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技術とコストの制約がデザインを規定する。

自分の生息してきた業界界隈の過去10年間を振り返りつつ前の記事を書きながら、そういえば昔やってたブログに似たようなことを書いたなぁと思い出して、確認すると、その記事は数年間誰に見られることもなく、ひっそりと残されていました。思考の四次元ゴミ箱・インターネット!

2009年に書いた投稿で、細野晴臣『Omni Sight Seeing』という1989年に発表された音楽作品の再発CDと、1950年代後半に雑誌掲載された杉浦茂『怪星ガイガー』というマンガの復刻版という、当時発売された二つの作品(というか製品)を並べて、「オリジナルを再現する」ということについて当時感じたことをつらつらと書いています。
要約すると、音楽作品の再発盤は多くの場合、デジタルリマスターとか、本人監修のリミックスとか、主に音のクオリティを高めている点にプレミアムをつけて販売されるけれども、商業音楽、特にアルバムという形態がアートワークも含めたコンセプチュアルなアート作品であるという認識にたてば、アートワークの再現度の追求も同じ程度に大事なんじゃないか?プレミアムをつけるならなおさら。という話です。『Omni Sight Seeing』のこの時の再発盤のジャケの印刷がほんっとうに酷かったので。

事情はお察しします。
オリジナルが発売された89年といえばDTP黎明期で、ほとんどの現場が多分まだアナログ製版だったと思われます。当時の製版フィルムが残されていなかったとしたら、印刷されたジャケット現物をスキャンして再発盤用に使う他ありません。印刷物をスキャンして再度印刷物としてアウトプットする場合、画像の劣化は免れません。まして『Omni Sight Seeing』はオリジナル発売当時アナログレコードが制作されておらず、原本に出来るのは等倍のCDのジャケットのみ。これは非常に厳しい条件です。
アナログ製版(※世代的に実際現場見たことないんですけどね…)から製版工程がほぼ全てデジタル化された現在のDTPに移行しても変わらないオフセットカラー印刷の原理は、光(RGB)を記録した連続した階調を持つ画像を、インキで物理的に再現できるCMYKの4色に分解して、且つ網点という0か1かの二値的な点の集合データに変換した上で重ね合わせ、擬似的に色再現するというもの。重ね合わせるといっても、CMYのインキを本当に重ねてしまうと色は濁っていくばかりなので、人間の目の解像度を騙せるレベルの小さな点を完全に重ならない程度に配列させて色を見せています。
この4色分解と網点生成という工程によって、元画像と印刷物には決定的で不可逆的な断絶が生まれます。つまり、どれだけうまく色再現されたように見えていても、印刷物としてアウトプットされたものは全て、元々の画像とは全く別の原理で作られた点の集合でしかありません。

▲拡大すればそこにはシアンとマゼンタとイエローの点があるばかり。

それをまた光学的にコピーし、またCMYKに分解し、また網点を生成し、印刷する訳ですから、色は濁るわ、文字はぼけるわ、モアレは出るわ、まぁろくなものにはなりません。

しかし、そんなろくなものにならないはずのカラー印刷のスキャン原稿から素晴らしいクオリティの書籍を完成させていたのが、件の杉浦茂『怪星ガイガー』復刻版だったのです。カラーなのは表紙だけで本編は一色刷りなので、復元の難易度は異なりますが、いずれにせよ丁寧な修復がなされているであろうことは手に取って十分に感じ取ることが出来ます。
杉浦作品に限らず、水木しげるとか楳図かずおとかつげ義春とか、貸本時代の作品の復刻本の類はほとんど、残された印刷原稿の粗さをリカバーする並々ならぬ努力を経て販売されている…はずです。売ってるものを見る限り。

僕自身も、古い印刷物から復刻してモノを作りたいという依頼を請けることがたまにあって、画像処理の工夫次第で、オリジナルを超えることは無理にしても、印刷物のスキャン原稿であることを感じさせない程度にうまく仕上げられたりするので、その類の仕事が割と好きだったりします。

ことほどさように、本やレコードを手に取る時に作り手の印刷へのこだわりが伝わってきてぐっと来るということが個人的には結構あるので、持ち物の中からお気に入りをいくつかレビューしてみたいと思います。まずはCDとレコードを中心に。

Sly and the Family Stone 紙ジャケ 再発CD
2007年頃にスライの作品がまとめて再発されたと記憶してますが、「複刻CDって丁寧に作られてるなぁ」と初めて明確に意識したのがこのシリーズの、特に『フレッシュ』のジャケットでした。
それまで所有していたCDのジャケは単純な4色カラー刷りでしたが、こちらは、"SLY"のオレンジ、"andtheFamilySTONE"の薄グレー、'FRESH"の緑、写真の濃グレーの特色4色刷り。当然文字の発色も良く写真もクリア。このアルバムはミックスもCD化初期の頃に施されたリミックスではなく発売当時のミックスに戻されていたので、「おぉ、これが当時のスライの姿か!」と尚感動したものです。


Can "Future Days"
King Crimson "Discipline"
Talking Heads "Fear of Music"

こちらも全て紙ジャケ再発CD。
特色ベタ刷り+1〜2色にエンボス加工で立体感を加えたパターン。ペンキを塗ったようなベタ刷りの量感が素晴らしいです。Future Daysの青ベタとか神々しい程。


Fairport Convention "Liege &Lief"
紙ジャケ再発CD。地味めですが、ベージュ、薄紫、薄ピンクの3色刷り。この紫とピンクの色味が絶妙なんです。こうしてみると結構ガーリーなデザイン。


Cluster "Curiosum"
紙ジャケCDが続きます。こちら一見CMYでも再現できそうな色味ですが、青、黄緑、黄、オレンジの特色4色刷り。それぞれちょっと蛍光掛かった色味で、確かにCMYで再現は不可能です。


細野晴臣『銀河鉄道の夜』
ここからはアナログ盤です。
YMO〜モナド〜ノンスタンダードの時期の細野さんの作品のジャケはどれも素材・印刷技術と一体となったデザインが素晴らしいです。
これは、ヘアライン加工された銀蒸着紙に、不透明のベージュインキとスミインキで印刷されています。触れると凸凹した感触。
残念ながら紙ジャケCDでは普通のカラー印刷に置き換えられてこの質感は全く踏襲されていません。それでも大名盤であることに変わりはありませんが。


武満徹『ノベンバー・ステップス』
写真は裏ジャケ。シルバーインキのベタに、カラフルなデザインの部分は各色全て特色。多分、計7色刷り。リッチです。


Yes "Close to the Edge"
個人的にプログレのアルバムで一番好きなのがイエスの『危機』です。この深い緑色のグラデーションも特色の掛け合わせです。今回見直して初めて気付きましたが、ロゴの縁取りに地味にシルバーインキを使っています。


JAPAN "TIN DRUM"
一見するとJAPANの文字の赤以外モノクロ印刷に見えますが、スミと薄ズミのダブルトーンです。モノクロ写真の写真集などで良く採用される手法ですが、銀塩写真っぽい粒状感が出て階調表現もぐっと豊かになります。


何故レコジャケに特色印刷が多いのかと問えば、まずはコストの問題があったのだろうとは想像できます。カラー印刷が今よりも高価で精度も低かった時代、いかにコストを抑えつつ、フルカラーが使うことが出来ない制約をデザインでプラスに変えられるか?
例えば、ブラジルのレコード会社"ELENCO"が60年代に発売したレコードはほとんど全てのカタログが黒と赤の2色刷りで刷られているそうです。色も安定して安く刷れて、且つ白・黒・赤で統一されたデザインはレーベルのブランディングにもなり、とても利に適っています。

Odetta "Odetta at Carnegie Hall"
という訳で、こちらはコストを抑えるために色数を抑えたのであろうと思われるオデッタのアルバムジャケット。深い茶色の特色1色で刷られたオデッタの横顔が美しいです。階調が少ないことが功を奏してコントラストが強調された仕上りになっています。


STARWARS オリジナルサウンドトラック
究極のコスト削減スミ1色刷り。ですが、モノクロ印刷がダースベイダーの不穏な存在感を際立たている…というのはちょっとこじつけです。
でもこの潔いジャケデザイン、好きです。


Jakie Mitto "Macka Fat"
Carlton & the Shoes "Love me Forever"

最後は安定の超低クオリティ!ジャマイカのスタジオ・ワン盤です。
ジャマイカ盤の印刷クオリティの低さには本当に感動します!どうやったらこんな印刷結果になるのかと。
マゼンタ版とイエロー版が入れ違いになっちゃったのかな?とか、シアン版刷り忘れたのかな?というものもあれば、見当(複数の版の刷り位置。0.5ミリでもずれれば相当な不良品)が1センチ近くずれてたり。あと、材料が慢性的に不足していたのか、大抵インキの載りの悪いカスカスな仕上がり。
こんなトンチンカンなものが実際に商品として世に放たれて遠く日本にまで届いているんだから、なんだか感動的です。
スタジオ・ワン盤のジャケを見ていると、ロックステディの流れる印刷工場でゆらゆら揺れながらテキトーに仕事してテキトーなところでキリ付けて家路につくテキトーな人々を想像してハッピーな気持ちになります。


完全に個人の趣味として特色印刷の印刷物が好きなので、4色カラー印刷を不当に貶めるような話運びになってしまったのではないかと懸念してますが、それは全然本意ではなく、カラー印刷が安価になり、網点をより細かく出力できるようになって表現力が増し、色域が拡がり、色再現の安定性が向上したことで、そこで表現できるものの幅が拡がっていったことは、とてもポジティブなことだし、そのような技術の進展によってデザインもより自由になっていったのだろうと思います。(ただ同時に凡庸にもなったともいえる)

そして今や、音楽作品のジャケットは全てデジタルな環境で作られアプリの画面上で表示されるだけの存在になりつつあるし、書籍・マンガも一度も紙に出力されることなく制作され受容されるようになってきています。
こうなってくると、デザイン上の制約は色数とか量産時のコストとかではなく、デバイスによってアスペクト比の異なるディスプレイにいかに表示するか、小さい画面でも読みやすくとか、ページ送りは縦送りなのか横送りなのかとか、インタラクションの問題になっていく。制約があるところにデザイナーとエンジニアが駆り出され、解決・改善していく。今デザイナーの主戦場がUI/UXなのもむべなるかな。

僕が往年のレコードの特色印刷が好きなのは、その奥に、制約の中で必死に工夫を凝らすデザイナーやプリンティングディレクターの姿を見るからなのかもしれません。今も書籍の表紙などで特色を使った面白い印刷表現は試されていますが、今あえてその手法を選び取るということは一種のフェティシズムであって、そうせざるをえなかった頃の切実さはあまりありません。

切実な問題の解決に挑むことは、難しくはありますが楽しい。それが自分のフェティシズムと重なれば尚楽しい。後者はちょっと都合が良すぎますが、そんなふうな仕事を増やしていきたいなぁと思う今日この頃です。



どうもありがとうございます。 また寄ってってください。 ごきげんよう。