であっても、
究極の哲学に至ることは、
可能性としては≪無きにしも非ず≫ということだと言えば、
言い過ぎであろうか。

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カイエ(わたしの非哲学)

ランダムなテーマの断章的なあらゆるわたくし。 反哲学ではなく非哲学としての思想。 なんでもないことをなんでもなく語るこ雑記帳。
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