久しぶりに夜のウォーキングに出た。いつものコースではない方向に足を向けてみたら、川べりに見慣れない遊歩道がある。いつの間にできたんだろう。とりあえずテラスに降りてみよう。
 そういえばこういう歩き方は、何年もしていなかった。取り憑かれたように川を見ながら歩く日々だったのに。
 編集プロダクションにいたとき。20年ぶりに本を作る世界に入ったはいいけれど、何ひとつ分からない。質問しようにも、何を聞けばよいかすら分からない。まして欧文組版は周りの編集者もデザイナーもみな初めて。デザイナーに嫌な顔を買いながらも、手探りで指示を入れるしかなかった。
 そんな毎日のなか、いつしか通勤の行き帰りに川沿いのテラスを歩くようになった。歌にもその情景が織り込まれている、花見の名所でもある大きい川が近くにあったので、最初は「気分転換に川の流れでも見るか」くらいのつもりだった。
 朝は、走っている人も、犬を散歩させている人もいる。夜はサックスを吹いている人や、手をつないで歩いているカップルがいたりする。灯をともした屋形船が水面に浮かんでいることもある。
 担当していた広報誌はトラブルの連続だった。イラストの色が出ない。微妙なフォントの違いを見抜けない。何度やり直してもらっても字詰めがきれいにならない。背面レイヤーに前のデータが残っている。あげくは、ある団体から借りた写真のクレジットが抜けていた……。そんなときも、このルートを通ると、負の塊が流れて楽になっていく気がした。朝は、行き交う消防庁の船を見たり、打ち寄せる航跡波で靴が濡れたりしても、「今日もとりあえずがんばってみよう」と思えた。
 対して今日は、地元の小さい川っ端だ。小さいとはいえ一級河川、住民にとっては重要な存在であるはずだが、昔から氾濫を繰り返してきたせいか、あまりいい印象がない。この辺を歩いてみようと思ったことがなかったが、遊歩道が整備されていたなら、行ってみなければ。
 川べりをどんどん行くと、テラスが途切れず続いている。ふだん歩くときは歌を歌うが、川沿いの道では歌わない。流れる水の音を聞きながら歩くのみ。
 とくに屈託を抱えているわけではないのに、歩いているとどんどん脚が軽くなる。そうだった、これが「流してくれる水」だった。3年ぶりの感覚だ。昨夏に思い出していればあんなに思いつめずに済んだかもしれないが、もう終わったことだ。それよりも、この場所と、この感覚を覚えておくことのほうがずっと大事。
 そうだ、地元にはもうひとつ、少し大きい川がある。昔はそのあたりを走っていたのだ。今度は歩いてみよう、水の音とともに。

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散歩日記

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