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チリチリノイズの批判力 Orion Sun / Mango (Freestyle / Process)

アナログレコードのチリチリノイズ パーカッション 笑い声…からの緩いフロウ 一小節に一度コードを鳴らすだけのギター よく動き回るベース 会話 ときどき3拍だけ鳴るハイハット ブレイク 2コードでループし続ける曲に複雑に積み重なっていくスキャット…

今週のDiscover Weeklyに流れてきたこの曲。
浮遊するようなボーカルと隙間が多くてメロウな曲調が心地よくてリピートしてたんですが、段々上に被さっているレコードのチリチリノイズが気になってきました。
プレイリストから飛んでアルバムも聴きましたが、こちらでも全編に亘ってこのチリチリノイズが乗せられていました。アルバムの方もすっごくいいんですが、やっぱり気になる。

このノイズ、要る?

その前に、このOrion Sunというアーティストについて。
全然知らなかったのでググってみると、日本語で紹介された情報が見当たらず、まず出てくるのがツイッターアカウント、個人開設のFacebookページ、インスタアカウントというのがなんだか現代的。フィラデルフィアのシンガーソングライターらしいです。
恐らく自作と思われるホームページもあって、これがゼロ年代前半感があって懐かしい。


さて、話をチリチリノイズに戻します。

いまいち具体的に挙げられる曲が思い浮かばないんですが、昔からこのアナログレコード風のチリチリノイズをあえて乗せた曲って一定数あって、僕はそれをずっと「なんかダサいなぁ」と思っていました。

なぜ「なんかダサい」と思うのか?

まず、アナログレコードのチリチリノイズって、レコードの溝にたまったホコリが針に当たって出るノイズなんですよね。チリチリ騒がしい盤でも、盤面を食器用のスポンジを使って水洗いすると結構音がクリアになったりします。
要は、これはアナログレコードという音声記録再生メディアが持っている欠点のひとつな訳であって、純粋に音楽を楽しもうと思ったら極力こんなノイズは出ない方がいいはずなんです。

それがCD時代に移行してレコードが完全に過去のものになると、ノスタルジー的にこのチリチリノイズが使われるようになった。
中にはサンプリング音源にもともと入っていたノイズがそのまま残ってるケースもありますが、これは全然良いです。むしろ好き。
これとか多分そう↓

ローファイ感とかノスタルジックな雰囲気を出すために、ただノイズを乗せることのダサさはどこにあるのかを考えると、本来は極めて一回性が高いはずのノイズを、データとして固着させてしまっているところのあるんじゃないか、と考えてみました。
別にレコードを聴く時にいちいちチリチリノイズに耳を傾けている訳ではないけど、本来そのノイズは再生する度に毎回微妙に違うはず。でもCDに収録されたそのノイズは、何度聴いても変化することはありません。

これと良く似たものとしては、木版印刷のカスレとかをフォトショップでそれっぽく再現したみたいなコレジャナイ感。木版印刷のカスレも極めて一回性の高いものです。

但し、同じくあえて記録されたチリチリノイズでも、それが当のアナログレコードに乗せられた時には全く別の意味を持ちます。
例えば、XTCの1980年のアルバム『Black Sea』の一曲目 ”Respectable Street" はチリチリノイズで始まります。
当時はまだCDが一般に普及する前の時代です。僕自身はCDネイティブ世代だし、当時のことは想像することしか出来ませんが、新品で購入してきたLPのA面に針を落としていきなりこのノイズが流れ出したら、リスナーは「あれ?新品買ったはずなのに」って一瞬戸惑ったかもしれません。
こんなふうに ”Respectable Street" のイントロは、アナログレコードというメディアの不完全さを自己言及するものになっています。

XTCは、1978年のセカンドアルバム『Go 2』のジャケットデザインでもやはり同じようにレコードというプロダクトについて自己言及するような表現をやっています。
ジャケット全面をびっしり埋める文章を読んでいくと、こんなようなことが書いてあります。

これはレコードカバーです。この文章はレコードカバーのデザインであって、デザインとは消費者にレコードを買ってもらうのためのものです。あなたが気になってこのレコードを手に取ったなら中身を聴いてみたいと思うでしょう。レコードが売れてくれればヴァージンレコードが儲かります。こんな文章を読み続けてるあなたは被害者です。今すぐ読むのを止めた方がいい。本当はもっとバンド名がかっこ良くデザインされたりしたカバーアートの方よく売れるでしょう。これは製品であって、製品は消費されるべきであって、よく売れる製品が良い製品なのであって、あなたは消費者です…

こんな感じで延々と。
これも、音楽産業とレコードという産業製品に対する批判的自己言及です。

CD時代の例で思い浮かぶのは、CDの盤面にあえてペンで落書きをして、それによって起こった音飛びで音楽を組み立てたOvalの手法です。
これも同じく記録メディアの不完全性への批評と見ることが出来るかもしれません。

こうして見ると、必ずしもノイズがデータとして固着していることそれ自体がダサいという訳ではないらしい。そうじゃなくて、ノスタルジー的な表現としてお手軽にそれをやってしまってることが好きじゃないんだなと気づきます。
今回の Orion Sun のノイズの入れ方もお手軽なノスタルジー感の演出なのかといわれると、これはちょっと良く分かりません。何せアルバム全編に万遍なく乗ってるし。ただ僕はシンプルに、ノイズなしで聴きたいなって思ってしまう。

ところで、レコード時代はあえてチリチリノイズを乗せるようなやり方で、CD時代はあえて音飛びさせるようなやり方で試みられた音楽の記録再生メディアへの批判的自己言及を、ストリーミング時代の今やろうとするとどんな表現になるでしょうか?
ストリーミングとはいえ、通信環境が悪くて音が飛ぶってこともないし、音の表現でやるには何となく難しそうです。

もしかしたら、これがストリーミング時代に対する最強の批評かも↓

昨日まで聴けていた音楽がある日突然聴けなくなること。
普段は気づきにくいプラットフォームに依存することの不安定性。

電グル聴きたい時は、当面iPodかCDで聴きます。



どうもありがとうございます。 また寄ってってください。 ごきげんよう。