アーミラリ天球儀と異世界転生(小説)

 これを買ってから、私はおかしい気がする。
 奇妙な古い雑貨屋に立ち寄って、ただ商品を見ているだけのうちに、宣伝の文章がだんだん気になっていき、ついに買ってしまったアーミラリ天球儀を家に置いてからだ。
 星の動きを見て、別の世界が見えると謳われているが、別にそんなファンタジーを信じていたわけではない。この21世紀半ばの日本で、信じるわけがない。
 今や日本人がノーベル賞を取れるかが毎年話題になり、スマホがどんどん薄くなり、環境問題も相変わらず問題視され、パソコンを使うための数学に必死になる時代だ。こんなファンタジーの物品が、何の役に立つというのか。

 しかし、買う前から気になって仕方がなかったこれを買ってから、私はさらに見入ってしまっている。
 その独特の形や、1つ1つの部品の輝きの組み合わせに、何故か集中して、家で時間があると、これを見て過ごしてしまう。

 何故なのだろう。別にたいして暇でもない私が。
 そうして悔しいような割り切れない気分になりながら眠ったある日、恐ろしい夢を見た。

「鎧、スライム?あれ、何だ?」

 草原で何体もの空っぽの鎧が動き回り、兵隊のように行進している。何故か夢の中では、鎧が透けて見えるのだ。また、その鎧は鉄のような金属なのか貴金属なのか宝石なのか分からないきらびやかな模様もある。
 それと、ファンタジーによくあるスライムのような、半透明の何かが、無数の人間に連れられて動き回る。よく見ると、スライムと同じように色や模様が、生きているように変化し続ける服を着た人間もいるようだ。その人間は色を変えて景色に紛れ込むことで、生きた鎧と戦っているようだ。

 また、その草原は昼のようだったが、夢の中で突然夜になった。夜の空の闇に紛れて、ヴァンパイアのような何かが飛び回っている。人間から何かを吸い取っているようだが、その「何か」が血なのかは分からない。
 さらに、海の中へと景色が移る。何かの「瘴気」のようなものを漂わせる小さな粒子が、海から浅瀬へと昇っているかのようだ。見えるだけでなく、血のような匂いもする。海の底の泥が少しずつ変化しているようでもある。

 ある草原には、花のような結晶のような生き物がいる。五角形の花が、不規則的に見たこともない形で、ある種のタイルのように並んでいるのだ。しかし、そこから出る花粉が、どうも周りの人間には恐れられているらしい。海にも似たような、結晶のようなヒトデがいる。かなり大発生しているようだ。

 それがただの夢でないことが分かったのは、数日続けて同じような夢を見てからだ。

 アーミラリ天球儀で星の軌道が描く模様が頭に残っていたが、夢の中にもそれが出て来る。その模様が、動く空の鎧や、スライムの衣にも浮かび上がっているのだ。
 また、夜の闇を飛び回るヴァンパイアの軌道も、その星の軌道に似ている。
 さらに、海から瘴気を漂わせる粒子も、空から見える太陽や星の軌道に影響されているようだ。
 結晶の花も、あちこちで星の軌道に似た模様を描いている。
 もちろんこれだけなら、私が現実で見た景色が夢に反映されているというだけかもしれない。
 しかしその結果が、私の体にも反映され始めたのだ。
 星の模様のような痣が、私の体にも浮かび上がって来たのだ。腕や足に確かに見えている。
 夢の中で動く鎧やスライムの衣の兵士にも星の軌道のような模様があると説明したが、その模様が彼らの中で変化すると、その夢を見て起きた私の痣も変化しているのだ。

 夢が現実に干渉している?その恐怖に、少しずつ眠るのが怖くなって来た。
 恐怖で眠れないが、疲労は限界に近付いていった。

 そして不眠の中で、力尽きるように眠りに入ったある日、夢の中で語りかける声があった。

「彼らはあなたの世界へ攻め入ろうとしています。あなたの体を通じてです」
「お前は誰だ?」
「あなたが夢だと思っている、アーミラリ天球儀を通じて見ているパラレルワールドの住人、幾つもの知性体同士の争いを観察する中立的知性体です。無数の知性体の総称はYZであり、私はANと呼んでください」

「あいつらは何者だ?どうして私を通じてこの世界に来た?そして、お前の目的は何だ?」
「それぞれのパラレルワールドで、善意を持って文明を作り出した知性体が暴走して、互いに争っています。たとえば、あの生きた鎧、リビングメイルは本来輸送のために地図などを作る魔法道具でしたが、やがて知性が高くなり過ぎました。またあの衣に使われるスライムは、元々絵を描くための材料としての魔法道具として、命を得たために徐々に人が扱いにくくなり、今は戦うために景色に溶け込む服として生きています。夜の闇のヴァンパイアには独特の経済があり、そこで人間から魔力のようなものを吸い取っていましたが、そこで経済的な不安から、あちこちの人間に害をなしています。海の瘴気粒子は、本来海深くで闇の魔力を使っていた生命だったのが、光ある浅瀬に出たことで、海にも陸にも瘴気をばらまいているのです。結晶のような花やヒトデは、数が多過ぎて他の生命を圧迫しています。それぞれ土地が足りないため、あなたの世界に進もうとしているのです」
「土地が足りないから、という理由は分かったが、それはwhyだ。howとして、どうやって私の体に介入して、この世界にも来るのか教えてくれ」
「YZや我々の魔法理論では、人間の魂は脳だけでなく、肌や服にまで広がっているとされるのです。魂なら世界を超えて繋がるという理論もあり、こちらの世界の魔法道具や生物達は、あなたの魂に侵入して、皮膚に影響を及ぼしています。そしてあなたの体を魔力の要塞として、やがて他の人間の魂にも侵入し、自分達の分身を作らせて世界を制圧する予定です」
「それについての君の目的や、私に伝える理由は何だ?」
「あなたの知識は、こちらでは貴重な部分のある技術なのです。それを用いて、彼らに、土地を奪わなくても生活出来るように指導したいので、あなたに情報の整理をお願いしたいのです」
「私を選んだのは、あの敵のYZか?それとも君なのか?」
「YZです。そして私は、その中で穏当な解決手段を願い、あなたのロストテクノロジーを知りたいのです」
「ロストテクノロジー?悪いがこんな魔法の怪物達に役立つ知識が私にあるとは思えない。それに、私がわざわざそんな協力をすると思うか?」
「我々の正体を知れば、あなたはしてくださると予想しています」
「正体?どういうことだ?」

「この"プログラム"をご覧ください」

 そこから流れ込んで来る情報に私は驚いた。このファンタジーの正体を知ったのだ。

 SF作家のクラークは、あまりに進んだ科学は魔法と区別の付かないと主張した。たとえばウラニウム235という金属のある質量の欠片を2つ接触させただけで、化学反応の百万倍ものエネルギーを放出することなど、20世紀以前の学者は否定しただろう、と。

 これらのファンタジーも、あまりに高度な、そして部分的に遅れた科学だったのだ。

 彼らの住む世界の正体は、量子論で示されるパラレルワールドだった。
 量子論において、物質は複数の状態が重なり合うとされ、それに応じて世界も複数だという多世界解釈がある。
 この別世界でもその理論が成り立ち、研究されていた。

 どうやら、相対性理論などにおいて、惑星や恒星同士に働く重力が、独特の時間と空間の波を作り出すらしく、それをアーミラリ天球儀は探知しているらしい。
 ミヒャエル・エンデの『モモ』で、太陽や惑星が「時間の花」を作り出し、互いに力を及ぼし合うというくだりがあるが、それが相対性理論により、再現されているかのようだ。
 別世界の技術者により、複数のビットという部品により多数の世界で分身して分業するように大量の計算をこなす量子コンピューターの開発が進んでいたが、別の世界、つまり私の世界に情報だけなら送り込めるようになったのだ。

 そして、そのパラレルワールドでは、無数の技術により、幻想的な生命体が生み出されたり、人間でない未知の知的生命体が発見されたりしていた。

 ある種の炭素繊維は、金属のように電気を通す性質を持つ。日本人もノーベル賞を取った、電気を通すプラスチックの技術がある。それがこのYZの世界でも発見され、それを参考に炭素繊維の性質がさらに複雑になり、炭素と金属の中間的な物質が無数に生み出され、金属生命体とも言うべき状態になった。
 さらに、微生物の粘菌は無数の集まりで、人間の脳やコンピューターのように考える性質があるとされ、障害物を与えられると効率的な道を作るという研究もあった。
 この金属生命体と、粘菌を模した繊維のコンピューターが、生きた鎧、リビングメイルとでも言うように動き出す、炭素繊維ロボットとなったのだ。元々粘菌のように効率的な道を作る、地図作成プログラムが、いつの間にか格闘や戦いまで始めた。
 また、チョウやクジャクは光の波の重ね合わせを利用した、金属元素抜きに金属や宝石のオパールのような光沢を生み出す構造色を持つ。それを炭素繊維で模して、宝石のような貴金属のような美しく頑丈な鎧となったのだ。
 また、スマホを薄くするために、有機ELという素材で光る薄い機械を作り出す技術があるが、このパラレルワールドでは、様々な生物の変色する細胞による発光素材を作り出したのだ。それが勝手に苔やカビのように繁殖し始め、公害のようになった。一部の人間は戦う光学迷彩のためにそれを応用した。スライムの衣の正体である。
 夜の闇のヴァンパイアは、宇宙にある光で反応しない素粒子の暗黒物質の集まりが、生命のように振る舞ったものであり、人間が宇宙探査の果てに発見した。人間の体から素粒子として得られる情報を刺激として、独特の構造を手に入れたうちに、人間のような経済や文明を形成して、人間を資源として扱うようになった。
 海の闇の瘴気粒子は、細胞に核のない原核生物のうち、海の深くから浅瀬に進出して、光合成の能力を手に入れたラン藻だった。彼らの出す瘴気とはすなわち、太陽光により生み出す酸素だったのだ。その酸素は当時の大量の原核生物を絶滅させ、そして海水の鉄分を酸化させて酸化鉄の層を作り出した。人間などの真核生物にはむしろ必要だが、周りの生命にとって酸素は「瘴気」のようなものであり、血のような匂いの正体は鉄分だった。
 YZは既に他のパラレルワールドに介入して、その世界の暗黒物質にも介入したり、大気の酸素濃度の低い別の地球にもラン藻を繁栄させて自分達の住める環境を作り出したりしている。この私の世界にも侵入するつもりだ。
 結晶の花も人工生命である。正五角形だけで平面は敷き詰められないが、正五角形と同じ36度単位の角度を持つ菱形を組み合わせて、不規則的に平面を敷き詰められることを数学的に証明した人間がいる。さらに、そのような五角形単位の化合物による準結晶という状態もある。また、花や棘皮動物のヒトデは五角形ベースのものも多い。準結晶と植物の花やヒトデを組み合わせた生物がバイオテクノロジーで生み出され、独特の不規則的な並びによる未知の数学的振る舞いをし始めた。それが、花やヒトデを遺伝的に狂わせ、新たな有毒の生物へと変化させた。まるで知能が彼ら五角形生命にあるようだともされた。

 

 しかし、進んだパラレルワールドの未来において、彼らは何もかもこちらの人間より勝るわけではない。
 資源の計画的な運用を行いにくくなり、技術は高度でも産業の採掘や中間過程、廃棄の不備により、土地がさらに減っている。
 環境破壊により失われた技術、いわゆるロストテクノロジーもある。江戸時代の日本の資源利用を、ほとんどの日本人が今や知らないようにだ。
 経済の教訓を、私の世界の人間からYZ達が学べる可能性もある。

 元々効率的な地図を作り出すためのコンピューターだったリビングメイルにも、より薄くより高精度の映像を作り出すための判断をする映像素材であるスライムの衣にも、経済学の概念が組み込まれている。闇のヴァンパイアにも、人間を資源として扱う経済において、買い占めや恐慌の概念がある。海の瘴気粒子にも、景気が世代交代や設備投資により上下する、いわゆる景気循環の概念がある。その景気循環が、酸化鉄の層に影響を及ぼす。結晶の花やヒトデも、大発生するために、土地を無計画に消耗してしまう。
 それぞれが経済の概念を持ちつつも、人間ほどには詳しくないところもあれば、かつて環境が豊かだった頃の人間の知恵を学びたいという意欲を持つ個体もそれぞれの種類にいる。

 その過程で、幾つもの別の未来に情報を送り込む技術を、異世界の知性体が、量子論などにより開発したのだ。
 経済の不安定で、土地が不足していた知性体達は、それにより、異世界の奪い合いを始めた。

 

 情報を送り込み、それぞれの地球に自分達と同じ生命体を作り出して、そこに自我を転送して、言わば「転生避難」をしようとする生命体も現れ、それぞれの知性体が競争を始めた。

 別の世界からこの世界に知性体が来る「異世界転生争奪戦」が起きていたのだ。

 そこで彼らのうち、中立的な知性体「AN」が発案したのが、アーミラリ天球儀の情報を別世界に送り込むことだったのだ。人間の芸術に関わる脳の分野を刺激して、パラレルワールドからの受信機を作り出した。
 そうしてパラレルワールドを見ることで、YZ達は、人間による環境破壊がまだ進んでいないこの21世紀半ばの社会のインターネットや文献、そしてアーミラリ天球儀の買い手の知性を利用出来る。
 アーミラリ天球儀の買い手は、パラレルワールドの部分的に進んだ技術を受け取り、環境破壊が進めばどうなるか、技術の発展がどのような危険が起きるかを前もって知ることが出来る。
 何より、自ら別世界、いわゆるファンタジーで言う「異世界」に興味を持つ人間が、アーミラリ天球儀に関心を持ち、購入するという経済的活動で、その人間の知性が、どのような経済的な思考を持つかも知ることが出来る。
 一度自分の買ったものはなかなか捨てられない、自分の選択を否定したくない心理が人間にはあり、それが心理学を踏まえた行動経済学にも近いとされる。
 既にアーミラリ天球儀を購入して、それへの関心から離れられなくなった私には、異世界のYZ達に似た、経済的な思考回路のようなものが脳に生まれているのだ。
 人間の労働者は経済において生産者であるが消費者でもあり、ものを所有、消費しない機械に置き換われば、かえって市場が回らなくなるという経済的な推論もある。私は人工生命であるリビングメイルやスライムの経済的に見習うべき、生産者兼消費者の代表であるらしい。

 異世界に進出出来ることを示すために、人間の脳を通じて、神経と繋がった皮膚に特定の模様を作り出す技術が生み出された。元々スライムの衣が変色する皮膚細胞の研究から作り出されたために、人間の皮膚をある程度変化させる情報を電子的に脳に送り込む研究もされていたのだ。
 そうして私にコンタクトを取っていたのだ。

 ANの最終目的は、私の世界の人間達から学び、経済や政治の不安や争いを止めて、異世界の奪い合いを防ぐことだ。

「とてつもない災いにあなたを巻き込んでしまうと思われます。このファンタジーのような世界の実状に、あなたは幻滅するかもしれないという予測もしていました。それでも、協力していただけませんか?」

「…やってみたい」

 私はこの誘いに乗ってみたくなった。それは、彼らが誰かに似ているからだ。
 「異世界転生」をしたい人間は、何年か前から、この21世紀半ばの日本には多数いるようだが、それは職業や経済や政治への無力感、思い通りにいかない、自分の努力がかなわない世界に苛立っているからかもしれない。
 そして、彼らYZ、ファンタジーに見えてSFのような炭素繊維や粘菌型繊維のリビングメイル、映像素材のスライム、暗黒物質の知性体やラン藻、そして結晶の花達も、それぞれ環境破壊や経済の不安により、別の世界に逃げたいのではないか?逃げたがっているような、この21世紀半ばの日本人に似ている彼らのことを、私はひとごとに思えない。
 異世界に逃げたいという願望から逃れられないのかもしれない日本を変えられない日本人の1人として、彼らを放っておけない。
 「逆異世界転生」とも言うべきことをしたがっている彼らYZを、私は助けたくなった。
 そして、私達も学び合うことで、何かを助けてもらえるかもしれない。
 彼らのことを、私は知りたくなった。

 

 

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