だぶる・へりっくす 第2話

◇  ◇  ◇

出題(出題者:日向ひなたナシ ジャンル:ノンジャンル)
  :最も多い離婚の原因は何か?
 1:暴力
 2:浮気
 3:性格の不一致
 4:浪費癖

◇  ◇  ◇

 教卓に座った女子生徒、顔を上げて目を細める。
 日向ひなたナシ
 特徴:眼鏡。
 青葉女子高校の野比のび太。目つきは悪い。
 役職:生徒会会長。
 生徒が運営する、最高機関の長。
 どの学校にも1人はいる、ありふれた個性。
 
ナシ「随分と時間がかかりましたね」

 皮肉と非難を、親しげに。
 蛇穴はそれに、悪戯気に。

蛇穴「待たされる気分も 悪くないだろ」

 ナシ、くつくつと笑う。

ナシ「今まで幾度となく経験してきました が」
ナシ「いつまで経ってもこの感覚は慣れないですね」
ナシ「まるでクリスマスのプレゼントを待つ子供です」
ナシ「期待で胸を潰され 渇望の乾きに焼かれ」
ナシ「ただ出来ることは 待つということだけ」
ナシ「この気持ち」

 ナシ、目を細めて笑う。

ナシ「最高ですよ」

 ナシ、挑戦的に蛇穴を見る。

ナシ「さて先生 出題の前に3つほど」
ナシ「気になることを お伺いしなければいけません」

 ナシ、親指・人差し指・中指をぴんと立てる。
 それから親指と中指を折る。

ナシ「1つ目 先のフェルミ推定での話です」
ナシ「フェルミ推定を支える土台は 潤沢じゅんたくな知識です」
ナシ「先生は推定するための情報として」
ナシ「年齢 作曲数 ロンドン訪問の時期」
ナシ「この3つを使いました」
ナシ「知らないと言っていた割には 随分とお詳しい・・・・・・・ですね」

 じろりとした視線が、蛇穴を刺す。

蛇穴「そんなことか」
蛇穴「数学教師が 数字に興味を持っていたら可笑おかしいか?」
蛇穴「ハイドンの年齢の77」
蛇穴「7という素数を2つ並べた数字」
蛇穴「素因数分解すれば、7とその次の素数11との積」
蛇穴「連続する2つの素数で作られる 半素数」
蛇穴「作曲数の108」
蛇穴「1の1乗 2の2乗 3の3乗」
蛇穴「この3つの数字の積でつくられる 美しい数字」
蛇穴「正五角形の1つの内角」
蛇穴「ロンドン訪問の時期1791年」
蛇穴「フランスでメートル法の施行」
蛇穴「1795年」
蛇穴「ガウスが最小二乗法を発見した年」
蛇穴「ーーすべてを無意味に暗記することは苦手でな」
蛇穴「興味がある事柄と関連させるんだ」
蛇穴「大人になると苦労するんだよ」
蛇穴「有能な若者にはわからんかもしれんがな」
ナシ「納得はできかねますが」
ナシ「とりあえずは そうしておきましょう」
ナシ「2つめの疑問です それらを使った計算について」
ナシ「生涯作曲数の108曲 ロンドンに滞在した期間5年」
ナシ「これら2つは 精密な情報でした」
ナシ「それに比べて 作曲期間として出した72 創作速度の1.6倍」
ナシ「この2つはどうでしょう」
ナシ「まるで12という数字に合わせたかのよう・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ナシ「『うまく誘導された』と話していましたが」
ナシ「私には そう感じられなかった」
ナシ「正解に辿り着くための」
ナシ「最もらしい数字のでっち上げ そう思えました」
ナシ「この2つの数字だけ 他とは異質に感じます」

 人差し指が緩やかな弧を描き、蛇穴の心臓を指す。
 鋭い視線が、蛇穴に向けられる。
 その目は、呼吸の揺らぎさえも見逃さない。

ナシ「先生」

 審査の杭が、蛇穴に向かい放たれる。

ナシ「不正カンニングですか?」

 蛇穴の純粋に驚いたような顔。
 そして一瞬の沈黙。

蛇穴「もしそうだったとして どう立証する?」
ナシ「いえ 立証する気はありません」
ナシ「先生が不正をしようと 私は一向に構いません」
ナシ「メッキを施された装飾品は」
ナシ「剥がれ落ちなければ 本物として輝くように」
ナシ「本質は 私にはあまり興味ありません」
ナシ「ただ 疑っている ということだけ ご理解ください」

 ナシ、人差指と中指と親指を立ててそろえる。

ナシ「3つ目 これがもっとも重要です」
ナシ「理系の先生方は 常識がないという話を聞きました」
ナシ「本当でしょうか?」
蛇穴「よくある話だ 常識がなくて教師はできないだろ」
ナシ「安心しました では先生」
ナシ「飲酒は法律では何歳から認められますか?」
蛇穴「決まってる 成人を認められる年齢だ」
蛇穴「18だ」

 直後。
 小気味良い「スパーン」と言う音。
 発生源は蛇穴の後頭部。
 そこへ手を当てながら、蛇穴は後ろを振り向く。
 そこにいたのは、れいり。
 顔を紅潮させ、息を切らしている。
 どこから持ち出したのか、手にはハリセン握られている。
 それを見た全員が驚愕した。

 あのれいりが、ツッコんだ・・・・・・・・・・・・!。

 れいり、体が勝手に動いていた。
 羞恥しゅうちに目を回しながら、降り注ぐ視線に、耐えていた。
 蛇穴はれいりの前に歩いていき、頭に手をせた。

蛇穴「良いツッコミだった 教育の賜物たまものだな」
 
 れいりは、頭から湯気を出して停止してる。
 蛇穴はさてと、と振り返り言った。

蛇穴「こんな冗談で 納得してもらえたかな」
ナシ「はい これで心おきはなくなりました」
ナシ「お時間を頂きました それではどうぞ」

 ナシ、視線をブックに。
 大きなものは全部青い。それはナシの感性。
 だからナシのブックの表紙は真っ青だった。
 そこに真っ青な文字で書かれた表題。
 誰にも読まれることのない、ナシの誓い。
 表題:Leviathanリヴァイアサン → 国家
 恐れず/慣れず/びず/抑えず
 自らより大きなものを、あるがままに導く。
 ナシ、出題に目を移す。
 
◇ ◇ ◇

出題(出題者:日向ひなたナシ ジャンル:ノンジャンル)
  :最も多い離婚の原因は何か?
 1:暴力
 2:浮気
 3:性格の不一致
 4:浪費癖

◇ ◇ ◇

 蛇穴、視線を出題へ向ける。
 左手が震える。
 出題に、喜び震える。
 震えを抑え、蛇穴は数える。
 
 ひとつ、ふたつ、みっつ。

蛇穴「不正を立証する気はない とはこういう事か」
蛇穴「真偽は出題で 直接聞いたほうが早い と」
蛇穴「悪くない 実に悪くない」
蛇穴「ならば答えよう お前の望む答えを」

 タイマーが表示される。
 残り30秒。
 蛇穴は選択肢の前に立つ。
 残り20秒。
 何もしない。何も語らない。
 時間だけが過ぎる。
 残り10秒。
 時間が段々と重さを増した。
 動く気配のない蛇穴の様子に、教室がざわつき始める。
 残り5秒。
 ブックが、秒を読み上げる。
 4秒。誰かが空気を飲む音が聞こえる。
 3秒。まだ動かない蛇穴。
 2秒。聴衆の不安。まさか。
 1秒。れいり、息を止める。
 0秒。蛇穴、黙してナシを見ている。

 時間切れ。
 ナシは静かに笑って、それから目を閉じた。

——正解です。

 場違いな音、聞きなれた音。
 時間切れなのに、正解。
 教室の混乱を見て、蛇穴は語り始める。

蛇穴「ここまでやるようになったか」

 それは、とても嬉しそうだった。

蛇穴「出題は選択肢の中に 必ず答えがなければいけない」
蛇穴「それが絶対のルールであり 公理だ」
蛇穴「人類の4大禁忌」
蛇穴「殺人・食人・近親相姦」
蛇穴「それに続く4つ目 正解のない出題」
蛇穴「禁忌タブーであろうと やらなければなかった」
蛇穴「だが同時に 生徒会長ナシには絶対に許されない選択だ」
蛇穴「だからこうした 2種類の答えがある物を出題した」
蛇穴「出題の解答は3番 『性格の不一致』」
蛇穴「だがナシの用意した答えは もっと根本的な部分」
蛇穴「根底にある起源 即ち『結婚』だ」
蛇穴「出題の正解の裏に真の答えを隠した」
蛇穴「そこまでしてはかりに来た」
蛇穴「その心意気が 心震わせる 良い出題だった」

 蛇穴はナシの前に歩き、手を差し出した。
 ナシはその手を見た。
 それから蛇穴を見た。
 その顔は笑っていた。

ナシM(この人はこんなふうに笑うのか)

 そう思った瞬間。
 なぜか、笑顔が浮かんだ。
 
ナシ「その手を握れる程 私は子供ではないです」
蛇穴「子供は皆 そう言うんだ」

 ナシは立ち上がる。
 紙一重。
 喜びと敗北の境目を味わい。
 失礼しました。と身を引く。
 蛇穴、やっと教壇きょうだんに立つ。

 8時38分。
 1時間目の開始まで残り2分。
 連絡事項は一点。
 1分と少し。それだけあれば十分。
 30秒以上余る計算。
 蛇穴、口を開けようとする。

れいり「出題」

 教室にいる全員が、誰の声か分からなかった。
 れいり、その先を続ける。

れいり「今までの解答が不正カンニングでないとしたら」
れいり「片平れいりわたしは なんだったんですか」

 儀礼であるブックよる出題を一切無視。
 蛇穴、れいりを見る。
 れいり、氷の視線を蛇穴に向ける。
 蛇穴、思案を始める。
 状況証拠を集め、仮説を立てる。
 結論から過程を推察し妥当性を確認する。
 全て終わって、口を開く。
 タイミングよく開けられる教室の扉。
 蛇穴、2度目の妨害に舌打ちをする。
 扉の先には、賢木が教科書を持って立っていた。
 蛇穴は遅ればせながら思いだす。
 教室の時計は、1分遅れている。
 周りの様子に一切おかまいなく、賢木は教室に入る。

賢木M(何があったかは知らないが)
賢木M(時間丁度に始めさせてもらう)

 賢木の態度はそう言っている。
 蛇穴は全員に、要点だけ告げた。

蛇穴「英語と数学の時間がチェンジになりました」
蛇穴「1時間目は英語です」
蛇穴「れいりは放課後 屋上に」
蛇穴「じゃ みんな ガンバレ」

 蛇穴、賢木と入れ替わる。
 「よろしく」と賢木の肩を叩く。
 そんな蛇穴に、賢木はため息をつく。
 賢木、教壇に立つ。

賢木「Good morning.」

 冷徹な英語が暴力的に、授業の始まりを告げた。

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