見出し画像

おれが権威だ

日々数人のアクセスしかない閑散としたアカウントですが、逆に言うと新規投稿がなくても数人のアクセスは常にあって、なんでだろうなーとぼんやり思っていたのが、最近ようやくその理由の一端が見えてきました。

なぜかビュー数の多い記事①

例えば、僕がnoteに書いた中で2番目にビュー数の多いこの記事。

平均すると記事ひとつにつき200ビューに届かないくらいの僕の投稿の中で、2020年3月現在で1,400弱のビュー数になっていて、途切れることなく誰かしらが見に来ているようです。
最初の内は、美術展について書いた記事なので、同じ美術展に行ったり行こうとしている人が検索して見つけているんだろうと考えていたのですが、投稿してから1年以上経過しても状況が変わらないので、もしやと思って調べてみました。Google検索で「コロタイプ」と。

すると、このキーワードで本家便利堂さん、wikipedia、コトバンクに次ぐ位置にまで上がっていました。さほど検索ボリュームの多いキーワードではないものの、どうやらここから流入していそう。
この1年で、自分の書いた文章がコロタイプ印刷について知りたいと思って検索した人の時間を無駄にしてきたことを思うと、申し訳ない気持ちになります。何せ僕は「コロタイプ印刷について何も知らない人」としてこの文章を書いたので、ここには個人の感想以上の有益な情報はありません。

なぜかビュー数の多い記事②

それから、ここ数ヵ月で数十人レベルの小さい動きではあるものの、微妙にアクセスを増やしている記事も見つけました。

Orion Sun というアメリカのSSWについて書いた…というか、彼女の曲を聴いて思いついた全然別のことをだらだらと書いた文章です。
しかしこれも、文章の意味内容やクオリティとは無関係に、ただOrion Sun というアーティストについて日本語で取り上げた記事がほとんどないという状況によって、日本語検索でのページランクを上げたようです。
彼女は、今年に入ってからシングル曲を2曲リリースして(と書いてる今日になってもう1曲リリースされた!)今月末にはニューヨークのMom + Pop Music というレーベルからアルバムも発売するようなので、このタイミングで初めて耳にした人が検索しているのかもしれません。Spotify公式のプレイリストに新曲が入ったりしてるし。
こちらもやはり、彼女の情報について「よく分からない」以上のことを書いていないので、Orion Sun について何か知りたいと思ってアクセスしてしまった方には、またも無駄な時間を浪費させることに。

お詫びに、ちゃんとした関連記事をご紹介しておきます。↓

記事の中でも言及されている2月にリリースされた "Coffee for Dinner" という曲のPV。
50年代にアメリカで放映されたTVシリーズ『トワイライト・ゾーン』のエピソードに着想を得た「孤独」をテーマにした作品ってことだけど、人のいなくなった街とか、青っぽい画面とか、回転するカメラとか、ストレンジャーシングス熱の冷めきらない今の自分的にツボだったりする。
あと、インタビューを読む限りでは「ノスタルジー」というのが彼女の表現の重要なファクターであるようだし、以前書いた雑感もそんなに的外れじゃなかった気がしてきましたよ。

Googleが生み出す小さな「権威」

さて、こんな辺鄙なところに人がやってくる問題に戻ります。

今までGoogle検索に引っかかることなど全く意識せずに書いていただけに、意外なことのように書いたものの、noteはSEOに強いようなので、こういうことが起きることは当然といえば当然で。とはいえ、図らずも何らかのキーワードでGoogle検索上位になってしまうというのもなかなか恐ろしいことです。

上に挙げた2つの記事については、明らかに「こいつ何も分からずに書いてんなぁ」ということが、読めばすぐに分かるはずなので、「参考にならん」って即離脱してもらえればOKなのですが、真偽不明な内容を断定的に書いたものでも、ニッチなキーワードで検索上位に上がれば真実味を帯びて受け手に届いてしまう可能性もある訳で。(あとは受け手のリテラシーの問題ですが)

それでもうひとつ思い出したのが、昨年12月に土門蘭さんの小説について『機動戦士Vガンダム』と比較して書いた(というかVガンダムの話しかしてない)記事をアップした時のこと。

この記事をアップした時に、この小説の担当編集者でもある柳下恭平さんからこんなコメントが付きました。

この二作品を両方知ってる人は多分彼だけ。すでに権威。

同日開かれたトークイベントの中で直接お話した時にも、柳下さんは同じ「権威」という言葉を使ったのですが、その言葉がなんとなく引っ掛かっていました。
それってどういう意味なんだろう。
中身のしょぼさに対して妙に強い言葉だよなと。

そして今、Google検索で上位表示されることの意味について考える中で思い至りました。

仮に柳下さんがコメントした時点では、本当に世界に『戦争と五人の女』と『機動戦士Vガンダム』の両方を知っている人間が僕ひとりしかいなかったとして、ここで僕がどれだけ誤った頓珍漢な論を展開したとしても、それが誤っているかどうかは誰も知り得ないために、それに対して誰も反論できない。
且つ、このケースでは第三者である柳下さんから「この二作品を両方知ってる人は多分彼だけ。すでに権威。」というコメントが発せられて、このことによって、それを見聞きした人の中で初めて「権威」が発生する。

情報の非対称性+第三者による権威付け=権威

そういうことだな。

今、ある情報・言説に対して、良くも悪くもそんなふうに第三者的に「権威付け」してしまう機関のひとつがGoogle検索なのかもしれません。仮にその検索キーワードが数人しか検索しないとてもボリュームの小さいものであったとしても。

小さな「権威付け」を避ける方法

今、noteで新型コロナウイルスについて言及すると、記事内容の如何を問わず自動的に記事冒頭に注意文が挿入されるようになっています。
いずれ消えることになると思うので、念のため画像を貼っておくと、これですね ↓

これ、すごくいい方法だなと思っていて、そこで語られていることがどんな内容であろうと、その文章と読み手が出会った時に自動的に発生してしまう「権威」に、全く空気を読まずにあえて外から一言添えることで、文章と読み手との間に少しの距離を作る。
先にGoogle検索が権威を生むと書いたけど、出会い方がどうであれ、一対多であれ一対一であれ、距離感を間違えた時点で生まれてしまうものが「権威」なのかもしれません。
それを回避するひとつの方法をここに見た気がします。

話があっちこっちしましたが、僕が元々書こうと思っていたのはこのことなのでした。
そして文中で「新型コロナウイルス」と入力したことで、晴れてこの記事の冒頭にも注意文が表示されました。
この文章を読んだ誰かが、ちょっとした警戒心を持ってこの文章に触れてくれたら、「権威」を巡るこの文章が持っていた目的がひとつ果たされたことになります。

この記事が参加している募集

noteでよかったこと

どうもありがとうございます。 また寄ってってください。 ごきげんよう。