キックオフ待ち

https://www.footballista.jp/special/46902
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W杯、今まではまったく観てこなかったのに今年はめちゃくちゃ観ている。こんなにサッカーを観るのは初めてだし、周りもそういう人が多いような気がする。
日本戦の最初の二戦がいい試合だったこともあるけど(とか言いつつ実は二試合目は見逃した)、それだけじゃなくて、他の国の試合が面白かったのが一番大きい。日本戦の後のブラジルとベネズエラの試合がそう。ネイマールを筆頭に攻めまくるブラジル、守備が硬い上に攻撃もしてくるベネズエラの、チャンスを作っては好セーブに阻まれるハラハラさせる展開に、目を奪われた。

思い返せば、サッカーってあんまり見なかったのは、昔観ていた試合、特に日本戦とかってずーーーーっとパス回してたイメージがある。ボール保持率が大事で…とか、 パスサッカーが…とか、まぁそこがちんぷんかんぷんなのもあるけど、一向に進まない試合展開に退屈してしまってそのまま飽きていった。サッカー通はこれはちゃんとした戦略なのだと論じていたが、正直後ろに下げて、ちょっと上がってヤバイ!と思えばすぐ下げて、とかやってるうちに取られて…という展開が面白いとは思えなかった。普通に高校のサッカーとか観てるほうがよっぽど面白い気がした。

あの監督交代問題や、現監督のふわっとしたコメントもあって日本戦は観るつもりだったけど、あとの試合は、あぁブラジルかぁ~強豪チームの試合はおもしろいかな~くらいな気持ちで観始めたので、予想を超える白熱した戦いに、そしてあの頃退屈に感じたサッカーが、こんなにスピード感があるものだったのかと思わせられた。

そんな、私のような素人が観てもあっと掴まれるような展開が多い大会が続くなかで、期待が最高潮の日本の第三戦がなんとも後味の悪い試合に終わったことがすごく引き立って記憶に残ったし、どういう状況であの決断をしたのかがあまり分からなかった。監督の裁量を褒める人も、非難する人もいて混乱した。
そのなかで一番戦略も監督の手腕も冷静に見た文章かなと思った(まぁ素人だし知らんけれども)。

別にそれが卑怯と非難されても、可能性があるならそれに賭けるのがプロだ。けれど、そこまでのプロセスでやれることをやったかが疑問だったが、そこに答えを貰えた気がする。

関係ないかもしれないが、"文藝春秋SPECIAL 2015年春号 [雑誌]"をこないだ読んでいて、眞嶋亜有という人の文章を目にした。内容は、日本人はあの戦争を始めたのは欧米諸国への憧れと承認欲求が根底にあるのではないかという感じ。


"いずれもあの鹿鳴館のせつなさから脱却してはいないからだ。 もう日本は自己否定を伴わないグローバル化を模索する時期にあるのではないか。それは「日本は凄い」と言うことではない。「凄い」とも「ダメだ」とも言わずにすむ心性の構築である。なぜなら、「凄い」も「ダメだ」も結局は、こころの空虚を埋める不安定な振り子に過ぎないからだ。 日本が近代のパラダイムであり続けた自己否定から脱却できるときが、真のグローバル化への第一歩なのかもしれない。そして、それこそが、これまで近現代日本が、こころのどこか奥底で追求し続けてきたはずの真の豊かさの始まりなのではないだろうか。"

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これをなんだか思い出した。日本すごい!よく判断した!と過剰に持ち上げることも、日本なんて海外に比べたらショボいとさげることもしない見方がしたい。

"日本らしいサッカー"とは結局なんだろうか?
それが見られるといいな、とキックオフを心待ちにしている。
まずはブラジルから!

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