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スクールカーストってなんだよ

スクールカーストってなんだよ。

Twitterでスクールカーストに関するツイートを見た。

「学生時代スクールカーストが低かった子が、実は学内で評価されないすごい才能を持った人で後にそれが評価されて輝いている。こんなに素晴らしい人が埋もれる学校のカーストって残念だなあ」
といった内容だった。

集団内の立場を分かりやすく固定化しようとして、人間の一部分だけを切り取るスクールカーストという制度への違和感、という点には納得できた。

しかし、そこにぶつけるのは「カーストが低い人の中にもこんなすごい人がいる」という反論でいいんだろうか。

僕は日常を送る場所に身分という発想を持ち込もうとすること自体にNoと言いたいのであって、身分を測る定規を増やすことは解決には繋がらないと思う。

身分制を認めたままで評価軸を増やす手段をとった場合、指標を増やせば増やすほどにそこからこぼれ落ちた側の絶望が深くなってしまう。

これだけ色んな観点で判断したのにそれでも評価されないとすると...という考えに接続しうるわけだ。


幸いなことに僕の高校時代は「スクールカースト」というものと関わりが薄かった。

うちの学校は中高一貫の共学だ。

生徒の半数以上が互いを幼い頃から知っているということに裏打ちされた安心感や、それぞれが勉強や自分の趣味に一生懸命で相手に深入りしすぎない風土があったことで全体としておっとりした空気感だったと思う。

もちろん趣味や部活動の内容、キャラクターによって分かれる「ゲーマー勢」「球技勢」「軽音勢」などのグループはあったけれどそのグループ間に(少なくとも僕から見て)優劣はなかった。

グループをまたいでの遊びは積極的だったし、修学旅行の行き先を決める時なんかの発言力にも不均衡はなかった。

そういう場所で多感な時期を過ごすことができて、幸せだったと思う。

だから自分が所属している集団に固定的なカーストがくみ上げられそうな気配がしたら、ちゃんとその土台を突き崩していきたい。

くせ者なのが一般人によるバラエティのトレースだろう。
バラエティ番組は各芸能人の役割がはっきりしていて、「いじる側」と「いじられる側」に分かれる。
芸人同士だったりするとお決まりのパターンのようなものも存在する。

僕にも覚えがあるのだけど、大学生などが会話を円滑にしようとする時ついついこの役割分担の表層だけをなぞりがちだ。

特定の人物に対して「いじられキャラ」という称号を与えて、飲み会のたびにその人の"イケてなさ"をあげつらうことで
会話が盛り上がっている感じを醸し出してしまう。

本来「ボケ」と「ツッコミ」は対等のはずなのだけれど、日常の文脈ではいじっているつもりの側の人が優位だと見られがちだ。

それでも相手の抜けた所を指摘したり、されたりという双方向性があれば問題ないのだけれど一方的になったり集中的になることもある。

飲み会なんかで誰かを立て続けに"いじる"空気ができてしまった時には、多少ぶっこんででも話題を変えてその雰囲気の固定化を防いでいける人間でありたいなぁと思う。

学校という場において勉強が「できる」「できない」という評価がされることは当然だし、飲み会が多いサークルで「盛り上げ上手」「そうでない」という評価がされることも仕方ないだろう。

しかしそれはあくまでもその集団で重視される能力の上下であって、人間関係に優劣を設定することを認めているわけではない。

過去の自分の失敗から学んで、この2つを混同しようとする動きにはきちんとドロップキックしていきたい。

高校の時のことを参考にするとカーストの発生を防止するには「集団で重視される評価軸以外の部分をお互いに知っていること」が肝だと思う。

とすると、職場の飲み会というのは意外と大事な気がしてきた。

今まで「苦手だから...」と言って季節の飲み会以外をスキップしてきていたがもう少し出てみてもいいかもしない。

勿論、仕事に絡めたいじりが誰かに集中する...みたいな飲み会でなければ、だけれど。

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