見出し画像

22世紀

3月下旬あたりから、休日ごとに宅録しています。

こんなに曲を作ったり録ったりに没頭するのは、大学生の頃以来十数年ぶりのことで、曲が出来てはここや Sound Cloud にアップするんですが、大して聴かれることもなく、実際それほど聴いてほしいと強く望むでもなく、何にせよ自然に曲は出来るし、休日に何の予定も入らず作業に没頭できる状況をただただ有意義だなーと思って過ごしてきました。
ところが4月半ばくらいに、自分がこうも曲作りに没頭するのは、どうやら今の世界の状況に対して混乱していることが要因っぽい…ということに、いろんな人と対話する中で気付きました。

混乱は文字通り混乱で、別にちょー不安な訳でもちょー幸せな訳でもなく、この状況を楽しんでいる面もあれば、未来に対して結構でかい不安も抱えつつ、同時にあるいはそれ以上に大きな期待も抱いている、怒りや憤りもあれば、とても安らいだ気分もあるという、引き裂かれた状態。
確かに、その間音楽は作れど文章は全く書いていなくて、こういうどっちつかずな感情や思考を言葉だけでアウトプットできる気が全然しなかったんだと思います。

自分が混乱してるらしいことに気付いてからは、ようやく文章も書く気になって、そうすると曲作りに向かう心情も割と分析的に見れるようになってきました。
単に僕のケースなので何の蓋然性もないですが、音楽のような非言語的な表現は「未来の不確実性に対して正しく不安と期待を抱けている時」にうまく発揮されるのかもしれない。

これまでの人生の中で多分一番多く曲を書いていたのは、余裕で卒業できると思っていた大学をうっかり留年してしまって、就職先も決まらずふらふらしてた1年間で、その頃もやっぱり未来に対するぼんやりした不安と根拠のない期待がないまぜになった状態で生きていた気がします。

そんな時期に書いた曲は、時間が経っても自分で割と気に入っていて、想定外の出来事が起こってもちゃんと感情にフィットする感じがあります。
13年前にアップして再生回数475回という不人気動画ですが、今日はそんな曲をお送りします。

22世紀 (2006)

お久しぶり こんにちは
いや、こんばんは 日が暮れそうだね
僕の名前覚えてる?
それ違うな
まぁいいんだけどね

砂利道を歩く
思うこと途切れ途切れ
この街の仕組みのようだな

セル画みたい 世界は少しづつずれてゆく
記憶の底つつかれて 嬉しく悲しいこの暮らし

おとぎばなし大好きさ
染み込む土が足の裏にちゃんと
古いうたが大好きさ
染み込む土を覚えている

セル画みたい 世界は少しづつずれてゆく
記憶の底つつかれて 嬉しく悲しいこの暮らし


どうもありがとうございます。 また寄ってってください。 ごきげんよう。