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紙の日記に、ペンで書くこと。

金曜日、目黒の駅で膝から崩れ落ちた。
代理店に寄って、打ち合わせた帰り道、
18:00前の出来事。
耳の調子がおかしいのか、
無音になったり騒がしくなったりして、
大変だった。
諸々の予定をすべてすっぽかして
自宅に帰って、
タイツを脱ぎ捨てるよりも早く、
急いで日記をめくっていた。

あった。
2017年の10月23日だ。
ちょうど去年の今ごろ。
「会議中に立っていられなくなった」
「18:00にはみんなから帰るように言われ」
とある。
そうだ、去年の今ごろもやっぱり倒れている。

そして、その日の「午前の予定」にも
金曜日と同じように「健康診断」とあるのだ。
やっぱりだ。
わたしは、午前中に採血をしてもらうと、18:00前に倒れる。
なるほど・・
社会人を8年も繰り返しておきながら、
ようやく気づけた。
遅いけれど、でも、よかった。
思えばそれ以前の年も、
毎年そんな日が年に1度あった気がする。
来年は午後の診断にしてもらうか、
午前にして午後はお休みをもらえばいい。
ああ、これはひとつ成長だ。
血は足りていないようだけれど。

紙の日記、オンラインのつぶやき

わたしは、Twitterが大好きだけれど、
「たいへん!倒れました!」
「仕事中に、とんでもない気持ちになって
泣きました!」
「彼氏の様子がおかしいんですけれど、
いー!」

なんてことは、まあ書かないようにしています。
お仕事をいっしょに気持ちよくしたくて
つながっている人もたくさんいるし、
なにより、わたしは
女子高生でも女子大生でもなく、
割と、ちゃんと大人になってしまったから。
人が見たり、あとで自分が読み返したときに、
「気分よくないなあ」と思うようなものは、
「できる限り」「わざと」は、
つぶやかないようにしています。

だけど、本当は、日々のそういう出来事こそ
「あれ、いつのことだっけ?」
「結局どう対処したんだっけ?」
「そうそう、あの男性は、そういうところがあるんだった」

と、あとから振り返れるようになっていてほしいものです。
だって繰り返しちゃうから。

紙の日記を見るのは自分だけ

紙の日記は、自由です。
誰かを嫌な気持ちにさせてしまう怖さもないし、
あとから取り消したっていい。

「先週『これしかない!』と書いてしまったけれど、他にも方法があったから、訂正」

「わたしの悪かったところを書き損なっていたから、追記」

なんてこともよく書いているし、

「こういうところが、つくづく、この人の好きなところなのです」

なんて、面と向かって言えない恥ずかしいことも日々書き連ねられる。
そこが、紙の好きなところなのです。つくづく。

人の名前は書かない

そういった紙日記を、
かれこそ5年は同じ調子で続けているわけなので、
自分なりの「記し方の傾向」は出来上がってきました。
「ルール」は苦手なので、あくまで「傾向」です。

1. 腹が立ったことは書かない
暮らしていると、「なぜなんだ!」と理解に苦しんだり、
おもしろくなくて「ふんっ!」と思うことは、ままあります。
それを吐き出すことで、楽になるのであればいいのだけれど、
そんなことを夜中にベッドの横で記していたらば、
大抵の場合、思い出して「いーっ」となってしまいそうです。

それに、「あのひとの、あの行動が嫌だった!」
と書いたところで、それがただ活字になって残るだけで、
余計にきらいになってしまっては困るし、
そんな証拠ならいらないのです。
・反省していること
・不安に思ったこと
・失敗したこと

は書きます。これからのために。
腹が立ったことは書きません。

2.言われてうれしかったことをいっぱい書く
わたしにとって、「褒められること」より好きなことはありません。
焼きそば・SMAP・褒められること。
4位か5位はおそらくアイスコーヒーですが、それはさておき。
嬉しかったことは、何回見ても嬉しいので、
積極的にいっぱい書きます。
多少、大げさでも、「言われたような気がする」でも構いません。
「気分よく過ごす」ことが、この世でいちばん偉いのですから、
言われて嬉しかったことは、しっかり書いておきます。
ちなみに、
「いちばん信頼できる友だちを、たまたま好きになってしまった」
という口説き文句が、長年わたしの中で
1位をキープし続けていたのですが、
(記事を)読んでて、ぐらぐらしました」
という尊敬するひとからのお言葉が見事に上回り、
(ぶつかりそうになって)どうも^^」
と声をかけてくれた香取慎吾の一言が華麗に抜き去りました。
ね、見せられないでしょう。

3.極端な日には色を塗る
生きていると、「極端やな!」と思うぐらい、
・なにをしてもツイてない日 や、
・なにをしても上手くいってしまう日
があります。
あまりにもツイてない日は、日付を紫色のペンで。
最高の日には、ピンクで塗っています。
そうすると、なんとなくバイオリズムのようなものや、
「寝不足」「体力切れ」などの原因も掴めてくるものですし、
なにより、「上手くいってる日」のほうが多いことを
誇らしく思えて、気分がいいです。

4.人の名前は書かない
これが、もっとも特徴的かもしれません。
人の名前はなるべく書かないようにしています。
「誰それが、こうした」
「誰さんと誰さんが、こうしたらしい」
「誰さんと誰さんがそうしてるところを、誰さんが見てたらしい」
「という噂があるらしい」

なんてことを、毎日毎日書き連ねるのは
わたしにとって、ちょっと気味が悪いことです。

「年下のかわいい子が、こんなことを言ってて気づかされた」
「いつも知的だと思ってる女性が教えてくれたけれど、」

みたいなことは書き留めてあります。
名前なんて書かなくても、忘れない自信があるのか、
数年後の自分をちょっと試しているところも
あるのかもしれません。
「これは、**ちゃんのことだな」
なんて読み返すのは、案外たのしいものです。
その点、芸能人の名前やドラマの役名は、
割としっかり記されています。
「ああ、オダギリジョーだったかなあ」
となっても、仕方ないから。。

noteを書いてみた理由

それで。
いよいよわからなくなってくるところだと思うのですが、
「紙がいい」
「ペンで書きたい」
「思ったことは、オフラインで記します」

ということを、なぜnoteに書いているのか。

ひとつは、このところ、
仕事で「書いているとき」にぽろぽろ原稿からこぼれ落ちる、
本編には記していない「考えたこと」の
行き場がないな
と単純に感じたことです。

もうひとつは、ちょっとしたきっかけを得たことで、
note上で行う、とある計画に誘っていただいたことが、
「じゃあ、これを機に、そろそろ」
という、良い後押しになったのでした。
(どうもありがとうございます)

そして。
これがいちばん大きいのですが、
仕事でも書いて、紙に日記も書いて、
さらにオンラインで書くことなんて、もうないよ。

と思っている気がしていたのですが、
正確には「書くことがない」のではなくて
「書くパワーが残っていない」だけなのだと気づいたのでした。
そして、ここまでだらだらと書き連ねてきたのは、
まあ「書かない理由」「書かなくていい理由」で、
つまるところ、「言い訳」だったのですね。

まだやりたいことがあるなら

最近、「忙しそうだね」
これまで以上に言われるようになってしまいました。
これは、とても良くない。
いつも忙しそうで、余裕がなさそうに見えるひとに、
誰も相談したくないし、
おもしろい話なんて舞い込んでこないと知ってるのに、
どうしても「忙しくないふり」ができなくなってました。
「忙しい」のが好きなくせに。

まだまだ新しいことがしたいので、
そうしたいなら、
もうすこし「余裕があります」という顔をしなければいけません。
実際、このぐらいダラダラと書けるほど暇な夜は
いくらでもあるのです。

なので、これからは
どなたが読んでくださるかわかりませんが、
「今こんなことを考えているよ」
「こんなことを企んでいるよ」
「暇だよ」

ということを、積極的に発信していこうと思います。

そして、準備している、これからはじまる、
たのしい仕事もいくつかあるので、
(本業、副業ともに、たくさん!)
それについて記して、広げていく場としても。

そんなわけで、わたしがnoteを書く理由は、
「暇を発信するため」です。

ああ、しかしながら、こんな夜は御免です。
ちょっと暇すぎました。
書いて凌ぐことにしますね、次回は今週中。
よろしくお願いします。

(このあと、紙の日記に「めっちゃnote書いた」と書くんだろうなあ)



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