よしもとお笑いライブを鑑賞して~芸人のどこがすごいのか

 地元にある大学の学園祭でよしもとのお笑いライブがあるというので行ってみた。出演芸人はデニス、相席スタート、おかずクラブの3組。ひとりも知らないが、たまには「知らない世界」を覗くのもいいかなぁと思ったのである。
 会場ではとうぜん、出演者を知っている人が多かったようである。持ちネタらしきものや、学園祭に合わせたネタでもとても受けていた。わたしは偏屈者なので、ネタそのものがものすごく面白い!とは思えず「ゲラゲラ笑う」まではいかなかった。
 けれども、芸人たちの発声のクリアなこと。マイクは通しているが、持ちネタをまったく知らないわたしが、ひとことひとこと何を言っているのかがちゃんと伝わってくる。
 もちろん、ときどき講師業をするわたしなどとは比べ物にならない発声練習を日々積みあげているに違いないが、これにまず驚いた。
 相手はプロなのだから当然か? いや、どんなことにも「当然」はない。わたしは幼少時から本の虫で書くことが大好き。昔から言葉に対して興味や感性はあった。そこで、ずっと「文章」周りで生計を立てることができている。
 芸人だって、子ども時代か学生のときなのか、「笑い」や「ネタ」「話術」について興味や感性があったからその道に入ったはずだ。
 単なる「興味」「感性」を、毎日毎日、何年間、いや何十年間も磨いてきた結果、人前に立ってお金をもらえ、食べていけるところまできた。これはすごいことではないか。
 「興味」「感性」というベースを備えた人が正しい方向で努力を重ねると、テレビにも出ていて誰でも名前を知る「一流」の人まではいかないかもしれないが、その道で食べていける「ふつう」レベルにはなれる。今日の人たちを見て思った。翻訳者も、校閲者も、どんな職業の人も(とくにフリーランスは)そうであってほしいと思う。
 もうひとつ思ったことがある。学園祭ということで、大学生の司会は間違えたり上手く話せなかったり言葉に詰まったしていた。照明もセンターピンがなかなかつかなかったり、ついたと思ったら消してみたり、客席照明を消したりつけたりと安定しなかった。
 トラブルがあるたびに客はざわついたり、しらけて雰囲気が固まったりしてしまうのだが、お笑い芸人というのはさすがである。出演者紹介で名前を呼ばれなかったり、司会が無言になってしまったときも、(具体的にどんなことを言ったかは忘れてしまったが)切り返して客を笑わせにくる。
 先日、本田正識著『1秒で答えをつくる力 お笑い芸人が「切り返しのプロ」になる48の技術』を読んだときも思ったが、舞台に上がる人にとって、「トラブルに強い」は絶対条件なのかもしれない。
 自分も講師業をやっているのだから、この辺をもっともっと磨いていかねばならないだろう。予想外の質問が来ると「えーと」と言いながら回答を考えたりしているが、ぱっと答えられてこそ、お金をもらって話をする資格があるのだ。
 直近では、来月JAT(日本翻訳者協会)で登壇することになった。せめて、予想質問集を作っておき、それには瞬時にすらすら答えられるように練習をしておこう。

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