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パールハーバーは奇襲つもりじゃなかった... | かわいそう日本近代史

1941年11月7日日本軍による真珠湾攻撃が行われ、対米戦争が始まりました。

真珠湾攻撃は「日本の卑怯な騙し討ち」として、世界中に知れ渡り、アメリカ人の間では「リメンバー・パールハーバー」という言葉が今でもよく使われています。

映画

しかし、実は日本はアメリカに対して、真珠湾攻撃の30分前に宣戦布告にあたる交渉打ち切り通告をしようとしていたのです。

まぁー宣戦布告の30分前というのは、ほぼサプライズアタックですが...

真珠湾攻撃前日の現地時間の朝、東郷茂徳外務大臣からワシントンDCの駐米日本大使館に宛てて

「対米覚書を発信するので明日、本国から通達が届き次第、アメリカ政府にいつでも手渡せるよう準備するように」と命じる電報を送っていたのですが…

東郷茂徳

まさか宣戦布告するなんてことないとタカを括っていた大使館員達は、6日夜は、一人の大使館員の送別会があり、全員そのお別れ会に参加したのです。

翌朝7時に最後の電報が届きましたが、大使館員は出勤しておらず、気がついてから、急いで作業にあたったのですが、

暗号解読とタイプが間に合わず、万事休す。

真珠湾攻撃

真珠湾攻撃の50分後にアメリカ側に通告したのです。

そして、日本の本当の”お別れ会”が始まってしまったのです。

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