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さよなら、蓮見清一さん。
【訃報】蓮見清一氏(はすみ・せいいち=宝島社創業者、代表取締役社長)
(1)70年代の宝島・JICC出版局
宝島の蓮見さんが亡くなった。80歳。
私の恩人の一人である。長年、お会いすることも出来ずに、いつか改めて感謝したいと思っていたのに、自分の行動力のなさが情けない。最後にお見かけしたのは、10年ほど前に石井慎二さんのお葬式で、お見かけしたが大勢の人に囲まれていて声をかけられなかった。情けな
追悼・中村邦夫様(松下電器産業・元社長)
松下電器の中村邦夫さんが亡くなった。もちろん面識はないが、彼が社長の当時、末端の出入り業者として、門真方面にも何度も行ったし、青物横丁や大門あたりは数え切れないほど通った。最初に青物横丁のバブリーなビルに、僕と亀ちゃんでいつもの服装で入ろうとしたら、警備のおじさんが飛んできた^_^。
中村社長の噂は飲みながらよく聞いた。かなり、松下の枠からはずれた人らしい。机に靴のまま足を投げ出し、葉巻ふか
[訃報]宮沢章夫さん
宮沢さんが亡くなった。直接の面識はないが、何度か接近した。彼はロッキングオンの読者で、岩谷さんの影響が強かったのだろう。僕が、ロッキングオンの時代を書いた時にこんな書評を書いてくれた。
岩谷宏プロジェクトを彼に伝えたかった。まだ65歳。若すぎる。
彼の最後のツィート。
ご冥福をお祈り致します。合掌。
さようなら、宮澤保夫さん。
宮澤保夫さんが亡くなった。宮澤さんは、僕の「時代の友」であり「同志」だった。
2008年7月11日帯広商工会議所青年部創立20周年事業「とかちローカルサミット」が行われた。旧友の後藤健市に誘われて、大喜利シンポジウムの司会をやったり、教育のワークショップに参加したりした。
教育のワークショップは、日本各地のベンチャーな教育関係者が集まり熱気のあるものだった。はじめて出会ったのは、その場所
さよなら、松村雄策(2)
松村のサマーキャンプが終わってしまった。
なんだか、何もやる気がしなくて、だるい。
ロッキング・オンが創刊から10年ぐらいが見えてきた時、僕と岩谷さんは、ロッキング・オンを離れた。ロッキング・オンでやろうとしたことを、音楽業界の範囲の中ではなく、追求したいと思ったからだ。渋谷は音楽という枠の中で頑張り、業界ナンバー1の位置を獲得した。
ビジネスを主導したのは渋谷だが、渋谷にとっても、