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『VIVANT』を踏まえて、私的制裁の登場する物語を考察する


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注意


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特撮テレビドラマ

『ウルトラマンR/B』
『ウルトラマンタイガ』
『ウルトラマントリガー』

漫画

『トリガー』(板倉俊之)
『DEATH NOTE』

テレビドラマ

『半沢直樹』(1,2)
『集団左遷‼︎』
『ラストマン』
『エール』(連続テレビ小説)
『JOKER 許されざる捜査官』
『VIVANT』
『必殺仕事人2010』
『相棒』

実写映画版

『DEATH NOTE』
『DEATH NOTE the Last name』
『容疑者Xの献身』

小説

『ジョーカー 許されざる捜査官』

はじめに

 日曜劇場『VIVANT』では、日本を密かにテロから守るらしい自衛隊の非公式の諜報部隊「別班」に言及され、4話でその構成員が登場しました。
 警察の公安からあえてテロリストを逃がして独自に自白剤を投与して情報をつかみ、最終的には殺害しています。
 このような、警察から独立して犯罪者などに制裁を下す人間の登場する物語は様々なものがありますが、それらから、多くの物語の「私的制裁」の問題点を幾つか挙げます。

私的制裁に「殺害」が多いのは何故か

 まず、私的制裁の登場する物語において、「何故殺すことばかりするのか」という疑問があります。
 私的制裁の登場する物語では、殺人などをして裁かれない人間が殺される展開が多いのですが、「法で裁けない」のと「殺すべき」の間を無視する展開が多いと言えます。
 そもそも、日本の犯罪者のほとんどは殺人や、死刑に当たる罪までしていません。
 これは『DEATH NOTE』原作の夜神月(やがみらいと)が、名前を書いて人を殺すデスノートを使うとき、1人目は何人も殺して進行形でさらに殺しかねない犯罪者をニュースで観て試したのに対して、2人目はしつこいナンパをしただけで、やめさせるのが難しかったのを事故死させたとき、「2人目は死刑になるほどじゃない」と自覚していたのが重要です。
 『空想法律読本』シリーズで、科学を超えたデスノートでは、実験しても法律で有効性を証明出来ないので、殺人罪を立証するのが難しいとあった記憶があります。
 しかし、仮にデスノートの使用で殺人罪が認められるとしても、1人目は、ライトにとって他人でも、彼らを守るための正当防衛が認められるかもしれません。けれども、そこから「やめさせるのが難しい」、「不愉快な」、けれども死刑になるほどではない人間を殺してしまったところに、論理の飛躍、そして私的制裁の落とし穴がみられます。
 幾つかの根拠と共に、物語の私的制裁が、現実的にはきわめて横暴だという意見を述べます。

殺すのは罰より口封じのためではないか

 まず、私的制裁の多くは、人を殺しています。『必殺仕事人』シリーズなどです。
 『VIVANT』も、別班がテロリストを秘密裏に殺したわけです。
 私が知る限り例外は、『相棒』シーズン13最終回の相棒が行った「ダークナイト」、『JOKER 許されざる捜査官』の「神隠し」です。
 前者は顔を隠して殴る程度で、むしろ他の人間に殺させないためでもありました。制裁の対象などの目撃証言から正体が明かされることはありませんでした。
 後者は、私設刑務所という珍しい仕組みで、「法で裁けない」人間を生涯閉じ込めます。仮釈放もなさそうなので、無期懲役より終身刑に近いと言えます。
 この2者から、既に私的制裁が殺すことの多い理由の1つが見えます。「対象者の口を封じるため」でしょう。
 また、今の時代はボタン1つ、あるいは視線だけで意思疎通出来る機械があります。
 つまり、私的制裁の対象が生き延びて警察に通報すれば、結局は「裁く人間」の方が犯罪者、対象者が被害者になるのが法律上当たり前なので、そのような「悲惨」な展開を防ぐために、殺すか姿を隠してひそかに攻撃するか生涯閉じ込めるか、ぐらいしか出来ないのでしょう。
 『JOKER』の私設刑務所が仮釈放のある無期懲役でなく終身刑に近そうなのも、罰より口封じを優先している可能性があります。それは制裁する側の都合でしょう。
 だからこそ『必殺仕事人』シリーズでは、目撃者を殺そうとしたこともあります。主人公が、目撃されて逃げられた仕事人に「馬鹿野郎!」と厳しく言っていたのは、「そうすると罪もない人間を殺さざるを得なくなるからあってはならない」という論理なのでしょうが、つまるところ後ろ暗いことをしているのが私的制裁なのです。
 刑事ドラマで、法律によらずに復讐した人間に「正しいことをしているつもりなら法に訴えるべきだったはずだ、堂々と名乗り出るべきだったはずだ」と説得する人間、特に刑事がいますが、一度始めればそれが出来ないのが私的制裁の論理の穴です。
 

反撃されたくないから厳罰にするのか

 もう1つは、「二度と反撃出来ないようにするため」というのも考えられます。
 口封じは、言わば制裁された側が、した側を法的に罰するための通報を防ぐためでもあり、それは制裁された側が法的には「悪くない」、「被害者」であるためです。
 しかし、少なくとも日本の法律は、犯罪者への刑罰は、その犯罪者が二度と悪いことを出来なくなるように身体的、精神的にねじ伏せるためには作られていないはずです。
 懲役刑や禁固刑を受けた人間が警察官や裁判官や検察や被害者、目撃者に、出所したあと報復することは当然法的に許されないはずですが、「出来る状態になる」自由は、出所すれば法的にはあるはずです。前科があっても、職業選択や住む場所の自由は憲法などで人権としてあるはずです。
 この「犯罪者がまた悪いことや反撃をする」と「それらを出来る状態になる」の区別が付かず、「二度と悪いことを出来ないようにする」ために、死刑や終身刑、あるいは何らかの条件による負傷、財産や地位を失うことを私的制裁に期待しているのでしょう。
 そもそも、『入門犯罪心理学』によると、犯罪者の再犯率は、日本ではイメージと異なるという記述がありました。
 犯罪者などの「悪人」が、法的な裁きに反撃してはいけないとしても、「二度と反撃出来ないようにしろ」と自由を奪うのが、私的制裁の極論だと言えます。
 

主人公にとって「嫌な態度」であるのと、世の中にとって「厳罰をされるべき」かは異なる

 また、私的制裁の問題点として、「ある人にとっての敵が世の中全体の敵とは限らない」ことも挙げられます。
 たとえば、私的制裁とは少し異なりますが、日曜劇場『半沢直樹』には、銀行員の半沢が様々な上司や取引先の高い地位の人間の不正などを暴いて「やり返す」場面があります。
 しかし、『ぼくらは未来にどうこたえるか』では、「現実の銀行に半沢の上司みたいな銀行員はいるけれど、半沢みたいな銀行員はいない。自分を半沢みたいだと思っていても、部下から見れば半沢の上司みたいな銀行員だらけである。それは道徳心が足りないのではない。そもそも半沢にも上司などへの個人的な恨みはあり、それを世の中の繁栄や真面目な企業を助けるなどの別の目的と両立させる条件が現実にはそろっていないからである」とあります。
 これをさらに細かく私なりに検証しますと、半沢の「やり返す」のは、幾つかの段階があると気付きました。
 まず、幾つかの回の前半で半沢にとって嫌な態度の上司や取引先の人間が登場します。しかし、それらの人間は一応、彼や彼女なりの正当性を訴えています。
 そして後半で、彼や彼女が世の中全体や銀行全体から見て明らかに悪いことをしていたと判明させて、「二度と反撃出来ない」ほどの処分に追い込むことが多いと言えます。その過程で、半沢が不正や脅しをすることもありますが、半沢は「どの口が言う!」などの言葉で押し返すこともあります。
 しかし、ここで『ぼくらは未来にどうこたえるか』の表現をより正確に考察しますと、現実の銀行員の大半は、「半沢の上司の前半」のような嫌な態度、さらにそれを改めず自己弁護する人間は多くても、「半沢の上司の後半」ほどの明らかな悪事はさすがにしていないと考えます。一応その銀行員なりに正当性を訴えることがほとんどでしょう。
 確かに、『半沢直樹』の「嫌な態度」の人間があとで判明する悪事は、「政治家みたい」など、ニュースで見るような現実味のあるものもあるのですが、さすがに現実の銀行員やその取引先のほとんどはそこまでしていないはずです。していれば隠し切れませんから。
 つまり、半沢の上司の前半は、夜神月による2人目の被害者のように、「嫌な態度で、それを反省したりやめたりさせるのが難しい困った人間」であり、後半が1人目のように、「二度とそれが出来ないような厳しい制裁をされて当然だと世の中全体がみなすような極悪人」とも言えます。だからこそ、「半沢個人の恨み」と「世の中の利益や繁栄」が一致するのでしょう。
 しかし、ニュースになるような重犯罪をする人間は、池上彰さんや原田隆之さんによると、むしろ減っているそうです。2013年と2014年の書籍ですが、池上さんは、「私が子供の頃は地方の殺人事件など多過ぎてわざわざ報道しなかった」と書いています。原田さんは、「犬が人を噛んでもニュースにならないが、人が犬を噛めばニュースになる」というたとえで、「ニュースは珍しいことを報道するものだ」と主張しています。
 つまるところ、私的制裁を扱う『JOKER』、あるいは『半沢直樹』のような物語の流れには、世の中の多くにいるような、ライトによる2人目、「嫌なことをやめない、反省しない困った人間」を、ライトによる1人目、「二度とそうしないような制裁を世の中が許すほどのひどい人間」、ニュースにはなるけれども日本で減っているような人間と混乱させる、むしろ「同一であってほしい」と願う心理があるのではないでしょうか。
 しかしそれでは、「嫌な奴、それをやめさせるのが難しい奴はもっと悪いことをして、あるいはそうしていたと分かって破滅してほしい」という、かえって悪事の増加を願う心理にすらなりかねません。

『ウルトラマンタイガ』で制裁のための再犯を望むかもしれない危険性

 たとえば『ウルトラマンタイガ』では、かつて侵略者だったらしいナックル星人オデッサが、ウルトラマンタイガと一体化する地球の人間のヒロユキと知り合い打ち解け、侵略をもうやめたような発言をしつつも、闇のウルトラマンであるトレギアに唆されて再び、暴れ出してタイガに倒されました。
 しかし、これはかつてのオデッサの被害者からみれば制裁をするきっかけを与えられたのではないか、とも言えます。けれども、当然ながらオデッサが再び暴れたことによる被害者もいます。
 「過去に明らかな重罪をした人間」と「嫌な態度だが重罪ではない人間」もまた異なりますが、進行形で「悪いこと」をしていない人間に制裁を下す機会をもたらすために、かえって悪い行動を期待する要素が、物語にはあるかもしれません。それも私的制裁に繋がる混乱です。

「重い罪」しか裁けない弊害

 また、これらの私的制裁は、多くの場合は殺人などの「極端に重い罪」しか裁けないところがあります。窃盗や横領などの、基本的に出所出来る、あるいは軽い罰金で済むが「やめさせるのが難しい」、「反省していない」罪に私的制裁が通用せず、日本に重犯罪よりは多いはずの軽犯罪には通用しないとも言えます。
 板倉俊之さんの漫画『トリガー』では、日本が国王制になり、その国王に近い脳波の人間に銃を持たせて「どう使っても良い」という制度にして、この劇中で減らない犯罪者よりも、「それを誘発するような不愉快な人間」を裁くのですが、その任期の終わった人間の1人は「花火を片付けなかっただけでうちの家族を殺した」と復讐されました。
 私的制裁のほとんどは、結局は「反撃したり、同じことを再びしたり出来ないようにする」ことに重きを置くために殺すなどの重い罰が多く、だからこそ重い罪にしか本来通用しないことが露呈しています。
 『DEATH NOTE』原作では、ライトがアリバイ作りのために、自分が活動出来なさそうな時間に、横領やひったくりをした人間を殺していますが、明らかに普段より軽い罪で、焦っていました。
 刺青はどうか分かりませんが。

目撃者をどうするか

 また、目撃者なども口封じに殺さなければならないらしい『必殺仕事人』と異なり、『JOKER』では、「裁き」の対象ではないけれども犯罪者の身内として自分達の「裁き」を見た妊婦を見逃しています。
 しかしそれは冷静に考えれば、「法で裁けない悪人」を裁くつもりが、自ら「誘拐や監禁を放置する」という「法で裁けない悪人」を生み出しています。もちろん罪は軽いでしょうが。その妊婦が通報しないのは、自分にも不利なところのある、「共犯関係」になったためなどの条件がそろっていて、見逃す主人公側が優しく見えたに過ぎないとも言えます。
 また、そのときには「法で裁けない」人間を明確に殺す模倣犯を捕らえたものの、結局はそれも口封じのためではないか、法ではその模倣犯を裁けるところもあるのに私設刑務所に入れるのは、裁きより口封じを優先していないか、とも考えられます。

模倣犯と何が異なるのか

 また、『JOKER』では「神隠し」で私設刑務所に入れるという珍しい制裁をしていますが、模倣犯が明確に遺体の残る殺人をしていたのを、私設刑務所を知らない警察官は「殺しているのは一緒ですよね」と誤解して、実は「神隠し」に参加している警察官に「殺してなかったら?」ともどかしい思いをさせています。
 しかし、そう誤解されるようなことをした主人公達の責任はないのでしょうか。模倣犯にも「僕を責めるあんたは自分が正しいと思うのか?」と言われています。
 そもそも、『JOKER』のほとんどの制裁対象は殺人に関わり、その被害者遺族も、「殺してくれた」と思っている可能性が高く、模倣犯と同一視しても不思議はありません。

模倣犯だけでなく、主人公の私的制裁も間違えるかもしれない

 また、『JOKER』の模倣犯は、相手から自白を引き出す前に殺しており、その果てに「法で裁けない」だけかと思われた、本当に冤罪の人間まで殺してしまいました。しかし、それははっきり言って、「主人公もそうしかねない」と言えます。
 ミステリーやサスペンスのほとんどでは、真犯人が最終的に自白して終わりますが、『名探偵コナン』を扱う『空想科学読本12』では、現実の警察官からの取材をしており、それによると、どれほど証拠をそろえても、実際の犯人から自供させるのは時間がかかるそうです。ちなみに、殺人よりも、証拠の残りにくい放火の方がさらに難しいそうですから、刑事ドラマで扱いにくい地味な現実があります。
 『容疑者Xの献身』映画版では、「容疑者」が、明らかに判明した「本当のこと」を隠したまま終わりました。
 結局のところ、私的制裁の問題点として、「本当に悪いことをしているか確認しにくい」というのがあります。「容疑者」が誰かをかばうこともあり、自白は絶対的な証拠にはなりません。『JOKER』では、基本的に「自白」はさせて「確証」は得るけれども法的証拠のない、あるいは時効や権力などで裁けないという主人公も、いつしてもおかしくない間違いを模倣犯がしてしまったと言えます。
 漫画『トリガー』ではその点で、法律で許可された私的制裁をする「国王の分身」が、射殺を依頼されたときに依頼人を調べ、「間違えたら誤認逮捕どころじゃない」射殺を間違えないように自分自身も疑ってはいます。

私的制裁は「本人の良心以外に止められない」独裁に近い

 

 そして、現実の警察官と異なり、私的制裁をする人間は、「間違えても誰も裁いてくれない」とも言えます。
 『相棒』で、最近登場することの多い衣笠は警察の幹部として、ある犯罪を社会的強者に有利にごまかしたことがあり、右京に「あなたの良心以外にあなたを裁くものはありません」と言われています。
 しかし、それこそ私的制裁が、間違えたときに、警察官に対する監察官、あるいは訴える弁護士などの相互チェックがない、「本人の良心以外に裁くもののない」、まさに独裁に近いものです。一見社会的に弱い小規模な組織や個人が多いのですが、私的制裁する人間達こそ、存在を公表しない、憲法などの縛りがないため、実は現実の警察官よりも独裁のような横暴になりかねないものなのです。

「主人公補正」でなければ私的制裁の正しさの保証は出来ない

 それが物語で露呈しないのは、単に「主人公だから間違えない」、いわゆる「主人公補正」というだけとも考えられます。
 ちなみに『ウルトラマンR/B』では、自ら怪獣を呼び出してウルトラマンに変身して自作自演で倒す愛染マコトを、主人公達が糾弾して、一般人に「信じてくれ!」と言って聞き入れられませんでした。しかし愛染と別の敵の美剣サキが呼び出したホロボロスのときも愛染の仕業だと勘違いし、愛染が物語から退場したあとの野生のゴモラのときには、無関係だった美剣の仕業だと勘違いしています。
 また、『ウルトラマントリガー』では、敵対した宇宙人のヒュドラムと、不審な人間か宇宙人か分からないイグニスを、主人公でさえ最初は同一視しました。実際にはヒュドラムとイグニスは敵対していました。
 つまり、近年のウルトラシリーズでは、「主人公でさえ冤罪を生み出す誤認をする可能性はある」と示されているのです。これが私的制裁の危うさの参考にもなるかもしれません。
 奇しくも、『ウルトラマントリガー』と板倉さんの漫画『トリガー』は、「主人公側ですら誤解をすることがある、間違える可能性はある」という厳しさが共通しています。

「心の自由」まで奪うための殺害なのか

 

 また、私的制裁が殺すことの多いのは、「心の自由」を縛るためにはそれしかないためとも言えます。
 つまるところ、日本には「良心の自由」があり、心の底という見えないところで「反省しない自由」はあるのです。それすら物語では内面描写で示すため、いかなる法的な厳罰でも死刑以外には防げない「考える自由」を奪うための私的制裁になって、現実にしにくい「裁き」を物語で行っているとも言えます。
 たとえば、連続テレビ小説『エール』で、戦時中の日本の基準で「悪い」と判断された反戦の主張をした人間が、拷問の最中に「どんな痛みでも僕の心の自由は奪えない」と言っていました。しかし、逆にそのような拷問をした人間があとで敗戦により法的な扱いが逆転してアメリカなどに罰せられた、あるいは地位を奪われたとしても、「俺は悪くない。悪いのは負けた国や戦争に反対していた連中だ」と考えるだけの「心の自由」はあるのです。
 また、ナツメ社の『知っておきたい最新犯罪心理学』で、「家の中で1人で刃物を振り回すだけなら犯罪にはならない」とあります。内心だけでなく、部屋で不道徳なことをする自由というのがあるわけです。『相棒』の、「民間人に通報や証言をする法的義務はない」と言い切る青木年男も、自分の部屋で気に入らない人間の写真に画鋲を刺していましたが、それも法には触れない自由でしょう。
 その「心の自由」を奪うために、「悪い人」を完全にねじ伏せるために殺すときが多いのかもしれません。『DEATH NOTE』実写映画版で、ライトが殺した人間の中には、殺人を反省せずに自慢する人間もいましたから。
 しかしそれは、結局は先述した独裁のような人権侵害だとも言えます。
 たとえば、我々日本人のほとんどは、イスラム教徒からみれば嫌悪されるような、教義に反することを家や職場でしているでしょうが、それは場所次第で、イスラム国家などに批判される言われはないはずです。そのイスラム教徒も、異教徒からみればそうしているでしょう。それは場所次第の「自由」のはずです。

主人公達が「嫌な人間」でない保証はあるのか

 また、「主人公や一部の人間にとって嫌な態度」だけの人間と、「世の中が厳罰を許すほど悪い」人間の区別をしなければ、主人公にそれが跳ね返る可能性もあります。
 たとえば『半沢直樹』では、「部下の手柄は上司のもの、上司の失敗は部下の責任」という言葉で多くの部下が苦しみますが、上司に逆らう半沢も、1期では部下の1人に、「あなたを信用出来ません。同じことをして責任を押し付けるんでしょう」と疑われて、「俺はそういう上司になりたくない」と言って、一応は信頼関係を保ちました。
 しかし第2期では銀行から証券会社に飛ばされ、銀行を嫌悪するその会社員の部下に、同じ言葉で「あなたもそういう銀行の人間でしょう」と言われて、「ずいぶんな言い草だな」と返しています。
 『ぼくらは未来にどうこたえるか』で、「自分を半沢みたいだと思っていても部下から見れば半沢の上司みたいな銀行員ばかり」とありますが、よく考えれば半沢自身が上司のような「嫌な態度」に取られる可能性もあります。
 『半沢直樹』の1期と2期の間の日曜劇場『集団左遷‼︎』2話では、「主人公が上司に逆らうのと、主人公の部下が主人公に逆らうのは同じではないのか」という指摘があります。
 「主人公側が嫌な上司かもしれない」という疑いも踏まえて、私的制裁をする主人公が、のちに何が起きるかの事実の影響や、それをどう解釈するかの意見の観点から、「主人公が間違えたときに、現実の警察官などと異なり取り返しが付かない」という危険性がやはりあります。

ウルトラシリーズと『相棒』と日曜劇場

 私は、ウルトラシリーズで、主人公が権力者などの兵器や企業の技術開発を批判するときに、「ウルトラマンや主人公は危険な力や技術を使っていないのか」という疑いを書いたことがあります。
 また、『相棒』の刑事の杉下右京も、しばしば違法捜査をしており、他の警察官の違法捜査を責めるのは二重基準に思えます。
 そして日曜劇場でも、『半沢直樹』などで、上司などを制裁や処分に追い込む主人公自身はどうなのか、不正をしていないのか、という疑いもあります。 
 これらの作品のように、私的制裁は、「主人公達こそ制裁されるべきではないのか」という疑いすら生むかもしれません。

 

念のための注意

 ちなみに、この記事に限らず、私のnoteで取り上げる、似たような作品に共通した俳優が出演することがありますが、ここで挙げた幾つかのドラマで複数回出演する俳優の方々は、ドラマが批判されるべきだとしても、もちろん悪くないというのは念のため書いておきます。

余談

 ここで重要な展開を明かしますが、『VIVANT』の主人公も別班の構成員でした。
 私の知る限り、日曜劇場で主人公が殺人をするというのは珍しく感じます。
 『ラストマン』で、アメリカから日本に研修に来た警察官が、進行形で人を殺しかねない犯罪者の肩を撃ち、「アメリカなら蜂の巣です。日本で良かったですね」と言っていますが、彼は日本で得た相棒を連れてアメリカに戻るところで終わり、その先で犯罪者を殺すかもしれないとも言えます。それと『VIVANT』は何か関連があるかもしれません。
 また、この『VIVANT』の主人公が何度も警察公安の野崎に助けられており、全てが別班の演技だったというのは首を傾げます。特に、テロリストに言われた、そもそも野崎が聞いていたか分からない、「お前がヴィヴァンなのか?」という台詞を中途半端に伝えて、それが偶然「別班」だと判明したのは、どこまで主人公の意図するところだったかも分かりません。また、主人公の多重人格のような「2人」の両方が別班らしいので、隠れた人格だけが片割れにも秘密で動いていた可能性はなくなりました。
 また、何故主人公と別の構成員がテロリストの味方のふりをして、海外に逃がそうとするときにテロリストの日本の預金を下ろしたのかがよく分かりません。
 また、「テント」というテロリストの目的は「日本が平和ボケで腐っている」という主張と関連があるらしく、とりあえず私の予想した、環境保護のための全人類の滅亡のようなことではなさそうです。案外『ラストマン』の結末のように、「小さな秘密」が隠れているかもしれません。
 

まとめ

 私的制裁は、口封じと罰の区別が付かず、反撃出来るようになることや内心の自由を奪うという人権侵害になりかねない、重い罪にしか通用しない、主観的に「嫌な相手」と世の中の判断の区別も難しくなる、制裁する側の独裁になりやすいなどの危険性があると、ここで考えました。

参考にした物語

特撮テレビドラマ

武居正能ほか(監督),中野貴雄ほか(脚本),2018,『ウルトラマンR/B』,テレビ東京系列(放映局)
市野龍一ほか(監督),林壮太郎ほか(脚本),2019,『ウルトラマンタイガ』,テレビ東京系列(放映局)
坂本浩一ほか(監督),ハヤシナオキほか(脚本),2021-2022,『ウルトラマントリガー』,テレビ東京系列(放映局)

漫画

板倉俊之(原作),武村勇治(作画),2014-2015,『トリガー』,実業之日本社
大場つぐみ(原作),小畑健(漫画),2004-2006(発行期間),『DEATH NOTE』,集英社(出版社)

テレビドラマ

伊與田英徳ほか(プロデューサー),八津弘幸(脚本),2013,『半沢直樹』,TBS系列(放映局)
伊與田英徳ほか(プロデューサー),福澤克雄ほか(演出),丑尾健太郎ほか(脚本),2020,『半沢直樹』,TBS系列
飯田和孝(プロデュース),いずみ吉紘(脚本),江波戸哲夫(原作),2019,『集団左遷‼︎』,TBS系列(放映局)
土井裕泰ほか(演出),益田千愛ほか(プロデュース),黒岩勉(脚本),2023,『ラストマン』,TBS系列
林宏司(原作),吉田照幸ほか(演出),2020,『エール』,NHK系列
武藤将吾(脚本),土方政人ほか(演出),2010,『JOKER 許されざる捜査官』,フジテレビ系列
福澤克雄ほか(演出),飯田和孝ほか(プロデューサー),八津弘幸ほか(脚本),2023-(未完),『VIVANT』,TBS系列
石原興(監督),森下直(脚本),2010,『必殺仕事人2010』,テレビ朝日系列
橋本一ほか(監督),真野勝成ほか(脚本),2000年6月3日-(放映期間,未完),『相棒』,テレビ朝日系列(放送)

実写映画版

大場つぐみほか(原作),金子修介(監督),2006,『DEATH NOTE』,ワーナー・ブラザース映画
大場つぐみほか(原作),金子修介(監督),2006,『DEATH NOTE the Last name』,ワーナー・ブラザーズ映画
東野圭吾(原作),西谷弘(監督),牧野正ほか(プロデューサー),福田靖(脚本),2008年10月4日(公開日),『容疑者Xの献身』,東宝(配給)

小説

武藤将吾(脚本),木俣冬(ノベライズ),2010,『ジョーカー 許されざる捜査官』,扶桑社

参考文献

大澤真幸ほか,2016,『ぼくらは未来にどうこたえるか』,左右社
細江達郎,2012,『知っておきたい最新犯罪心理学』,ナツメ社
原田隆之,2015,『入門犯罪心理学』,筑摩書房
盛田栄一,2004,『空想法律読本1』,メディアファクトリー
盛田栄一,2003,『空想法律読本2』,メディアファクトリー
池上彰,2013,『これからの日本、経済より大切なこと』,飛鳥新社
池上彰,2014,『池上彰の「日本の教育」がよくわかる本』,PHP研究所
柳田理科雄,2012,『空想科学読本12』,メディアファクトリー


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