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Why "Mesuinu & Company" ?

本の奥付というのは大抵、本の巻末にあるものだが、三省堂の小型英和・和英辞典「ジェム」の場合、奥付は本のちょうど真ん中あたりにある。
そのページだけ他のページとは厚みの異なるオレンジ色の色上質紙になっているので、すぐに見つけられる。奥付によると、ジェムの初版が出版されたのは1925(大正15)年9月10日。僕が手にしているのは、1983(昭和58)年12月20日発行第6版の1990年9月30日発行第40刷ということらしい。
改版の表記には元号が併記されているのに、増刷の欄にはなぜか西暦の記載しかない。
ジェムはとても小さい。「すっぽりと」という訳にはいかないが、それでも掌に収まるほど小さい。この小さな紙面の中に、英和・和英それぞれ3万語以上の単語が収録されている。
ある数を超えると、それが多いのか少ないのか良く分からなくなる。英和辞典の代表格、大修館書店の「ジーニアス英和辞典」の場合、1987年発行の初版で約75,000語収録ということなので、辞書としては必ずしも内容が充実しているということではないらしい。英和辞典と和英辞典が合体しており且つポケットに収まる程小さいことが、何よりもこの商品のポイントということなのだろう。一方の表紙が英和辞典、天地がさかさまになったもう一方が和英辞典の表紙になっていて、ひっくり返してどちらからでも使えるようになっている。奥付が本のちょうど真ん中あたりにあるのは、そんな特殊な造本ゆえということだ。
えんじ色に染めた本革で仕立てられた表紙には、金色の「GEM」の文字が箔押しされ、文字の周辺には蔓草のような飾り罫が空押しされている。厚みが2cmほどある本文の天・地・小口の三方は全て金色に塗られていて、本としては異様に小さなサイズ感も相俟って、確かに「宝石」という名にふさわしい趣きがある。

僕は鞄からジェムを取り出して掌に収めるように持つと、蔓草のエンボス部分を指でなぞり、その小ささと作りの精巧さを確かめた。誰から貰い受けたのかもはや忘れてしまったが、革張りの表紙のえんじ色はところどころ色が薄くなり、小口に塗られた豪華な金も剥げかけていた。中学生の時に貰い受けた時点ではもう少しきれいだったはずなので、こんなふうに必要以上に触り過ぎたせいかもしれない。
薄いカーペットが敷かれた床にあぐらをかいて座った僕は、ジェムを左手に持ち、親指で英和辞典側の表紙を支え、右手の親指を本文の小口に軽く添えると、早すぎず遅すぎないスピードで、英和側の1ページ目からパラパラとページをめくりはじめた。印刷された文字にはあえて焦点が合わないようにぼうっと眺めながら数秒間めくり続けていると、Mが「ストップ!」と声を掛けた。僕はその掛け声に合わせて手を止めると、開かれたそのページの見開き左側一番上に小さな文字で印刷された単語を読み上げた。

「slut だらしのない女;雌犬」

これはあんまりだ。と思った。
初めて知る英単語だったので、元の英語のニュアンスは分からないながら、だらしのない女を限定して示す単語が存在することと、そこに雌の犬が並べて書かれていることにちょっとした嫌悪感を覚えた。我が家では、1年ほど前から雌の柴犬を飼い始めたところだった。我が家の犬と照らし合わせる限りにおいて、犬とだらしのなさとの間に繋がりを見出すことが僕にはできなかった。
ともあれやり直しはなし。僕が辞書をパラパラとめくり、Mがストップを掛けたページの最初に書かれた単語に決める、というのが、あらかじめ僕たちが定めたルールだった。それを二人で活動するための名前にするのだと。しかしこれはあまりにもMと僕が期待した結果から逸脱していた。
Mは、彼の自室の床に座る僕と向かい合う形で、アコースティックギターを抱えて自分のベッドに腰かけていた。
Martin & Co. -EST 1833-
Mが数万円で購入したその入門者向けギターのヘッド部分には、世界一有名なアコースティックギターブランドのロゴがプリントされていた。

「メス犬&Co.でどうやろ?」
と提案したのがMだったか僕だったか、今となってはもう覚えていない。

1999年の秋。
僕は学校から帰ると、兄から借りたアコースティックギターを背負い、自転車で神社の参道を抜け、稲刈りの終わった田んぼの脇を通り、自宅から南西の方向にあるMの家を頻繁に訪ねた。自転車で5分も掛からない距離だが、この辺りの平野では冬が近づくといつも西から東へ強い風が吹き始めるので、西に進路を取る時には背負ったギターケースが向かい風に煽られた。Mの自室で数時間、二人でギターと歌の練習をして、日が暮れ切ると家に帰った。

―――――

「メス戌&Co.っていう名前、変えたほうがいいと思う。」
そろそろ日付が変わる時刻が近づく頃、Sさんが言った。

日が暮れ切った後に集まった僕らは、少しのスナック菓子とお茶だけでかれこれ5時間近く話し込んでいた。彼女は迷いながら、というより半ば困惑した様子でそう言った。瞬間、僕はこめかみのあたりで何かがチカっと光ってチリチリと焼け焦げる音を聞いた。
その場の思いつきで発せられた提案でないことは、そこまでの文脈からも発話のニュアンスからも分かったし、自らもアーティストであるSさんにとって、僕に直接そう告げることは軽々しくできることでないことは想像がついた。
僕は瞬時に彼女の言わんとすることを理解できた。と思った。瞬時に理解できたと思った時は、大抵何かが間違っているので注意した方がいい。
これまでに誰からも改名を提案されたなどなかったが、それでもその直前まで、それに対する回答を自分では持ち合わせているものだと信じていた。ところがいざその言葉を向けられた時、僕が持ち合わせていると思っていた回答はもう十何年も前から更新されていなかったことに気が付いた。メス戌&Co. が生まれてから24年の月日が経っていた。僕はあまりにもこの名前に馴染み過ぎていた。

2023年の秋。
秋?
11月に入ったというのに、僕たちが深夜まで話を続けていたその部屋には一匹の蚊が飛んでいた。蚊は、季節を間違えて現れた蚊特有の愚鈍さでふらふらと僕たちの周りを飛び回るのだが、Sさんが叩く手をうまくすり抜ける程度には昆虫としての生存本能を鈍らせてはいないようだった。その部屋の床はコンクリート打ちっぱなしで、冬にはいかにも冷えそうな造りだが、その日は深夜まで暖房を付けずにいてもシャツ1枚で過ごせるくらい暖かかった。その日、いよいよ世界から秋という季節が失われたのだと、僕は思った。
ところがそれから数週間すると、京都市周辺の木々の葉はだいたい例年と同じようなスケジュールで赤や黄色に染まり始め、それを観るために例年と同じようなタイミングで観光客がぞろぞろと京都市内に集まり始めたので、11月の終わりには考えを改めた。ただ暑い秋が終わり、暖かい冬が始まるのだと。そもそもあの蚊だって、気候がどうあろうと通年で活動するタイプだったのかもしれない。僕は蚊の種類にも生態にも無知で、そのくせ血を吸う蚊だと認識すれば無差別に殺戮してきた。

―――――

結局、Mと僕の二人でメス犬&Co.を名乗る機会は訪れなかった。

そこそこ練習を重ねてきたし、人前で演奏しよう。
1999年秋のある日、Mと僕はそんなことを話し合った。とはいえ、春までは中学で同じクラスだったMとは今は別々の高校に通っているし、学園祭のような発表の機会がある訳でもない。思いつくのは路上ライブだった。人が大勢集まる駅前広場などどこにも見当たらない程度にこの町の人口密度は低かったが、その時の僕たちにはそれしかあり得ないと思われた。
ロールモデルはゆずだった。路上ライブからキャリアを始めて1998年にメジャーデビューしたゆずの、ギター初心者でも覚えやすく押さえやすいコードの循環で構成された楽曲は、ギターを始めて日の浅い僕たちにとって格好の練習材料だった。だから、人前で聴かせられるものになってきた(ような気がする)段階で路上ライブを決行しようというのは、二人にとってとても自然な発想だった。そして名前が必要になった。
ところが、その名が決まった日から急速にMの関心は失われはじめたようだった。本当はただ家でギターを弾いていられればそれで良かったのかもしれないし、もしかしたら名前が気に入らなかったのかもしれない。その年の暮れが近づく頃にはMの家に足を運ぶことはなくなっていた。僕はMに特に断りも入れずに、ひとりでその名前を使うことにした。(その4年後に初めて断りを入れた時には、Mは二人で決めた名前のことなどほとんど忘れてしまっていた。)

ノストラダムスが予言した人類滅亡の危機を乗り越え、世界中のコンピューターが日付の誤認識により一斉に暴走するかもしれない問題を乗り越えて、西暦2000年がやってきた。
実際にやってくるまでは未来的な響きを持っていた2000年という暦も、いざ来てみると、更に未来的な響きを持つ21世紀を1年後に控えたただの平成12年だった。
テレビや雑誌はこぞって20世紀を振り返っていた。自分自身の人生の中で振り返られる期間をせいぜい90年代の10年程度しか持ち合わせていない僕にとって、この20世紀懐古の流れはむしろ新しいものと出会う格好の機会になった。
NHK BS2で放送された1960年代以降の米英のロックバンドやシンガーの貴重なミュージックビデオを何十本も流す特集番組が決定的だった。僕はそれをVHSに録画して何度も観返した。過去の動画アーカイブに自由にアクセスできる世界が訪れるまでには、まだあと6年程待たなければならなかったので、1965年のロジャー・マッギンが、1974年のデヴィッド・ボウイが、1977年のジョー・ストラマーが動く映像を観られるのは本当に貴重だった。
僕はテレビで観て知ったバンドやシンガーのCDを少しずつ買い集めていった。主に自転車を交通手段とした高校生の行動範囲の中で行ける地方の小規模なCDショップでは、過去の音楽カタログはベスト盤くらいしか並んでおらず、購入できるCDの枚数は多くて月に3枚がせいぜいだった。仕方がないので、まだ髭を伸ばし始める前のビートルズの4人が表紙を飾るカルチャー雑誌の、20世紀の名盤を特集したコーナーを、そこで鳴らされる音を想像しながら繰り返し読むなどして、残り少ない20世紀の日々を過ごした。

2000年が始まってまもなく、まず手始めに曲を書いた。タイトル「犬の生活」。
4つのコードの循環で8小節、マイナーコードから始まる4つのコードを8小節繰り返し、また最初の4つのコードに戻って12小節、これを2回繰り返して終わる。歌詞の語り手は雄の犬で、彼の恋の相手として雌犬が登場した。その恋が進展することはなく、彼女が歩く姿をただ傍観するだけのその犬は、日々の生活の退屈さを嘆いた。
春が来ると、自作曲をさらに2曲用意して、地元私鉄のターミナル駅と、人口の多い隣県のJR駅の周辺で、それぞれ1度ずつ路上ライブをやってみた。が、それきりですぐに止めてしまった。自分の出した音が街の空気を汚すことも、街の空気に自分の声がかき消されることも、かき消されまいと大きな声を出す自分の卑しさも、出来の悪い自作曲も、どれも最悪だと思った。
それから1年ちょっとの間は、メス犬&Co.は実態のないまま、ただ授業中にノートの端にロゴのアイデアを落書きされるだけの存在に留まった。ロゴを考える過程でメス犬&Co.はメス戌&Co.に形を変え、"mesco" という略称も考え出された。

ジェムのページをパラパラとめくって偶然決まった名前を、Mが離脱しても使い続けようと思ったのは、最初に "slut" という単語とその訳文を読み上げた時の嫌悪感を反転させてやろうと思ったからだった。我が家の犬の汚名返上のつもりだった。
もうひとつは、グループ名に動物の名前が含まれるのがかっこいいと思ったからだった。テレビで観た60年代のビートグループには動物の名前をその名に冠したバンドがたくさんいた。その名も The Animals というバンドさえいた。
さらに犬の文字が十二支の戌に変化したのは、 The Beatles や The Byrds のようにスペルを少し変えるアイデアがやはりかっこいいと思ったからだった。そして、現実の犬を十二支の戌というバーチャルな存在に置き換えることで、意味の反転さえ超えて、意味すら与えないことだって出来ると考えた。
テレビで観た数十本のビデオの中で最も鮮烈だったもののひとつは、デヴィッド・バーンが痙攣するような動きで "Thank you for sending me an angel" を歌う、トーキング・ヘッズのライブビデオだった。その曲には J-POP で云うところのAメロもBメロもサビもなく、海外のポップソングで云うところのヴァースもコーラスもなかった。何の展開もなく、ただ前に進んでいくリズムと痙攣があった。
僕は何でもいいからトーキング・ヘッズの音楽を聴きたいと思い、 自宅から大きな川を渡り自転車で30分程掛けて行った隣県のハードオフで見つけた "STOP MAKING SENCE" のアナログレコードを買った。

Stop making sence. ー 意味づけはやめろ。

―――――

やはり雌犬を指すと同時に女性を侮辱するニュアンスもある "bitch" という英単語をジェムで調べると、こうある。
[犬・おおかみ・きつねなどの]雌;あばずれ女

2023年のグラミー賞で最優秀レコード賞を受賞した Lizzo は "I love you bitch" と歌う。Lizzo がそう歌いかける時、"bitch" は女性をエンパワーするポジティブなメッセージに変わる。
白人のラッパーがどれほど先達のラッパーに憧れリスペクトを持っていたとしても、決して "nigga" とラップしてはならない。侮辱的な "niggar" という言葉を投げつけられてきた黒人だけが、自らその言葉を放つ権利を持つ。
言葉の当事者性。加害者側からの盗用と搾取。
これが何十年も何百年も続いてきた問題だったとしても、問題が問題として広く共有されるまでには長い時間が掛かる。本当は問題そのものは変化せずにずっとそこにあったとしても、20世紀末と2023年では、それを問題と捉える受け手側の感受性は随分変化しているかもしれない。
Sさんの困惑も、主な原因はここにあった。でもそれはどこまでも困惑であって糾弾ではなかった。そして、糾弾ではないが批評だった。
それは、僕という人間に信頼を置いていてくれるからこその困惑であり、表現に敬意を払っているからこその批評だった。

"bitch" の当事者は女性だ。"slut" にしても恐らくそう。それをシスジェンダー男性が自称するとすれば、それは差別する側がされる側の言葉を奪う行為ということになる。
では、日本語の雌犬という言葉の当事者も(人間の)女性なのか?

―――――

ところで今あなたが読んでいるこの文章は、小説です。

この文章が小説として書かれなければならなかったのは、メス戌&Co.の終わりを作品として差し出す必要があったからだ。メス戌&Co.は今日終わるのだ。
僕はここで、この名前とそれを終わらせることについて釈明したり反省したりしようとは考えていないし、24年の歳月を全て振り返って詳細に書き残しておこうとも思わない。
ただ1999年に命名されたこの名が2023年に終わるという事象を作品として差し出すことに、個人史として整理する以上の意味があるように思えたのだ。だからここで書かれていることが事実かどうかは重要ではない。少なくともこれを書いている僕自身にとっては。
ここまで書き終えた時点ですでに、僕は相当な数の小さな嘘をついている。小さな嘘を重ねることによってしか真実に近づくことができないのは、言葉だけで表現することのつらいところだ。いや、というより、生まれてこのかた小説なんて書こうとも思ったことのない人間が書くから、そういう歪なことになってしまうのかもしれない。
その点、音楽あるいは歌という表現形式なら、ほとんど嘘を付く必要なく作ることができるから、僕は好きだ。

メス戌&Co.は2人組として始まり、1人になり、3ピースのロックバンドになり、また1人になり、また3人になり、4人になり、7人まで増えてはまた減り、どんな人数でもメス戌&Co.ということになった。ある時は、今日この会場に集まった人は全員メス戌&Co.のメンバーです。というライブイベントもやった。
活動は年を追うごとにペースダウンしたが、どれだけスローであっても止まることはなかった。傍から見れば止まっているように見えても、自己認識として止まってはいなかった。
新しい歌が生まれる限り、終わることはない。
20歳頃の僕は、メス戌&Co.を固定されたバンドではなく、中心がなく拡張したり縮小したりするプロジェクトにしてみたいと考えていた。それをなんと呼べばいいのか、当時の僕はうまく言い表す言葉を持ち合わせていなかったが、今それに言葉を与えるならばそれは、コレクティブにしたかったということだ。
でもそれは無理だった。
僕のエゴがそうはさせてくれなかった。
結局何をやっても僕自身ががっちりとこの名前を握って離さなかったのだ。だから、メス戌&Co.にはこれまでに性別も年齢も国籍も違う何人かのメンバーがいた来歴があるものの、その首謀者はひとりの男であり続けた。

僕はこの名を使う中で、当事者性について悩んだことなど一度もなかった。
The Beatles がカブトムシに当事者性がないように、The Byrds が鳥に当事者性がないように、犬を名乗ることで当事者性の問題が発生するなんて思いもよらなかった。
それどころか、自分を中心に置かずに、自分ならざる犬あるいは戌を中心に据えて、自分はその仲間(&Company)の側に身を置いていると解釈することで、中心のないプロジェクトというアイデアを実現出来るんじゃないかと考えていたりもしていた。つまり、自分自身が雌犬を名乗っているという自覚すら希薄だったのだ。

雌犬という言葉は人間の女性に対する侮蔑語としての歴史を持っている。それを男性が名乗っている。音楽よりも何よりも先にそのことが頭をもたげてしまう。それがSさんの困惑だった。
日本語文化圏において雌犬という言葉が、”slut" や "bitch" のように侮蔑語として使われた歴史が本当にあったのか、僕には良く分からない。調べて分かるようなことでもないのかもしれない。
日本では、暦の上で「戌の日」とされる日は、多産な犬にあやかって安産祈願に良い日とされている。名前に戌の漢字を加えて活動する中で人づてに教わったことのひとつで、当時10代の僕は、その名を使うことの正しさを証明されたように感じて誇らしかった。
ただもし、雌犬という呼称を否定的なニュアンスを持って浴びせられ傷付いた女性が一人でもいたとすれば、僕は男性としてその人の当事者性を奪ったことになるのだろうか。分からない。
分からないが、考える。
考えるが、どこまで考えても僕がメス戌&Co.を否定することにはならない。

それでも僕はメス戌&Co.を終わらせる。

この名前が時代の変化にそぐわなくなったからそうするのではなく、この名前が誰かを傷付けるかもしれないからそうするのでもない。自分の表現が誰かを傷付けてることなんてとっくの昔に織込み済みだし、そもそも誰も傷付けない表現なんて成立するとも思えない。
結局これは、論理的に導き出された結論ではないのだ。
だから小説が必要だった。
音楽で表現するにはさすがに言葉が足りな過ぎるが、かといってどれほど言葉を重ねても、まともな理由なんてないのだから説明の仕様がない。

ただひとつだけ理由めいたことを書いておくとすれば、僕はただSさんを困惑させたくなかったのだ。いや、もうひとつ本当のことを言うと、Sさんの言葉をきっかけにして、ちょっと改名というのやってみたくなったのだ。

2023年12月29日、この文章が公開された日をもってメス戌&Co.は終了する。
そして今までその名を冠してしたプロジェクトは、mesco. と名を改める。
結局自分は何の反省もしないし出来ないことを示す、新しくて馴染みのある名前。メス戌&Co.の略称。

この名前は、三井金属エンジニアリング株式会社の略称とも、フィリピンにある金属加工会社とも、ほかにも世界中に複数存在する企業とも名前が被る。あらゆるソーシャルメディアには、ほぼ確実にこのアカウント名を取得した人が既にいる。
そんな既に存在する多くの mescoさん達の新しく小さなノイズとして、元メス戌&Co.は今日から mesco. になる。

―――――

この文章を最後まで読む人は恐らく数人。多くてせいぜい10人ちょっとというところだろう。
僕がこれまでに作ってきた音楽も、やはりその程度の規模でしか聴かれていない。それでも構わずに作り続けてきたのは、音楽を作ることが自分の存在を証明することになるだとか、作り続けていないと死んでしまうとか、演奏するのが楽しいとか、そんなことではない。
ただ僕は、音楽を自ら作るという行為でしか捉えることの出来ない「何か」があるということと、その「何か」をぼんやりとでも現出させることの喜びを知ってしまったのだ。
それを知る過程において、メス戌&Co.という名前で活動を続けてきたことの影響は極めて大きいものだった。この名前の下でしか生まれ得ない多くの曲があった。

最高のタイミングでストップの声を掛けてくれたMに感謝する。


メス戌&Co. (Mesuinu & Company)
首謀者 岩田篤
1999年11月 初版発行
2023年12月 改訂版発行


どうもありがとうございます。 また寄ってってください。 ごきげんよう。