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鏡の法則だと氣づく

目の前に起きる物事をどう捉えていくか
自分に起きてることは 自分に原因があるとよく聞く。
多くの人がそこを受け入れる事が難しいと話す。
つい最近 知り合いとのLINEのやりとりで その現場に私は遭遇した。
その時は 見てる世界が違うのだからと思いつつも なぜか心にずっと引っかかっていた
それはなぜかを落ち着いて振り返ってみた

① はじまり
② 私と彼女の違い
③ どの内容に私は何を感じ見ていたのか
④ 振り返って氣づいたモヤモヤのわけ

①はじまり
はじまりというほどではないが 普通にLINEの着信から始まった 
内容はたわいのない近況報告というようなスタートで この昨今の社会情勢もあり とても忙しい日々を過ごしているという内容 それでもたくさんのタスクをこなさねばならないことなどなどを綴られていた。
私も『休息も大切だよー』と返し近況報告や
その他のことも 意見交換とでもいうのか交わしていたら 以前 私がメッセージを消していた事が氣になってると話してきた。
私は 単純に『忙しいのに私に時間を取らせるのは……』と深く考えずに 取り消したモノだった

②私と彼女の違い
彼女は 離婚を経験し今はシングルなのだが 私から見たら とても美しくスタイルも良し そして仕事もバリバリにこなす素敵な女性で社会から必要とされてる人のようにキラキラとしているイメージ
私はというと 代わり映えのない日常
そして のんびりと過ごしているというような
社会からは氣づかれてもないかもと思うような日々 
ざっくりというと このような違い。
持ち合わせてるモノが真逆のようにもみえるふたりなのですが
私と娘との関係や子育てをする女性への想い、尊敬などいつも話してくれている彼女でした。 
ひとりの人間を育てることの偉大さを 素晴らしい事だと褒めてくれるのだけど 私としてはどちらかというと 娘に育てられたような感覚もあり 彼女のその言葉をいつも素直に受け取る事ができなかったのです。 

③どの内容に私は何を感じ見ていたのか
彼女が言うには 私には独自の世界観があり軸をしっかり持っているようにみえると そして今までたくさんの学びをしてきたが自身の人生にいかせているのかどうなのだろう……と  
『いつも まわりのことを優先して 自分を置き去りにしてないですか?』とたずねました。
ココからが2人の話を平行線に交わることなく進む状況になったと思います。

私に『離婚とか考えたことはないのか?それは娘さんのためなのか?』ときかれた
正直言うと 考えることもよくある。
しかし そうしていないのは 娘のためにとは考えていなかった。 考えた時もあったと思うが 今はそうではない。
離婚の必要ない人生の人は経験する必要はないと話す彼女は そこからシングルのもつ大変さを話した。
話を聞いていて 私の中に浮かんだ疑問は
『なぜ離婚したの?そして新しいパートナーを求めているんだね そしたらなぜその自分の心の声に耳を傾けないの?』
そこで出てきたのが お金の話しでした。
お金の話しというより 生活の話しというのかな。

③どの内容に私は何を感じていたのか
ひとりで生きていくというのは とても厳しさもありいくつかのビジネスと言われるものもやりながらそして自己啓発系セミナーなどで自身を高め学ぶことで 生き抜く力を持ちたいと頑張っていることは知っていた。
しかし ②でも書いたように 彼女の本来の望みは 『新しいパートナーと愛を育むこと』
望む方向と現実とが違うことをしてないかな?
そう伝えた時に返ってきた言葉が
離婚や死別しないとファイナンシャルの問題に直結しないという女性も多い。
と…
ここに私はかなり反応してしまったのですね。
言ってる事はわかるし そうなのかもとも思う。 そして彼女が意地悪で言ってるのではない事もわかるが なぜかすっごく心がざわついたのです。
私も仕事をしている そして家のこともしてる そして私自身のやりたい活動もしている。
たしかにひとりではない。家族の支えもあるからできていることもあるけど そんなに違う事なの?と 既婚とか未婚とか自分が望む事をする事に関係があるの?  と感じたのです。

④ 振り返って氣づいたモヤモヤのわけ
次の日 やっぱり氣になりもう一度読み返してみた。 
おもしろいですね。 冷静になって読み返してみると前日に感じたモノとは違うように感じたのです。 そしてどの内容にどんな反応をしたのかというのも 冷静に眺めてみると 私の中にある恐れがみえた。
私はLINEのやりとりを通して 私と私の内側とのギャップにモヤモヤしていたのです。
作品を作ったり 時には人の悩みにお答えしたりと自分の中にある光を生かし活動しているが、それはひとりの力ではない 
そうこのひとりの力ではない=無能 と言われてる感覚に陥っていた。
それを測る基準にお金やひとりで生きるというキーワードになんらかの反応をしたのである。
そして 『私は無能じゃないよ』と私の内側から感じる声  
この有能か無能かにモヤモヤを感じていた。
そもそも そんな有能、無能かなど 私がどう在るのかにはまったく関係のないことなのだ
ここを受け止め赦す事 信じることが私には必要だとわかった。
『意図する』という言葉の意味が見えた瞬間でもあった。
あんなにざわついた心の正体に氣づいた瞬間 彼女への感謝がうまれた。
そして 彼女は私に何を見たのだろうとも。
彼女の望みに 内側の声に氣づいているといいなと。

というわけで こういう事は日常様々なところできっと受け取り感じてる事なのでしょうね。
他者は私の鏡となって伝えてくれる。
そんな経験をしたというお話でした。

#鏡の法則
#在るということ

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