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82年生まれのキム・ジヨン / 91年生まれのト・ボンスン

『82年生まれ、キム・ジヨン』の感想をメインに書こうと思ったら思いの外長くなってしまいました。
しかも、本題に入るまでの寄り道がちょー長いです。が、どれもオススメしたい作品なので悪しからず。


『キム課長とソ理事』

一昨年あたりから気まぐれに韓国ドラマを見るようになりました。
本当に気まぐれで面白そうと思ったものだけを見ているので、韓国の俳優とか韓国のカルチャーに全く詳しくないことは先にお断りしておきます。

韓ドラを見るようになったきっかけは、ある日たまたまテレビを付けたときに放送されていた『キム課長とソ理事』というオフィスドラマ。

あらすじはこんな感じ。

天才的な計算能力を持ち、田舎のヤクザな企業の経理課長として日々脱税と横領に勤しんでいた主人公キム・ソンニョンが、横領が招いたトラブルをきっかけに、その能力と倫理観の欠如を買われてソウルのコングロマリッド企業TQグループの経理部に転職し、不正会計の片棒を担がされることになるが、度重なる偶然によりその不正を暴く側に立つことになり、経理部の同僚とともに、元検事で若くして同社の理事にヘッドハンティングされ不正隠しを首謀するソ・イルと対決する。

あらすじだけ見ると硬派なドラマにも見えるかもしれませんが、むしろかなりコメディ要素の強いドラマです。
物語の中心となるのは、キム課長とソ理事の化かし合いですが、とにかくキャラの立った主要登場人物が多く、20話という長尺の物語の中で脇を固めるキャラにもスポットのあたるエピソードやそれぞれの関係性の変化が描かれ、主人公を中心にまわっていくストーリーテイングになり過ぎないところが本当に素晴らしいです。マンガ的な画面効果使いとかも突き抜けてて、「韓国ドラマってすげー!」ってなりました。
とにかく「ちょー面白いオフィスドラマ」として認識していたのですが、その後2本の韓国映画を見て少し見方が変わりました。

『タクシー運転手 約束は海を越えて』

『1987、ある闘いの真実』

日本では昨年公開されたこの2本の映画。
それぞれ1980年の光州事件1987年の大学生拷問致死事件という、80年代の韓国で国家権力の暴走によって引き起こされた悲劇的な事件を取り扱っています。
どっちもめちゃんこ面白かったですが、凄惨な事件を扱っているにも関わらずめちゃくちゃエンタメ映画な『タクシー運転手』は最高でした。
最終盤の光州から脱出するカーチェイスのシーンとか、完全にスターウォーズエピソードⅣのデス・スター破壊作戦だし。


『キム課長』を見ていた中で、なんか演出が過剰だなぁ…と思いながら見ていたポイントがいくつかありました。
それは例えば、主人公が正体不明の男たちに連れ去られて人気のない廃屋で尋問・拷問を受けるシーンだったり。TQの子会社の労組のデモを暴力的に鎮圧する黒いマスクを着けて金属バットを持った男たちだったり。
しかし、上の2本の映画や、その題材となった事件の実際の映像などを見ていると、このような演出はあながち過剰ではなく、ある世代以上の韓国の人たちが集団的に持つトラウマを思い起こさせるものなのかもという気がしてきます。
そういえば、主人公キム・ソンニョンはお金を貯めていつかピンハネなどが決してないクリーンな国デンマークに移住することを夢見ています。
そこには、露悪的に横領に手を染める主人公の姿は、汚職が横行する韓国という国に過剰適応した姿なのだという皮肉なメッセージが込められています。

『力の強い女 ト・ボンスン』

そして、こちらはつい先日までBSで放送されていたラブコメ。

あらすじはこんな感じ。

代々女性にだけ怪力が受け継がれる特別な家系に生まれた主人公ト・ボンスンは、自分の能力を隠して平凡に生きていたが、20代半ばにしてなかなか職が見つからない。ある日、悪事を働くヤクザをその能力で懲らしめたところ、偶然大手ゲーム会社の若手社長アン・ミンヒョクに目撃される。何者かの脅迫を受け続けていたミンヒョクは、ト・ボンスンにボディガードとして雇用したいと申し出る。一方、ボンスンが住む街で若く痩せた女性ばかりを狙う連続通り魔事件が発生。ボンスンにとって幼馴染で憧れの人でもある刑事グクドゥはその捜査にあたる。

劇中で、ト・ボンスンを指してワンダーウーマンだとかアベンジャーズだとかいう台詞がたびたび出てくることから、ハリウッドのスーパーヒーロー映画がこのドラマのひとつの参照元になっていることが分かります。
彼女の持つ能力は怪力(乗用車くらいならひょいと持ち上げるくらいの怪力)だけなので、アメコミヒーローではジェシカ・ジョーンズが一番近いかも。

主人公ト・ボンスンの持つ特殊な能力は遺伝的・先天的なものであり、能力を正しい目的にのみ使う動機付けとしては、「善き行いのために使わなければその力は失われてしまう」という代々伝わる戒律が設定されています。
ボンスンの女系の先祖たちは、その力を正しく行使することでこの国の歴史を影で支えてきたのだと。(ちなみにボンスンの母だけは若い頃に金儲けのために力を使って能力を失っています。)

この設定が、参照元となっているアメコミヒーローと比較して面白いなぁと思って見ていました。

アメコミヒーローの多くは、自身の特殊な能力を自警団的な活動に活かす動機として個人的なトラウマを持っています。
幼い頃に両親を目の前で殺されたトラウマを持つバットマンとか、自分の力を正しく使わなかったために叔父を死なせてしまったという罪悪感を抱えるスパイダーマンとか、ヒーローとしての活動に向かう内発的動機が必ず描かれます。
最近ではヒーローオタクでムスリムの女子高生が主人公のMs.マーベルのような、トラウマがない故に悩むヒーローもいたりしますが、彼女にしても「憧れのキャプテンマーベルみたいな立派なヒーローになりたい」という内発的動機があります。

それと比較すると、ト・ボンスンに与えられた動機付けは外発的で、戒律はその力を私利私欲のために使わない抑止力にはなれど、積極的に善行のために力を使うインセンティブにはなっていません。
そもそも、普通の女の子として生活を送りたいボンスンは自分の能力にコンプレックスを抱えてすらいます。

そんな彼女に、特別な力を持つ自分自身の役割を意識させるのが、連続通り魔事件の犯人です。偏執的な趣味に合致した若い女性を何人も襲い、拉致監禁して暴行を加えるミソジニスト。犯人の魔の手は次第にボンスンの身近な人にも忍び寄ってきます。

ティーン向けドラマらしい性的に控えめな三角関係のラブコメティと、凶悪犯を追うサスペンスが、同時進行でドラマが展開していきます。

本国では2017年に放送されて高視聴率を記録したそうですが、凶悪なミソジニストと特別な力を備えた女性主人公が対決するという設定に、『キム・ジヨン』の存在は知っていたので、フェミニズムの動きの高まりが関連してるのかなと思いながら見ていました。

『82年生まれ、キム・ジヨン』

ここからようやく本題。
ちょうど『ト・ボンスン』の放送が終わって見終わった先週のタイミングで妻が買ってきて、一気読みしました。

そもそも、ここまで紹介した韓国ドラマも韓国映画も、そして韓国文学もどのジャンルに関しても初心者ですし、この本についてはいくつも優れたレビューがあるので、そちらを読んでもらった方が良いと思います。

noteで見つけた素晴らしいレビュー!

とにかく国境を越えて女性の共感を呼んでいることで話題になっている本ですが、自分自身が体験したことと合致する場合にしか「共感」という言葉を使えないというなら別ですが、男性だから共感できないという小説では決してないと思います。

この小説を巡っては、韓国で一部の男性側からナーバスな反応が起こったようですが、それは多分小説のいくつかのエピソードの中に無自覚な抑圧者たる自分自身の姿を見るからなんだと思います。僕もまた然り。

一点、個人的にこの小説を社会を動かすまでの存在にまで押し上げているポイントはここではないかと思ったところを。

ファクトとナラティブ

『キム・ジヨン』は小説ですが、端々で各エピソードがファクトに基づいていることが、統計調査などの引用元を明示することで強調されています。
小説全体が精神科のカウンセラーによる主人公への聞き取りをベースにした手記という体裁をとっているので、そのような客観的な事実を注釈的に挿入する文章を違和感なく読ませます。
文章はルポ風ですが、同時に主人公のナラティブ(自分語り)として読むことも出来ます。カウンセリングでの聞き取りという体なので、内面まで細かく描写されているためです。
プロローグとエピローグを除き、記述は完全に時系列で進んでいきます。

これが、読者が自分の人生をトレースするような体験を生んで、ひとによっては心の奥底に仕舞っていた忘れたい記憶を呼び覚まさせられたり、確かに経験したことはあったけど「そんなもんか」と深く考えずに受け流していた出来事の根底に、実は女性蔑視やガラスの天井があったことを気付かされたりする。

僕は小学生の時の出席番号がどんな順番で付けられていたかいまいち覚えていないですが(岩田なので常に若い番号ではあった)、特にそこに注意が向いていないのは、多分僕が男性だからです。
妻とこの本の話をしていると、妻には小学生の頃、出席番号の順番が不公平だと先生に抗議した経験があったようです。

再び『ト・ボンスン』

『キム・ジヨン』と著者あとがき、解説と訳者あとがきまで読んで、韓国に特有の家族・結婚の問題、教育、就職、徴兵制を巡る問題などを知りました。さわりだけですが。

その上で、もう一度『ト・ボンスン』の物語を振り返ると、新たに気付かされることが多くあります。

まず、特殊能力が女系の血脈によって継がれているという設定。
僕は、特に深く考えず、そんな特別な血筋なんだからボンスンのお父さんは婿養子に入ってるんだなと勝手に解釈してたんですが、韓国には婿養子という文化はないどころか、子供は基本的に父の姓を継ぐので(現在は一応選択制)、母と子は夫婦が元々同姓でない限りは必ず別の姓になるというじゃないですか!(すみません、すごく基本的なことなのかもしれませんが、そんなことすら知りませんでした…)

てことは、この特殊能力の血脈には名前がない。
名前も与えられていない一族が韓国の歴史を下支えしてきたという設定な訳です。なんてアイロニー…

ボンスンにはボンギと言う双子の弟がいるのですが、「お母さんは子供の頃からボンギばかりを大切に扱ってきた」とボンスンが不平を言う描写があります。それに対して母親は、「うちの家系は女が強いから、力のないボンギを守らなければならなかった」みたいな説明をするのですが、『キム・ジヨン』の中で描かれている弟との家庭内格差のエピソードを読んだ後だと、複雑な印象を受けます。(一応補足しておくと、ボンスンとボンギの関係自体はとても良好です。)

また、物語冒頭でいつまでも正社員の職を得られないボンスンの苦悩が描かれますが、ボンギの方は医者として総合病院で働いています。
ドラマのエピソードを追っていく限りだと、多分ボンスンの最終学歴は高卒です。
91年生まれ(記憶が正しければ)のボンスンが、就職活動において約10歳年長のキム・ジヨンと同じような体験をしたのかどうかわかりません。但し、全く同じ環境で育った弟は医者になり、彼女には職がないという設定も、改めて見るととても示唆的に見えてきます。

『力の強い女 ト・ボンスン』というドラマに、韓国女性の現状を告発し、ミソジニストに痛快なパンチをお見舞いするという裏テーマがあったとして、ひとつだけ気になるのが、彼女の社会的な自己実現に関するドラマ上の扱いです。
腕力ではどんな男にも負けないト・ボンスンですが、結局職業上の成功などの社会的な自己実現も、その能力を活かした人助けの活動も、男性の保護下でなければ成し遂げられない…とも読めるストーリーになっています。(ネタバレになるので詳しくは書きませんが。)
穿った見方をすれば「女性の活躍は結構なことだ。でも自らのマチズモは守り抜きたい。」という男性視聴者の溜飲も下げるストーリーにしておかないと…とおもんぱかった結果、こういう展開になったというふうにも見えます。
もしそうであるとすれば、それはそれで根深い深い問題だなぁと感じます。

おわりに

随分長くなってしまったので、ここらで終わりにしたいと思います。
ここで書きたかったことは、上に紹介した作品がどれも面白いよってことの他に、複数のコンテンツを横断的に観ることの効用です。

テレビドラマって、スポンサーと視聴率によって支えられているだけに、映画や文学に比べるとテーマに対して先鋭的になれない部分があると思います。そこに潜むメタファーの意味が読み解けなければ、表面的なストーリーを追うだけで終わってしまいかねない。
他の、よりノンフィクションに近い作品に触れることで、このような婉曲的な表現の裏に隠されたものが見えてくる体験はとてもエキサイティングです。

『キム課長』とか『ト・ボンスン』はU-NEXTで見れるっぽいです。

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