元不登校高卒が、社会復帰を目指して。

突然ですが、様々なものが不安定なこの現代日本において、あなたは「自分の価値」を考えたことがありますか?

私はあります。ここ最近は就活中というのも相俟って、普段以上にそればっかり考えています。
考え過ぎて考え過ぎて煮詰まって、先日も母と口論になったばかりです。

もうどうしようもねえ!死にたくないが死ぬしかないのか!?
そんなことを今朝早朝までずっと考えていたのですが、まあ人間当たり前に眠気には勝てず華麗に寝落ちし、多少は冷静になったヤケクソの頭で「もう分かんねえから誰かなんかそういうの詳しい人助けて〜!」の意味も込めて、こうして筆を執っています。

そんな無茶苦茶な精神状態ではありますが、頭のおかしな状態の方がいい文章が書けるとも小耳に挟んだことがあるので、今回はどうして私がこんなに馬鹿みたいなことになっているのか、簡単に整理してみたいと思います。はえ〜こんな人間もいるんだなあ、ぐらいの気持ちで見てください。我ながら世間体最悪の半生だとは思うので、皆さんの心の慰めくらいにはなるやもしれません。いやマジで。

こんなしょうもない女ですが、何かアドバイスあればください。noteの内容のことでも人生のことでも何でもいいです本当にもう、本当に頼むから。
もう何でもいいから自分を変えたいです。それだけです。


01.順風満帆だったはずの人生

01-1 なんか凄かった(らしい)幼少期

2001年、とある関西の田舎とも都会ともいえない微妙な地域に生まれました。(あんまり言うと特定されそうですが)主要都市である大阪や神戸、京都なんかからは距離があるものの、自宅周辺には商業施設や全国チェーン店が立ち並び、田んぼよりも遥かに住宅の数の方が多い、本当に何とも言えない地域です。

長女であり親戚内の第一子として生まれた私はそりゃあもう可愛がられたらしく、今でも兄弟達よりもたくさん写真が残っていたり、遺物が残っていたり、掘れば沢山のエピソードが出てきたり、まあ何ともそれなりに愛されて育ってきました。

運動は少しどころかかなり苦手で、徒競走ではいっつも最下位、自転車に乗れるようになるのもだいぶ遅く、近所の同級生達に応援されながら何とか乗れるようになるような感じでしたが、その反面勉強は大の得意でした。
幼稚園の頃にはある程度簡単な漢字の読み書きができ、小学校低学年の頃にはハードカバーでハリー・ポッターを普通に難なく読み、テストでは満点でない方が少ないような子でした。当時は神童だと思ったとのちに言われます。
中でも物覚えがよく、暗記は得意中の得意でした。小学校の時は授業で行った百人一首にハマり、一週間足らずで全句を叩き込み、地域の大会なんかにも出ていました。

当時の私は、海外旅行が趣味だった母の影響もあり、ずっと海外に関心がありました。中でも特にウィーンに行くのが夢で(深い理由やきっかけは覚えていません。きっとなんとなくでしょう)将来はドイツ語留学をしたい!外大に行く!と張り切っていました。

そんな私の転機は、小学校高学年に入ってからのことでした。

01-2 「何かが違う」を感じ始めた時期

小学校高学年に上がると、どうしても低学年や中学年の頃のように、無邪気な子供のまま、というわけにはいきません。大人に憧れ、どことなく皆、よくも悪くも大人の真似をし出します。

私は呑気なやつだったので、派閥も男女も何にも気にせず、ただただいつも通りに毎日を送っていました。勉強が楽しくて、授業が楽しみで、早く中学校に上がりたい!
そんな私の中で当時マイブームだったのは絵本作りでした。自由帳をちぎって四つ折りにしてホッチキスで止め、各々自作の物語と挿絵を描いて作るのです。そんな自作の絵本を、友達と作っては読み合いっこしていました。私の創作の原点はここだったように思います。

そんな中、林間学校の班分けが発端でした。
男女に分かれて三人ずつのグループを作り、それらをくじでくっつけるという方法を取ることに。私は事前に、同じクラスだった幼馴染の女の子と、その子の友達との三人で行こうね!という話をしていました。誰とでもあんまり気にせず境なく話していたのですが、その二人とは特によく話していたのもあり、三人で行動するのをとっても楽しみにしていました。

そんな中、班決め。
あらかじめ打ち合わせをしていた私達は、何となーく三人で固まって、一緒の班になろうとしていました。そんな中、何故か私だけ他の子に腕を引っ張られたのです。
「にゃみちゃんは私達と一緒の班になるよね!」
私の腕を引っ張ったその子は、そのどこか強引な性格ゆえにクラスの中心にいた子達と反発している子でした。彼女は読書が大好きで、私の作った本に感想をくれたり、色んな本を紹介してくれるような子でした。私も彼女自身のことはどちらかというと苦手だったのですが、いつも寂しそうに教室の端で本を読んでいるのを見るとどうも放って置けなくて、定期的に声をかけたりしていました。

そんなところを、彼女はみていたのでしょう。
彼女と同じようにいつも一人で本を読んでいる大人しい女の子と、私とで強引に班を組みたがりました。初めは私も先に約束してたから、と断ろうとしたのですが、そんなところに、幼馴染の子が爆弾発言を落としたのです。
「え?約束なんかしてないけど?」

これがきっかけでした。初めから、その幼馴染の女の子は、私と班を組むつもりではなかったそうです。私の代わりに別の子を入れた三人とで一緒におり、結果私は一人になりました。
困惑しきっている私を、幼馴染の子以外も一緒になってくすくすと笑う声。この時初めて、人の怖さを知りました。

結局、決まらないままだったところを見かねて、先生の方で自動的に余っていた私を組み込まれ、その場は収まりました。
それでも、幼稚園の頃から一緒だった幼馴染に、ずっと影で馬鹿にされていたこと、今回こうして陥れられたこと。強引だった女の子も、事態を察したのか林間学校中、いつもの強引さはどこへやらという具合で優しくしてくれましたが、私にとってはそれどころではなかったのです。

林間学校中、耐えられなくなって何度も泣きました。
何が起こったのか受け入れたくなくて、先生に話すこともできませんでした。先生に話したことが分かれば、この嫌がらせは悪化すると、何となく察していたのです。

だから、人前では泣きませんでした。
林間学校が終わった後も、何事もなかったかのように幼馴染の子とも、班を組んだ子達とも接しました。
それでも、幼馴染の子とは徐々に距離をとりました。
それが気に食わなかったのか、クラスが変わっても、顔が広かった幼馴染の子の告げ口により、その子の友達から嫌がらせを受け続ける日々が、卒業まで続きました。

02.人生の転機

02-1 念願だった中学校

中学校に進学すると、勉強に逃げるようになりました。成績はそれなりによく、最終ゴールであるドイツ留学のために絶対に進学校に受かってやるんだ、そう思っていました。

部活も始まり、きっと私に嫌がらせをしていたしょうもない人たちもいなくなるだろう。そう思っていたのですが、現実はそう甘くなかったのです。
文化部が吹奏楽部か美術部と言う最悪のレパートリーだった中学校で、私は幽霊部員歓迎の卓球部に所属することになりました。運動も絵も苦手な私は当然帰宅部の予定だったのですが、小学校の時からクラブ活動で卓球をしていた友達に、このままだと廃部になるから名前だけでも置いてくれと頼まれたのです。

ただ、名前を置くだけとは言っても、サボる罪悪感に勝てず、初めはきちんと練習に参加していました。
けれど、最終的にはそれが命取りになりました。何とも不運なことに、件の幼馴染も同じ卓球部だったのです。
当然、部活での折り合いはうまくいきませんでした。そこからはお察しの通り小学校の頃と変わらない毎日。私も次第に部活には顔を出さなくなり、あの日々に怯え、人の顔色を窺うことばかりを覚え、周りに趣味や主張を合わせ、思い返せば黒歴史と言わざるを得ないほど過剰に誇張した嘘を吐いたり、散々にイキっていました。そうしている内に段々と自分がわからなくなって、しまいには三年の時に部長と同じクラスになってしまったことから嫌がらせの波は部活内だけではなくクラス内にも波及し、孤立し、私はついに学校にも行かなくなりました。

受験生なのに勉強もせず、毎日部屋で泣くか寝るか。当時は自殺願望も強く未遂も繰り返し、親に病院をたらい回しにされました。優等生だったはずの私がおかしくなるごとに家族もおかしくなっていき、私はとうとう統合失調症、と病名のつく形で診断を受けました。当時は低血圧がひどく、血圧は上が60、下が40という医者びっくりの結果。学校に何とか行けても当然授業なんて起きてもいられず、毎授業寝るたびに先生には怒られ、成績も振るわなくなり、だんだんと自分で自分の首を絞めるような状態に陥っていきました。

やっと卒業を迎えた中学の卒業式でも、なんとびっくり合唱中に気を失って倒れる始末。
散々でした。念願だった中学校は、もうあまり断片的な記憶しかありません。私の中では、よほど嫌な思い出だったのだと思います。

02-2 創作に救われた高校生活

なんとか高卒資格だけでも取ろうと通信制の高校に進学した私は、毎日毎日バイトに明け暮れました。それも一つの職場であまり長続きはしなかったのですが、接客に清掃、販売、工場、色んなアルバイトを繰り返しました。労働すればするだけ、賃金としてしっかり評価がされる世界。頑張れば頑張った分だけ認められる、その事実に快感を覚えたのです。毎年扶養ギリギリまで働いていました。もうこの時点で、拗らせた承認欲求はおかしなことになっていたのだと思います。

そんな私を救ってくれたのは、引きこもっていた時に出会った創作活動でした。
絵も下手で手先も不器用、当時はパソコンもな買った私は携帯でちまちまと小説を書き、ネットにあげていました。
一次創作から二次創作、色んなものを書きました。また、色んな本を読みました。とりわけ梶井基次郎に傾倒した私は、図書館に行っては最後に引き出されたのがいつかもわからない全集を借りては読み、その危なっかしくも繊細な思想に惹かれていました。それが、私の中では唯一の癒しだったのです。

今でこそ中々当時のように小説を書くことはなくなりましたが、思考を整理する中で最も有効な手段として文章を書くことを活用したり、高校時代にレポートを作る上で必要だった「長い文章を書く」と言うことにも、なんの抵抗もありませんでした。とにかく言葉にすることが好きでした。

02-3 仕事をする


何とか無事高校を卒業することができた私は、接客業に従事することを決めました。
とは言っても私はコロナ禍を直撃した世代で、高校卒業の年に流行り始め、高校の卒業式はありませんでした。私の卒業した通信制の高校は私立で、少し変わった校風の学校だったので、卒業式には毎年アカデミックガウンを着るのですが、ずっと憧れていたそれもなしに。従事したかった接客業にも、業界自体が落ち込んでいて、就職口はありませんでした。仕方なく、高校時代のアルバイトを継続し、コロナ禍が落ち着くのを待つことにしました。

接客業に従事したいと思っていたのは、結局人のことを嫌いになれなかった、というのが大きいのです。
学生時代に散々人の悪意を浴びました。人間のことは信用できないと分かっていても、どこかでは「いや、それでも」と思ってしまうのです。人は悪意ばかりではできていない。悪意に傷つけられた方が多くても、善意に救われた経験だって、少なからずある。だからこそ、そんな人の善意が少しでも多く覗けるよう、多くの人と接してみたかったのです。

結果、Gotoトラベルが開始されるのと同時に、私はリゾートバイトを始めました。海沿いの旅館で半年ほど。その中で、たくさんの出会いがありました。人の善意にも温かみにも、たくさん触れました。勿論朝まで遊んでは遅刻してやらかしたり、恋愛に失敗したり(笑)リゾートバイトらしく、若気の至りを尽くしたりもしました。またそれもいい思い出だったかもしれません。私にとっては貴重な青春でした。

初めは人間不信を拗らせ、人と円滑に会話をすることも、目を合わせて喋ることもできなくて、旅館の人にもお客さんにも沢山お叱りを受けました。それでも、自分なりに言い回しを工夫したり、観光スポットの現地調査をしたり、先輩に練習相手になってもらったりして、何とか私も半年後には一人で二十人近い宴会を取り仕切ったり、価格層の高い個室のお客さんの対応を任されたりと、きちんと成果を残すことができたのです。それがもう、嬉しくて嬉しくて。お客様アンケートで名指しで褒められた時なんて、嬉しすぎて思わずバックヤードで涙しました。

それでも緊急事態宣言などの煽りもあり、これからの時代、在宅でもできる仕事が大事なんだ!と、翌年からグラフィックデザインを勉強するために専門学校に進学。その時何でもできると思っていたのでしょう、しかしそれも結局はうまく続かず、中退することになりました。

03.現在の私

03-1 現在に至るまで

専門学校を中退した後は、これまた何となくで上京。一度東京に行ってみるんだ!と言う、田舎者あるあるの都会への憧れを募らせていました。しかし、履歴書上は通信高校卒業の専門中退。なんのスキルもなく、中学時代の病歴もあり。最悪の状態の私では中々正社員就業は難しく、派遣やアルバイトでの生活を繰り返していました。上京する上で家族に借金もし、せっかくの東京も楽しめないまま。

そんな中、プライベートも最悪。
専門を中退してしまったことで再び地に落ちた自己肯定感を持ち直すのは難しく、また慣れない東京での生活にも疲れ、たくさんの友達と揉めて縁が切れたり、恋愛に失敗したりと、散々な日々を送っていました。
何とか就業できた会社は不動産営業で、来る日も来る日もサービス残業。接客業が長かった私は営業そのものに苦戦はせず、むしろ成績は好調でしたが、月50も60もあった残業、次第に体は蝕まれていき、最終的には難聴に陥って数ヶ月で退職に至りました。

そんな私は昨年末に実家に帰省し、現在は就活中。
もう満身創痍で何がしたいのかもよく分からないまま、とりあえず何かしら働かなければ、との思いだけが焦りを生み、唯一の楽しみである文章執筆の延長線上で、この投稿の生成に至っています。

03-2 自己分析

現状、私に一番問題なのは体力のなさだな、とは思っています。
元々の病歴に加え、疲れやすい体質であること、成長期をほぼ寝たきりで過ごしていることから、体がうまく使えないこと。(中学時代には筋力不足で自分の腕を支えられず肩に激痛が走り、歩行困難になったこともありました)
体質改善は学生時代から一番の課題として取り組んでいて、漢方薬による長期的治療や、自宅だとどうしても監視の目がなくて続かなかったのでジムに通ってみたり(上京に際して現在は退会しています)しました。
ただ、元から運動が得意でなかったことも災いして、本当に全く続きません。大体三日坊主にすらならずじまいでやめてしまいます。

人間、どれだけやる気に満ちていても、それに合わせた体力がないことにはできません。当たり前です、ガソリンのない車は動きませんから。
ただ、習慣化に成功したのは現状漢方治療くらいのみで、どうしてもそれだけでは効能は弱い実感はあります。これに関してはもう情報が莫大すぎて、実際自分には何が足りていないのか、自分には何が適しているのか、またそれをリサーチする方法すらよく分からないまま、ヤケクソで急にランニングしだしたりしては次の日には筋肉痛で寝こけています。いい加減にしたい。

じゃあ逆にお前いいところ何なん?と言われたら、やっぱり「勉強が苦でない」と言うことかもしれません。
前職の不動産営業でも、営業スキルを身につけるために本を読んだり先輩の営業に聞き耳を立てて分析したり、路線図や相場、その土地にある商業施設や駅の特徴、乗り換えに使用する所要時間から主なオフィス街への通勤時間を割り出したり……基本的にあれこれ分析したり考察したりデータ収集したりするのが大好きです。

リゾートバイトをしていた時も、先輩などから教わった文言を元にトークスクリプトを作成し、口馴染みするように何度も反復しながら、また普段の先輩の話し方や伝え方、所作も参考にしながら何度も何度も改定していました。(それでも接客なので、それ通りに喋っていた事はほぼありませんが)

しかし上記の勉強が好き、と言うのもあくまで欠点である体力あってのことで、どうしても普段の勤務で一杯一杯になってしまうと何にもできないポンコツが仕上がるので、役に立つのかと言われれば……と言う気もしますが。

04. 今後の展望

現在、就活する上で重要視している点は、「今後の経験に活かせるもの」を取得する、と言う点です。
それが別に就業内で経験になるものでも、プライベートで取得することのできるだけの時間が生み出せる職、でも何でも構いません。ただ、今後何十年と生きていく上で、どうしても今までのままダラダラとフリーターを続ける、と言うことだけは避けたいと思っています。

ただ、正直「自分が何が好きなのか」そして「それをどうやって職業として落とし込むのか」それらが見えず、具体的な職に落とし込めないため、あれでもないこれでもないを繰り返しています。

就活市場において自分の価値が低いこと、そしてどうしても学生時代のトラウマや、紆余曲折したまま何にもなれていない自分を見ると、どうにも悠長にしていられない。そんな焦燥感だけがいっぱいです。
親に借金もしている状態なので、早く一定の収入は得なければならず、大きな博打もできませんし、就ける職も限られているのに、それでもどうしても迷ってしまう。漠然とした不安だけが、どうしても「自分の価値」を曇らせているように思います。

こんなどうしようもない人間の半生をここまで見て頂いた皆さん、皆さんはどう感じたでしょうか。第三者からの客観的視点が欲しい、という気持ちがあるので、どんな酷評でも、思うことがあればぜひ教えていただきたいです。
私はどうしても、現在の自分が「可哀想な人生を送ってきた自分」に浸って、自分に甘えているだけだと思えて仕方がないのです。

「死にたいと思わなくなっただけマシ」それが私の今の口癖です。
これは事実かもしれません。でも、生きていくためには、生活していくためには、そのさらに一歩先に踏み出す必要があります。人より周回遅れの私は、尚のことそれについてしっかりと考えなければならない。それなのに、どうしてもその一歩が踏み出せない。

だから今日、私はこのnoteを書くことにしました。
勿論、こうして書いて振り返ることで、自分の思考を再度整理することができる。そんな手段でもあります。けれど、それだったら日記でも何でも構わないのです。

恥も承知です。
人間ですから、間違うこともあります。
けれど、私はここにこうして「記事」として、自分が変わるためにやること、自分が変わりたいこと、それらを記していこうと思います。

「昔はできていたのに」そんな気持ちが、どうしても私の中にプライドとして存在します。
私はできるんだ、できる人間なんだから失敗はダメだ。だから隠して、続かなければなかったことにして、消してしまう。でも、そんな素直になれない自分を、また自分で嫌いになるんです。
そんな自分がもう嫌です!うんざりです!変わりたい!

なので、皆さんにお願いがあります。
私に知恵を貸してください。監視の目になってください。
「こうすればいいのでは」「これが参考になるよ」そんなものがあれば、何でもいいので教えてください。
私は失敗したことも成功したことも含めて、全部全部ここに書きます。経過も書きます。できそうなことから何でもやります。

とまあ、こんなアホほどポジティブに性善説信者丸出しでカッコつけたことを書いていますが、こんなことを書いている当の本人は、今朝どうせメンタル面からきている体調不良でバイトを当欠し、吐き気と戦いつつエグエグ言いながら書いています。最低?

まずはちゃんと明日バイト行きます。本当にすみません。
本当にそんな小さなことからでも初めていきたいです。本気で成長したいんです。よろしくお願いします。
(まずは明日、ちゃんとバイト行きました報告ができるように。今日はあっったかくして早めに寝ます。)




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