おやすみの前に

ありがとう、と言ってくれるわけではない。
ミルクを飲ませても、オムツを替えても、お風呂に入れても、せっせと一生懸命お世話をしても、お礼の言葉を返してはくれない。勿論、お金が貰えるわけでもない。
それが育児である。

そうなると、ただやりたいからやってるということになる。こうして欲しいと言われているわけでもないから、完全なる自己満足だ。それでも来る日も来る日も親は子どもの世話をする。まるでそれが当たり前のように。

そう、きっと当たり前なのだ。だって産んだのだから。でも10ヶ月前までただの人だったのが、いきなり親という称号を与えられ育児をし始め、人格そのものが親というものにすり替わったわけでもないのに、当たり前を押し付けられることは、やや辛さがある。当たり前でなかったことが当たり前になってしまうには時間が必要なのだ。
だからせめて、誰かに褒めてもらいたいと思うのは甘えなのだろうか。
まだ誰かの子どもでいた時間の方が長いのに、甘えてはいけないのだろうか。
むしろ当たり前にしていいのは、出来なくて当たり前、上手でなくて当たり前、の方なのではないか。
私はまだ、完全な親になれたが気がしていない。

子どもは食べてしまいたいくらい可愛い。可愛くて、心配で、私が守ってあげなくちゃ、という気持ちになる。
お礼を言われるわけでもない。
お金が貰えるわけでもない。
誰かに強制されてるわけでもない。
それでもお世話をしたくなる。
何故だろう。付き合いなんてたかが何ヶ月かなのに、強烈に愛しいのだ。
これが子どもの力か、末恐ろしい。

最近よく笑うようになった我が家の双子。その笑顔だけで、親というものを一生懸命演じようと思うよ。
無償の愛なんてきっと存在しない。
私はしっかり、双子の笑顔を貰ってしまっている。

#エッセイ
#育児

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