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日本のまんなかあたりで、おとなしく生息しています。南国の果物が好きです。飛行機を見るの…

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日本のまんなかあたりで、おとなしく生息しています。南国の果物が好きです。飛行機を見るのが好きです。意外と運動神経がいいおばさんです。

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最近の記事

エジプト旅の続き。カルチャーショックは突然に。

1997年2月某日。 カイロから、王家の谷を目指して長距離バスに乗った。 お金がなかったので、一番安いバスに乗った。 すると、背もたれがひたすら前に倒れてくる仕様(?)で、 背をもたれさせるどころか、私の背を使って必死で背もたれを支えていなければならない旅となった。 だが、 バスは、そんなことはお構いなしに埃まみれの道をひた走る。 こんな砂埃のなかで道が良く見えるな! と感心するほど、視界のすべてがサンドベージュだが、運転手さんはものともしない。 ときどき、ドラ

    • 小説:ウメさん!

       ウメさん登場 現代の小学生は、多忙である。学校が終わると塾がある。塾がない日は、空手やらピアノやら水泳がある。カイトも、忙しい小学生の一員だ。共働きの両親に愛されながら、人並みの家庭で育っている。  七年前に、そこにカイトの弟ハルトが加わった。ハルトは謎の天才児である。両親も、カイト本人も、なににつけても人並み外れて優秀ということはない。大抵のことが人より少しできたりできなかったり、という程度だ。だが、ハルトは、生まれて二か月もたったことから、明らかに他人と違った。まず無

      • ヨルダンを脱出、アスワンハイダムへ向かう。

        ヨルダンには、一週間ほど滞在した。ペトラ遺跡に四日間通って堪能し、ファラーフェル(ひよこ豆のコロッケ)を味わい、村の広場で子供たちとサッカーをした。 滞在は、大工の一家の厚意に甘えて居候させてもらっていたものの、貧乏学生には、物価が高かった。そもそも、お金がなくなってカジノで稼いだあぶく銭しかもっていなかったから、ほかの大学生旅行者よりはるかに貧乏だった。 「エジプトに戻ろうと思う」とある夜、家長に告げた。 「なぜだ! 好きなだけいたらいいと言っているのに、こんなにすぐに帰る

        • 石の女王3 完結

          左利きの兄は、じりじりと後ろへさがり、身をひるがえしたかと思うと、洞窟の向こうへ姿を消した。  三人は、無言のなかに山を下りた。  村に帰還してから、半年後、初夏の朝に右利きの弟と青い目は結婚式を執り行った。  二人は、婚約者を失った金の目に遠慮して、お披露目は簡素な食事会にとどめた。  工房は、右利きの弟が一人で切り盛りした。石工としての腕はよかったし、青い目は切り盛り上手だったので、暮らしはなんとか回っていた。  毎日はあわただしく過ぎ、二人は、小さな家を建て、やがて子供

        エジプト旅の続き。カルチャーショックは突然に。

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        • エジプトあたり旅行記
          8本
        • アジアあたり旅行記
          1本

        記事

          石の女王2

          「帰りの道はあちらだ。特別に、近道を教えて進ぜよう」作業場の向こう側に、外界の景色が広がっていた。左利きの兄が来た方向とは逆の方向だった。女王は、出口の方向をスッと扇子をあげて指し示した。香木のよい香りが漂った。  作業場の間を道が続いていた。いくつかのくぼみをぬうようにして石畳の道が奥へとつながっていた。 たくさんの人間が、忙しそうに立ち働いている。 ノミをふるう者、火をおこす者、木をたわめる者、土を練る者。みなわき目もふらずに働いている。  山の生命、山のもちものに取

          石の女王2

          石の女王 1

           その村は、山脈の東側にあり、石工の村と呼ばれていた。 山からとれる特産の石は、かすかに七色の光を発する不思議なもので、都で人気があった。良質の石で作られた凝った細工物は、驚くような高値で取引されていた。  あるとき、村に双子の男の子が生まれた。丸々と太った玉のような子たちだった。  双子の生家も、代々続く石工の家系だったが、父親がさほど仕事熱心でなかったうえに兄弟が多く、あまり裕福ではなかった。二人が七歳になったとき、近くに住む、石工の老人の家へもらわれていく話がまとまっ

          石の女王 1

          ラオスに着く。

          ラオスに着く 私が、旅をしていた1995年~2005年ごろ、 世界のバックパッカーに 「ラオスに行きたい」というと、 妙に、意を得たような顔でうなずかれたものだった。 その理由は、麻薬だ。 ラオスとベトナムとミャンマーとタイ、中国の雲南省が繋がるあたり、 要はその辺の山岳地帯はイロンナモノが栽培されていた……ようだ。 ようだというのは、正統派バックパッカーだった私は、 なんと、主な資料がナショナルジオグラフィック、 ときどき地球の歩き方とロンリープラネット、 という変わ

          ラオスに着く。

          27泊28日  続き

          キャンプの話の続きです。 小学校高学年から中学校1年まで、 27泊28日キャンプに参加していたため、 夏休みの宿題をまともにやったことがない。 電気がないので、宿題をやる明かりがないし そもそも夜は眠い。 朝は飯炊で手がいっぱいである。 晴耕雨読というが 雨が降ればすべての荷物が濡れるので ノートも鉛筆もよくわからない残骸となる。 とはいえ キャンプに参加した全員が 新学期に宿題を提出していないとは考えにくいので、 単に私が不器用だっただけかもしれない。 毎年クリスマ

          27泊28日  続き

          27泊28日キャンプ

          子供の時の話をしようと思う。 小学校の高学年から、 夏休みに長野県伊那谷の奥地へキャンプに行くようになった。 親が共働きだったから 夏休みに子供2人が家に居られては大変だというのもあったと思う。 また、私の母親は世間とは少し違うタイプの教育ママゴンで、 子供の時に教わらないとできないことを片っ端から習わせてもらった感があり その一環かもしれない。 ある日、母親が 「どんな時でも、生きていく術を知っていると何かと有利だから。」 そう言ってどこかの新聞記事からそのキャンプ

          27泊28日キャンプ

          タイ ラオスに行けない

          タイ王国のお話の・・・続きデス^^ キングサイズのその家唯一の(と、後になって知る)ベッドにて ボーイフレンド、私、女の子の順で川の字になって横たわった。 「半年ぶりに再会したというカップルの、 どまんなかにいて、 わたし、眠れるかしら!!」 という思いが頭を占領していた。 暗闇のなかの天井を凝視し続け・・・ たつもりが 目をあけたら朝だった。 さわやかな寝覚めである。 もぞもぞと起きだす。 まだカップル二人が熟睡しているようだったので、 部屋からそっと抜けだす。

          タイ ラオスに行けない

          タイ 近くて遠くのラオス

          タイが好きだった。 18歳で初めて訪れた。 そのとき、タイの人たちのあっけらかんとした明るさみたいなものに魅せられて その後何度も訪れた。 西で『戦場にかける橋』を見て、北で首長族の女の子たちと側転大会をやり、東で遺跡を見た。 大学卒業後、社会に出て、死ぬほど働いた。「アイツはどうやら蟹工船に乗ってるらしい」と噂がたっていた。 基本的には1日22時間くらい働いていた。 会社に泊まり込む日が多く、家にはほとんど帰らなかった。 今なら労基が黙っていないようにも思うが、本人は、し

          タイ 近くて遠くのラオス

          ヨルダンの余暇

          旅のお話エジプトあたり編8結局、ヨルダンには一週間ほど滞在した。 ペトラには4日間通った。 二日目からは、ペトラの番人が、私の顔を見て、「オッケー」というので、特に通行料を払うこともなくペトラに入場することができた。こういう緩い感じ、好きだ。 ペトラに行き、家に戻り、近所を散歩する。そんな日課ができた。 街の入り口に広場があり、ネットがないサッカーゴールが据え付けられていた。 ゴールポストも一つしかなく、ボールも一つしかない(と思われる)。 子供たちが、サッカー版の3

          ヨルダンの余暇

          2020.2月の料理教室

          2020.02.06 Don Mangione di napoli {これが本当のジェノベーゼ  お肉と香味野菜のジェノベーゼナポレターナ} 牛肉(なければ豚肉でもOK)200~1kg 玉ねぎ 2~6個(お肉の倍) 人参1/2~2本(なければないでOK) セロリ 1本(なければないでOK) トマト 一つくらい(缶詰可) 白ワイン、塩、胡椒 パルミジャーノ、パセリ オリーブオイル 適量 ① 玉ねぎはスライス、人参は粗みじん、セロリっも粗みじん。 ② 鍋にオリーブオイルを入

          2020.2月の料理教室

          M16は一芸に入るのか否か

          旅のお話 エジプトあたり編6 ヨルダン家族の宴 まだ日が高いうちに家に帰り着いたので ヨルダン・ママとパパが家を案内してくれた。 パパは 自分の家は自分で作っている。 「アイム・カーペンター」と言ってにっこりした。 一階には居間や寝室がある。 二階はちょっと手をかけている途中という感じ。 「ここがバスルームよ」と とても誇らしげにバスタブのあるタイル張りの部屋を見せてくれた。 そのうれしそうな様子を見て バスルームがあるのはとても稀で ステータスなんだろうなと思った。 「

          M16は一芸に入るのか否か

          世界遺産を歩く。

          旅のお話 エジプトあたり編6 ペトラ翌日、早朝に起こされた。 「ペトラに行くんでしょう?」 着替えて ありがたく朝食をいただき、 あわただしく外へ出る。 顔が洗いたかったけれど 蛇口はあるものの、 水が出てくる気配がないのであきらめた。 この家の三男(だと思う)が 車を出してくれ、 いざ、ペトラへ。 カメラを入れたバッグを握りしめ 砂漠の道をゴトゴト進む。 …ぜんぜん辿りつかない。 「毎朝、ペトラへ送ってあげる」 と申し出るくらいだから 近所なのかと思っていた。

          世界遺産を歩く。

          なぜか大家族に迎え入れてもらう

          旅の話 エジプトあたり編5 ホームステイ決定私を乗せて 家族の車はゴトゴト走る。 砂漠の中の道をゴトゴト走る。 どこへ向かっているのかはわからなかったけど 地図ももっていないし(港のツーリストインフォメーションは固くシャッターで閉ざされていた) 聞いたところでわからなかったと思う。 車の中には ぎっしり家族が乗っている。 お父さん、お母さん、子供たち。総勢8人くらい。 運転席と助手席に乗っている若い美男美女のカップルは 美男の方がこの家の次男で、 美女はそのお嫁さんなの

          なぜか大家族に迎え入れてもらう