嫌なところを見つけたとき

謝れるのも反論されるのも嫌だし、どうせ何を言われても荒んだ心は治らないだろうからもう何も言わないってあるんだなあと思った最近。
私は嫌なことを随分と根に持つ方で、何か嫌だったなあが積もりに積もっていきなりその場を逃げ出すタイプなのだが、それは相手からしても自分にとってもとても迷惑なことだと自覚はしている。
誰かに愚痴を言って治ればいいのだが、それでもどうにもならないから言わないでいてモヤモヤを溜め込んでしまうのだ。厄介だ。非常に厄介で自分でもどうしたらいいのか分からなくなる。

夫婦間でそんなモヤモヤを溜め込みながら生活するのが一番辛いと思う。一緒に生活しなければいけないのに、嫌なことは一つ見えると雪だるま式に増えていくものだ。ストレスの原因と共に生活するのはどれほど息苦しいだろう。

そんなことをふと考えて、私は思ったのだ。良いところだけ見ては駄目なのだろうな、と。人間は良いところも都合の悪いところも持ち合わせているものだと思う。だから一生添い遂げる相手の全てを受け入れるのが、きっと最善策だ。勿論前提として、相手に都合の悪いところがあるのを理解しているものとする。
人間は完全な生き物ではないから、自分にとって嫌なことなど沢山持っている筈だ。それを矯正してやろう、と頑張る人もいるだろうが、私はそんなに頑張りたくないし、強制的に躾のようなこともしたくない。長年培ってきた生活や性格は変え難いものだとも思う。
だから一番簡単なのは、全てを受け入れてしまうことだ。大きな棘は包むと自分が破裂してしまうから、それは避けるべきだと思う。しかしごく僅かな棘なら割れないで包むことも出来るかもしれない。
私は何でもかんでも許すことが出来るような器量は持ち合わせていない。だからこそ、都合の悪い部分はそれとして、あまり深く考えずに受け入れられたらいいなと思うのだ。

どうせ都合の悪いところなんて、私の場合叩けば叩くだけ出てくるだろうし、私の周りにいる人はそれを仕方ないものとして受け入れてくれているのだ。
だから私もそんな風に、優しく見守るくらいの気持ちで、誰かの棘を包みたいと思う。
他人に優しくあるというのは、そういう受け入れる姿勢から始まるのではないかと思うのだ。

#エッセイ
#夫婦

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