我が家の犬
かつて我が家では犬を飼っていました。
僕が小学校低学年の時にやってきたその犬は「ジャック」と名付けられました。
初めは「リョウマ」という、僕や兄の名前とよく似たものだったのですが、
犬を呼ぶたびに人間たちが返事をして紛らわしかったので、
3日ほどであえなく改名されました。
人間たちと同じような名前を与えられそうになったことからも分かる通り、
ジャックはほぼ4人目の兄弟として育てられました。
そのためかは分かりませんが、
自分のことを人間だと思っていたふしがあります。
例えば散歩の時の悠然さ。
道を歩いていると大小さまざまな犬とすれ違い、だいたいの場合吠えらますが、
ジャックは全く気にしませんでした。
威嚇されていることなんて全く気にならない様子でのんびり歩きます。
それから、言葉を話すこと。
散歩に行きたい時やお腹がすいた時、
それからちょっと構ってほしい時なんかに誰かが通りかかると、一生懸命話しかけてきます。
「ワン」でもなく「ヴー」でもなく「バウワウ」でもなく、
「ぅわぉにゃうにゃお」というおよそ犬とは思えないような鳴き方をするので、
本人としては人の言葉を喋っているつもりだったんだろうと思います。
(それをされるとぼくや母が面白がって同じように鳴き返すので、「お、通じてる通じてる」と思っていた可能性すらある …)
話す方は「つもり」だったジャックも、聞く方面ではすばらしい力がありました。
一般に、犬がご飯を食べる時、
基本の流れは
「お座り」→「待て」→「よし」です。
「よし」に対する犬たちの反応速度は素晴らしく、次の瞬間にはご飯皿に顔を突っ込んでいます。
さて、ジャックはこの「よし」の聞き分けがとても上手でした。
「お座り」「待て」の後、
「よし」に似た言葉、例えば「ヨット」と言ってもきちんとお座りをして待ち続けることができます。
更によく似た「よし子ちゃん」の場合、前半の「よし」を聞いて食べ始めようとするも、
「子ちゃん」を聞いて慌ててお座りに戻っていきました。
食い意地は犬一倍はっていますが、真面目な奴でもありました。
そんな風に自分を人間だと思っていたふしがあるので、彼には犬の友達が一頭もいませんでした。
(反対に、散歩中にあいさつをする人間の友達はたくさんいました)
犬好きたちの間では、「犬は死後、虹の橋のたもとで飼い主を待っている」と言われています。
ぼく自身、待っていてくれるのがとても楽しみです。
でも、待っている姿を想像するとき、
ジャックが周りの犬たちを見て
「なんで自分は毛むくじゃらのやつに囲まれているんだ …?」
と不思議に思っているところも想像できてしまって感動より先に笑いが浮かんできてしまいます。
通じるはずの「うわぉにゃうにゃう」が通じなくて困惑しているでしょうから、再会したらたくさん話をしたいです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?