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八木アンテナの悲劇 | 第二次世界大戦のかわいそう

八木アンテナとは、1920年代に、東北帝国大学の八木秀次博士と助手の宇田新太郎博士が発明した指向性アンテナで、今もテレビの受信アンテナとして広く使われています。

八木秀次

この八木アンテナは、日本では誰にも注目されなかったものの、1926年に英語で論文を発表したところ、米国で素晴らしい技術だと賞賛されたと言われています。

第二世界大戦中、このヤギアンテナの技術はイギリス、アメリカで軍事用に応用され、爆撃機の方向探知機やレーダーのアンテナに使われました。

レーダーで相手の居場所をキャッチ

一方日本軍は、八木アンテナのことは知らず、今後の戦いでレーダーが必要かどうかの議論だけが盛んに行われ、一向に、事業化には進まなかったようです。

しかし、日本軍がイギリス領でだったシンガポールを占領し、レーダーに関する書類を押収してみると「YAGI」という文字があり、

「このYAGIってなんだ?」と捕虜に聞いたところ「そりゃあ、日本人技術者の八木さんのことでしょう」と言われてびっくり仰天したという逸話が残っています。

八木アンテナに驚く日本兵 イメージ

その後、日本海軍が撃沈したミッドウェイ海戦でも、さらに広島や長崎に落とされた原子爆弾にも八木アンテナの技術が使用されていたのです。

日本海軍が撃沈したミッドウェイ海戦


日本軍は、会議をしている間に
日本人自らが発明した技術で
日本を焼け野原にされてしまったのです。

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