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noteというツールを手に入れた結果、何も投稿できなかった自分に思うこと

最近、noteをはじめた。
まぁ、「最近」といってももう20日ほど前になる。
記事は初日に1つ投稿しただけである。

その間何をしていたかと言うと、思いついた題材について書いてはやめ、書いてはやめ。
気づいたら、下書きに7個もの投稿が残っていた。ひどいものでは2000字書いてる。でも出さない。
なぜか。

noteを書きはじめる時は、大体良い文章が書けるだろうと思って始める。
そもそも取り上げたいと感じた題材が結構面白いと思っているし、脳内で作った文章は素晴らしくて、これを文字に起こせば「スキ」が沢山くるはずと息巻いている。

でもいざ書き出すと、伝えたい文章を効果的に配置できないし、書きたいことがありすぎてとっ散らかってるしで中々納得いくものが出来上がらない。
で、なんとなく書くのを止めて、そのまま放置。「まぁ、誰に強制されるものでもないし」なんて言い訳しながら。「これ、出したら反応あるのにな」なんて夢見ながら。

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わたしは今、フリーランスとして「会社」に属さずに稼いでいくチャレンジ中である。

今月、なんと自分が借りている家賃分の収入を得ることができた。そのことを、私をサポートしてくれている忍翔さんに報告したところ、「Twitterで報告せい」と言われた。

正直「嫌だな、恥ずかしいな」なんて思った。
ちょっとだけ「自分のことなんて誰も興味ないでしょー」とも。

でも、結果的に50人近い方が「いいね」をしてくれた。めちゃくちゃ嬉しかったのと、少し安心している自分がいた。

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noteの初投稿は「OBS配信方法」について記載した。
同時に配信スタッフとして仕事を募集することとした。

その記事をあげた時の不安感と恐怖心は今でも覚えている。
「なんの反応もなかったらどうしよう」「誰からも見向きもされないんじゃないか」なんて感じていた。反応を確かめたくて、ずっとTwitterに張り付いていた。

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noteの下書きに残る7つの投稿を見て、今日の自分を感じて、過去の自分を思い出して、私は自分という人間が無視されることを恐れているのだと思った。賞賛はもちろん、蔑まれるよりも無視が怖い。

ノートに残る下書きは、「反応がない」という結果を引き受けないための手段であった。出さなければ、反応がなくても当たり前だ。

それと同時に、この下書きは、自分が感じたことや考えたことを発信したいという意思の表れでもある。そう、聞いて欲しいことは山ほどあるのだ。

今、この発信したいという気持ちと、無反応への恐怖とが戦える所まで来たのだと思う(これまでは無反応への恐怖が圧勝だった)。そして、この恐怖は乗り越えなくてはならないものでもある。

この記事を書いている今も、この恐怖と戦っている。
「こんなこと書いたら、周りの人に気を使わせるぞ」
「反応欲しいって記事で反応なかったらめっちゃ悲しい」
「めんどくさいやつだと思われるぞ」
なんて言葉が終始頭を駆け巡る。

「うるせぇ!」
そう一蹴して、公開設定のボタンを押そう。(押せ!)

ご覧いただき、ありがとうございます!これからもいろんな体験や学びをシェアしていこうと思います。気に入ってくださった方は、サポートいただけると励みになります♪♪ どうぞよろしくお願いいたします。