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記憶する葦(追悼文)

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一緒に時代を生きた人たち
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記事一覧

追悼・大西祥一

追悼・大西祥一

 あまり行ったことのない葛飾の方に行った。葛飾柴又の方だ。まさに寅さんのような男が亡くなった。私が写植屋をやっていた70年代半ばの年末に写植を頼みに来て、お正月明けに納品してくれ、と無茶な注文してきた男だ。写植を取りに来たが、そのまま宴会になり、麻雀大会になり、友だちになった。

 彼は、宝島で始まったばかりの別冊宝島の担当者だった。話してるうちに、普通の働いている人にインタビューして作る本の提案

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さよなら、蓮見清一さん。

さよなら、蓮見清一さん。

【訃報】蓮見清一氏(はすみ・せいいち=宝島社創業者、代表取締役社長)

(1)70年代の宝島・JICC出版局

宝島の蓮見さんが亡くなった。80歳。
私の恩人の一人である。長年、お会いすることも出来ずに、いつか改めて感謝したいと思っていたのに、自分の行動力のなさが情けない。最後にお見かけしたのは、10年ほど前に石井慎二さんのお葬式で、お見かけしたが大勢の人に囲まれていて声をかけられなかった。情けな

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追悼・加藤秀俊先生

追悼・加藤秀俊先生

社会学者 加藤秀俊さん死去 93歳

 加藤秀俊先生が亡くなられた。60年代後半に、梅棹忠夫、小松左京、林雄二郎、川添登で「貝食う会」の集まりを行い、未来学研究会を作った。その後、林さんと加藤さんがヨーロッパでの未来学会のシンポジウムに参加し、「日本に未来学会はないのか」と問われて、なんの準備もなく「作る」と宣言して帰国。二人で日本の財界をかけまわって支援を取り、1967年に「日本未来学会」が誕生

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追悼・木滑良久さん

木滑良久さん死去、93歳 マガジンハウス最高顧問

私たちの世代のスター編集者は、平凡出版(マガジンハウス)の木滑良久さんと講談社の内田勝さんである。

追悼・大築準

 中学のアルバムから、音楽家の吉岡しげみさんと同級生だったことが分かり、彼女とやりとりをしていて、彼女の音楽活動に関わった若い子の親が四谷一中だった。その親が吉岡さんのライブにも来たという。宝井と言う。
中学時代の親友である。宝井と大築準と私は、よくつるんでいた。宝井も大築も背が高くいつも最後列だった。大築なんか中二で180あった。宝井も同じくらい。しかも二人とも成績はトップクラス。私は背が低くい

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追悼・伊藤雅俊さん

 大手スーパー「イトーヨーカ堂」の創業者で、総合スーパーやコンビニエンスストアなどを傘下に持つ「セブン&アイ・ホールディングス」の礎を築いた、伊藤雅俊名誉会長が、3月10日に亡くなりました。98歳でした。

 戦後の流通業界の基礎を作った、ダイエーの中内功さんと、イトーヨーカ堂の伊藤雅俊さんは、若くして戦争を体験し、物資のない時代を過ごした。その体験をバネに、日本国民の生活を豊かにすることをミッシ

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追悼・アヤカメイ

追悼・アヤカメイ

 5月のはじめに和気日向からアヤカメイの訃報が届いた。ニューヨークで追悼イベントが開かれる、と。

 日向は、農民ロッカー和気優さんの娘で、中学生の頃からデメ研に遊びに来たりしていた。その後、NYに留学し、アヤカメイと出会った。

 アヤカメイは、NYを中心に、絵や写真や動画、路上パフォーマンスまで、あらゆるアートを実践してきた日本人女性である。日向が帰国して、アヤカメイが日本に来た時に紹介しても

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追悼・中村邦夫様(松下電器産業・元社長)

 松下電器の中村邦夫さんが亡くなった。もちろん面識はないが、彼が社長の当時、末端の出入り業者として、門真方面にも何度も行ったし、青物横丁や大門あたりは数え切れないほど通った。最初に青物横丁のバブリーなビルに、僕と亀ちゃんでいつもの服装で入ろうとしたら、警備のおじさんが飛んできた^_^。

 中村社長の噂は飲みながらよく聞いた。かなり、松下の枠からはずれた人らしい。机に靴のまま足を投げ出し、葉巻ふか

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追悼・小林秀樹

追悼・小林秀樹

 秀樹が癌で亡くなった。本日、家族だけの葬儀が行われた。一年前に余命3ヶ月という非情な癌告知を受け、治療法もないほど身体を侵されていたが、持ち前のエネルギーと明るさで頑張っていた。

 私には実の弟がいるが年の差が13歳あって、あまり兄弟としての時間を共有したことがない。秀樹は、私のかみさんの弟で、私とは4歳の差なので、僕のことを「お兄さん」と呼んでくれた。最初は戸惑ったが、弟と

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[訃報]宮沢章夫さん

 宮沢さんが亡くなった。直接の面識はないが、何度か接近した。彼はロッキングオンの読者で、岩谷さんの影響が強かったのだろう。僕が、ロッキングオンの時代を書いた時にこんな書評を書いてくれた。

岩谷宏プロジェクトを彼に伝えたかった。まだ65歳。若すぎる。

彼の最後のツィート。

ご冥福をお祈り致します。合掌。

安倍晋三さんの死

 自分の考えと違う人がいる。議論になれば敵対する。対立が深まる。しかし、なぜ対立するのか。それはいつか、ほんの少しでも和解の可能性があるからだ。いつか、対立する概念を止揚して、新しい理解にたどり着くかも知れないと思うからだ。相手を殺害するために議論をするのではない。

 テロに倒れた政治家の死に際して、因果応報とか、ざまあ、とか言ってる人たちは、最初から相手を殺戮するために議論をしていたのか。テロ

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さようなら、宮澤保夫さん。

 宮澤保夫さんが亡くなった。宮澤さんは、僕の「時代の友」であり「同志」だった。

 2008年7月11日帯広商工会議所青年部創立20周年事業「とかちローカルサミット」が行われた。旧友の後藤健市に誘われて、大喜利シンポジウムの司会をやったり、教育のワークショップに参加したりした。

 教育のワークショップは、日本各地のベンチャーな教育関係者が集まり熱気のあるものだった。はじめて出会ったのは、その場所

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さよなら、松村雄策(2)

さよなら、松村雄策(2)

 松村のサマーキャンプが終わってしまった。

 なんだか、何もやる気がしなくて、だるい。

 ロッキング・オンが創刊から10年ぐらいが見えてきた時、僕と岩谷さんは、ロッキング・オンを離れた。ロッキング・オンでやろうとしたことを、音楽業界の範囲の中ではなく、追求したいと思ったからだ。渋谷は音楽という枠の中で頑張り、業界ナンバー1の位置を獲得した。

 ビジネスを主導したのは渋谷だが、渋谷にとっても、

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