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縁の切れ目が犬の切れ目

3年ほど前の春。

3階のベランダで洗濯物を干していると、

どこからかキャンキャンと子犬の鳴き声が聞こえてくる。


どこかのおうちで犬を飼い始めたのか、あるいは捨て犬か、

隣家との狭い路地を見回してみたが、犬の姿は見えなかった。


翌日も愛らしい子犬の鳴き声がし、

「静かに」とたしなめる女の人の声が聞こえてきて

近所で飼われていることがわかった。


犬の吠える声を不快と感じる人もいるが、私はむしろ犬や猫が鳴く声が聞こえるのは嬉しい。

蝉の鳴き声はさすがに、ちょっと腹が立つこともあるけれど、短い期間だと思えば我慢できる。


それにしても、どこのおうちで飼われているのだろう。

近隣はご高齢の方が多い。

お隣には小学生の娘さんもいるけれど、既に犬を飼っているし。


すると、ある日。

いつものように洗濯物を干していると、子犬の鳴き声が聞こえてきた。

ふと見ると、裏のおうちの縁側に黒い小さなチワワがいるのが見えた。

玩具のように愛らしい動きで裏庭の茂みに向かって、キャンキャンと吠えている。

ベランダから見る限り、お庭に何かいるようには見えないが、

チワワ心を掻き立てる何かがあるらしい。


「ほらほら、鳴かないの。」

女の人がヒョイと抱き、縁側からチワワを連れて行ってしまった。

以前、裏のおうちへはベランダから洗濯ピンを落としてしまい、謝りに行ったことがある。

その時、お話したあのきれいな奥さんだ。


引っ越しの挨拶の時は、ご主人が出てきてくれた。

50代後半のようだが、往年はなかなかの色男だったろう風情があった。

お子さんは既に独立したのか、いないのか、一緒に住まれている様子は感じられなかった。

だから、犬を飼うことにしたのかな。

納得がいって、謎が解けたことに満足し、

時々、縁側に姿を見せるチワワをそっと眺めるのがベランダで洗濯物を干す時間の小さな楽しみになった。


そんなある日、生協で近所の奥さんと会った時に、

チワワの話をしてみた。

その奥さんは、チワワを飼う家のお隣なのだ。


「えっ?そうなの?

そう言えば最近、犬が鳴いてるなぁって思ってたけど。」


奥さんは全く知らないようだった。

お隣同士でも交流がないのね…と思っていたら、


「ああ、女の人が連れてきた犬ね、きっと。」


言葉の意味が、すぐには理解できなかった。


「え?あの女の人は奥さんじゃないんですか?」


違う、と首を振り顔をしかめ、奥さんはそれ以上は語らなかった。

裏のおうちにどんな修羅場があり、どんな人生の流転があったのか。

ともかく今は退職後の生活を悠々自適、暮している往年のハンサムと妖艶な熟女、そして黒のチワワの子犬が家族構成のようだ。


しかし、そう言えば、全くチワワの鳴き声が聞こえない期間もあることに気づいた。

つまり、女性がいない時はチワワもいないのだ。

窓が開けられ、掃除機の音も聞こえる時はチワワも縁側にいる。


夏の終わり頃、普段あまり聞こえない男女の大声が聞こえてきた。

そうして翌日からチワワの声も姿もなくなった。

なんとなくさびしい思いで縁側を時々、見るともなしに見ていた。


すると、翌年の春にまた「ワン」と鳴く声がし、縁側にチワワがいるのに気づいた。

遠目にもチワワは少し成長し、小さいながらも大きくなったのを感じた。


昨年は女の人がいる様子もなく、

二階の窓は暑い夏も閉め切られたまま、

裏庭の手入れもなく、犬の鳴き声もしなかった。

今度こそ、縁が切れちゃったのだなぁ…と思っていたら、

先日、縁側にチワワがいるのが見え、一瞬、幻かと思った。

黒のチワワは、もうすっかり成犬となり、ワンとも鳴かずに

ただじっと縁側で庭を眺めていた。


春に戻ってくる女の人とチワワ。

どういう事情なんだか、首を突っ込む気はさらさら無いが、

今日もベランダで娘のブラウスをハンガーに掛けながら、

そっと裏のおうちの縁側に犬の姿を探す。


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※私のブログ「夢で逢えたら…」に同じ記事があります。

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